パンを裂く人 ~フランジパニ~
フランジパニといえば、ずっとローマの貴族のことだと思っていたのですが、数年前にプルメリアの花の別名もフランジパニ、ということを知りました。
また最近は、フランジパーヌという洋菓子のクリームがあることも知りました。ウィキペディアによれば、クレーム・パティシエール(カスタードクリーム)とクレーム・ダマンド(アーモンドクリーム)を混ぜたもの、またはそれを使った焼き菓子のこと、とも。
なんでそんなにフランジパニという言葉がいろいろ使われているのかなと思って、すこし調べてみたところ、やはりイタリアの貴族が元になっていることがわかったのでちょっとご紹介してみます。
*
12世紀のイタリアで活動していたアッシジの聖フランチェスコ(サンフランシスコ)には、ローマの貴族出身のジャコマ(ヤコバ)・デ・セッテソーリという女性の友(弟子)がいました。
フランチェスコの生き方に習って出家したキアーラ(サンタクララ)は「姉妹」と呼ばれたのに、ジャコマだけは女性でも親しみをこめて「兄弟ジャコマ」と呼ばれていました。
彼女はローマの貴族グラツィアーノ・フランジパーニの未亡人でした。
フランチェスコたちがローマ教皇に会いにローマに行ったとき、宿泊所を提供したのが彼女だったそうで、それ以来フランチェスコと親しくしていたそうです。
フランジパーニというのは、パンを裂く(割る)人、という意味で、11~12世紀にローマをたびたび支配した貴族の家系とのこと。
フランチェスコは死の直前に、ジャコマにアッシジまで会いに来てほしいと口述で手紙を書かせていたまさにその時、彼女が到着して皆驚いた、という話は有名です。
フランチェスコが臨終の床についているうわさを聞きつけて、手織りの修道服と葬儀用のろうそく、香、そしてフランチェスコの好物のお菓子を持参していました。
その小菓子はアーモンドと小麦粉、蜂蜜でつくられたモスタッチョーリというもの。ローマでジャコマがフランチェスコのために何度も用意したそうで、ちょうど彼女への手紙にそのお菓子も持ってきてくれるよう頼んでいたところでした。
フランチェスコを看取ったあと、ジャコマ夫人はもうローマに帰らず、ずっとアッシジに住んで、いまはフランチェスコの墓室のある聖堂の中のお墓に眠っています。
フランジパニ家について、ざっとインターネットで調べていたら、その家系についての本が出ていました。
日本語訳はないですが、「この一族の物語は、古代ローマの有力な平民一族であるアンシーイに始まる。そして、貧しい人々に食べ物を与え、一族の名字の由来となった「パンを割る人」フラウィウスの物語が続く。」
とあります。
花の名前になったのも、クリームの名前になったのも、やはりフランジパニ家の人が関係しているようです。
本のレビューを見ると、フランジパニ家の人々は、今では世界のあちこちに住んでいるみたいですね。
このモスタッチョーリというお菓子がどんなものなのかずっと興味があったのですが、日野原重明先生が生前テレビに出たときに、アッシジでこのモスタッチョーリを食べたと話されていて驚きました。どこで売ってたんか?!と。
でも、私ももしかすると実は似たものを食べていたかもしれません。
違う名前で、昔からのレシピというお菓子をお土産に買って帰ってきたのですが、チョココーティングされたモスタッチョーリのようなものだったかも。
カップッチョ・デル・フラーテという名前で、修道士の帽子(フード)という意味ですが、アンティーキ・サポーリ(昔の味)と書いてあるんですね。
12世紀のモスタッチョーリはもちろんココア生地でもチョココーティングもされていませんが、いま検索してみると、なんとなく似たような感じかな?と思いました。
というか、昔は検索しても日本語で出てくることは皆無でしたが、いまはいくつか出るんですね。
南イタリア各地にあるお菓子みたいで、基本的に生地はココアではないですが、チョココーティングされたものもあるようです。
作ってみた、という人もいてびっくり。
洋菓子のクリーム、フランジパーヌは、もしかすると知らずに口にしたことがあるのかもしれないけれど、これがそうなのか!というクリームを食べてみたいですね。
*
ついでの画像。
カップッチョ・デル・フラーテを買ったときの旅で、これも買ってました(同じフィルムだった)。
シトロンの砂糖漬けをチョココーティングしたものです。
シトロンって、柑橘系のことだよね、と思ったのですが、ローマ駅構内のお店のお兄さんに「シトロンってなに?」って聞いてみたら、「シトロンはシトロンだよ」と言われましたわ。
書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。