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旅の仕方と本の読み方は似ている・・・かもしれない。

昔働いていた職場の同僚に、海外旅行好きの人がいた。

彼女はとにかく行ったことがない国にツアーで行くことが多いようで、今度はどの新しい国や場所に行ってみようか、と考えるタイプのようだった。

私はといえば、当時は毎年必ず海外に行けるという状況ではなかったせいもあり、行くならイタリアだと思っていた。

初めはペンフレンドのいる北イタリアに行ったものの、中部のウンブリア州アッシジに3ヶ月語学研修で滞在したせいもあり、すっかり中部が「イタリアの故郷」になって、隣のトスカーナ州にあるフィレンツェやその周辺の小さな町に行く、ということが定番になった。

本当は南イタリアが憧れで、アマルフィー海岸なんて、ツアコンやってる人が「どこそれ?」と知らない頃から、「行ってみたい〜!」と言っていた。けれども、たまにしか行けないイタリアに行って、フィレンツェのある中部に行かないってことがどうしてもできないのだ。

例えば、ひさしぶりに横浜に行くから、あそことあそことあそこに行こう、みたいな感じで、アッシジやフィレンツェに行ったらあそこであの絵を見て、あの教会に行って、あそこのバールでお茶したい、そういう感覚なのだ。

本も同じ。
気に入った本は何度も読み返す。
最初から読み返すというより、好きな箇所をぱらぱらめくってそこを繰り返し読む。

いったん気にいると毎日のように好きなところをめくって、しばらく繰り返したあと、手に取らなくなる。でも月日がたったら(時には数年後)、またページをめくって好きなところを読み返す。

自分と波長の合うその場所の空気感が心地いいから、旅も本も、何度も同じところに行ってしまうのかな。

でもちゃんと、すこしづつ新しいところにも出かけて行って、また好きな場所に戻る。

一時期、何度も繰り返し読んだのがこの本。

ダイアン・レインの主演で映画化もされた、原作のエッセイ。文庫本も出ているが、最初に出たこちらはレシピが載っている(作らないけど)。

著者のフランシス・メイズはパートナーのエドと共に、イタリア中部のコルトーナという町のはずれにある古い館を買って修復する。アメリカとイタリアを行き来しながら、イタリアを愛する外国人として感じる様々なことに、へ〜と思ったり、共感をおぼえたりする。

彼女は詩人なので、とにかくイタリアの描写が魅力的で大好きだった。

朝一番の列車は満開の赤いケシ畑やオリーブの木立を抜け、いまやおなじみとなった石の村々のそばを通りすぎる。大きな干し草の山、四人並んだ白衣の尼さんたち、窓の外ではたかれている寝具、羊小屋、夾竹桃(きょうちくとう)・・・・ああ、イタリア!
早起きして、トーストとコーヒーをベランダへ運び、本と、柔らかな空を背にした緑と、黒の糸杉並木と、季節が中世の詩集で表現されて以来変わっていないオリーブの段丘の襞(ひだ)をもつ丘陵を前に、一時間を過ごす。下方の谷が、ふちから霧がこぼれそうなボウルのように見えることもある。すぐ下の三本の木に、それぞれ固い緑色のいちじくと梨がなっているのが見える。・・・・私は本を忘れる。梨のパイ、梨のチャツネ、梨のアイスクリーム・・・・・

ぱらぱらと見ていたら、また読み返したくなってしまった。

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Photo by KAORI K.  アッシジのお菓子屋さんにて

書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。