文字を書くということ
今日は、今晩は、ハタマタおはようございます。セオです。
いろいろな事情が重なり、YouTubeの更新がなかなか出来ずで申し訳ございません。緊急事態宣言も出て、何だかソワソワと落ち着かない毎日が続いていますね。さて、そんなことはさておき今日もnoteを書いているわけなんですが、「noteを書く」と言っても筆を執り言葉を文字に表しているわけではありませんね。ペンがなくてもキーボードを指で押せばすらすらーと文字が出てくるし、最近は音声認識なんていうものもありますからもはや書かなくたって文章ができあがったりもするわけで。いやはや、すごい時代だ。
そんなわけで今日は「文字を書くということ」について少しお話していきます。
「文通」。皆さんは経験ありますか?私は小学4年生くらいから中学に上がるくらいまでにいわゆる「ペンフレ」、手紙のやりとりを交わす相手がいました。その子は熊本県に住む同い年の女の子で好きなアニメが共通していたことから文通をするようになりました。手紙をやり取りするきっかけになったのはこども新聞にあったペンフレ募集のコーナー。学校の友達やいとこのお姉さんに手紙を書く機会はあったけれど、全く知らない子に手紙を書くのは初めてのことでした。
彼女の名前は「ハルカ」。(正直あまり覚えていないのですが、)ハルカには2つ上のお姉さんがいて、歳の離れた弟がいました。私から見たハルカはリーダー的な存在で、みんなの人気者、ちょっぴりやんちゃな雰囲気を持っている女の子でした。というのも手紙を交換し始めてから何ヶ月後かには電話番号を交換して電話をするようになって、手紙からでは分からなかった彼女の雰囲気も何となく知ることができました。
手紙の内容は「好きな人」の話とか、「中学に入ったら何部に入るか」とか「最新刊(好きな漫画)買った?」とかそんな他愛もない話だったと思います。そんな他愛もない話でも私にとっては「他の誰でもない君」、じゃないけれど特別な友達ができた気がして、とても嬉しかったのを今でも覚えています。
しかしある日突然、彼女から手紙が届かなくなりました。
私の友達数名と、ハルカの友達数名もそれぞれ手紙を交換するような仲だったので友達から聞いたんだと思うのですが(今となってはよく思い出せない)なんかよくわかんないけどハルカん家、やばいらしい。そんな感じ。ハルカの家がやばいっていうのは小学生の私の想像力では到底分かりっこないところでしたが今となっては家庭内のことで苦労をしたんじゃなかろうか、と思っています。もちろんハルカから直接聞いたわけではないので真相は分からないところがありますし、想像でしかありませんが、私はハルカたち家族が元気でいてくれたらそれでいいなと思っていました。今でも変わらず同じように思っています。
その後は皆さんの想像通り、ハルカとは連絡が取れないままでした。電話をいくらかけても通じなかったし、手紙が返ってくることももうありませんでした。そして私が知る限りの最後のハルカは「熊本にはもういない」ということでした。これも誰かから聞いた話で確かなことは何もない。
とまぁ切ない思い出話を書いてしまいましたが、何が言いたいかっていうと私は誰かにモノを伝えようと思ったときには「自分の文字で書く」ということを大切にしてきましたということです。いろんな考えがあると思うけど時間をかけてでも伝えたいことは文字として書くようにします。これは私が長年培ってきたマイルールの一つで、こだわりが強いのでこれは守るようにしています。あと、糸井重里さんの本に
ほんとうになにかを伝えたいというときには、絶対に「ことばがきれい」なほうがいい。(糸井重里/『抱きしめられたい。』)
という一節があるのですが、誰かと話すときに「ことば遣いに気をつけよう」と、少なくとも私は常に意識できてるとは思えないので‥大切な時くらいはことばをきれいに扱える人でありたいと思うのです。それが私にとっては手紙を書くときだと思うのです。
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