見出し画像

なぜかイタリア語が好きだった(3) ーイタリアとの繋がりの始まりー

そんなわけでたくさんの外国人から文通希望の手紙をもらい、自分のペンフレンドに選んだ人以外はどうしよう、と考えて、NHKのイタリア語講座のテキストのお便りコーナーで希望者を募ろうと思いついた。

そのころはまだインターネットも発達していなかったし、今ほど日本人は海外に出かけていなかった。イタリア人と知り合う機会などほとんど無かったので、もったいないと思ったのだ。

テキストに掲載してもらい、日本人からの文通希望の手紙はやっぱり200人近くになった。それぞれの希望に合わせてマッチングして、紹介していったのだけど、かなりの労力と切手代だった。
それでも、なにかに突き動かされるようにやっていたのが、今思い返すと不思議。

文通がうまくいった人たちもいるし、イタリアへ手紙を書かなかった人もいたり、希望者が多すぎて紹介できませんと断りの文言をワープロ(時代!)で打って送ったことが不愉快だった人もいたよう(手書きで書くのはもう無理だった。仕事ではないし)。

その時に、イタリア人を紹介した幾人かとは友達になって、のちにイタリア好きのサークルを作って、情報交換の会報を作ることになる。

なんとなく思いついて、どんどん行動して行ったら、いろんなことが動いて行った。頭で考えすぎることなく、ハートの反応や衝動で動いていくとほぼ間違いない。今こうして思い出しながら書いていると、頑張ってたな、自分、としみじみと肯定できる。

文通を始めたのが1992年の11月頃だったかな、そうして私は翌年の春に、7、8人のイタリア人ペンフレンドのうちの3人に会いに、初めて一人でイタリアに旅立つことにした。イタリア語もまだろくにできないのに。

その時の話はまたいずれ、気が向いた時に書こうと思います。



書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。