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幸せを感じるために、幸せじゃないことを経験しなくてもいいはず

週末です。

遅めに起きて、洗濯して、汚すぎた風呂を気力のある範囲で掃除して、
アイスティーを作って、冷房かけて
やっとノートPCを開いています。

しあわせ。

洗濯物を日に当てて乾かせるのが、しあわせ。
掃除は苦手だけど、とりあえず埃をはらう時にはちゃんとはらえる時間があることが、しあわせ。

さっきなにげなくイザベル・ボワノさんの本を手にとって開いていたら、
「やっぱりこういう世界が好きだ~」
とあらためて思って、しあわせ。

なにより、noteで言葉を綴れるのがしあわせ~。
というか、
20世紀の終わり近くに自分のホームページを立ち上げてから、ひたすら書き続けている私は、
写真を撮ったり絵を描くよりなにより、
やっぱり自分の思考を発信するのが幸せなのだと
しみじみと感じます。

人間はコントラスト(望まない現実)を創り出して、
自分が本当に好きで望むものを確認しているのだけど、
好きなものが分かっているなら、そうやって確認する必要もない。

だけどやっぱり、
平日ぜんぜん時間がないから、休日に好きなことに触れると倍幸せを感じる。
本当は向いてない仕事をしているのなら、
本当に向いている仕事を目指そうと決意できる。
病気をしたら、これから絶対に身体を大事にしようと思える。

だけどだけどやっぱり、
もうそのコントラストに時間を使うことはしなくていい、はずなのです。
自分にとって何が幸せか、ちゃんと自覚できれば。


時間に余裕がないと、生活がおそろかになってしまって
いつもは多少気を付けている食べものについても、だいぶいい加減。
お昼なんて、食べたいと思えるものを口に入れればいい・・となって
おにぎりと甘いパンとか買ったりして。
炭水化物、糖質ばかりとってどうする? たんぱく質と野菜はどうした?!
と思うも、もうなんでもいいや・・になってしまう。

来週からは、もうすこし自分のペースができるかもしれない。
遅れず通ってタスクをこなすだけで精一杯。
最初はまあ、こんなもんで
でも期間限定のお仕事なので、慣れたころに終わるはず。

そしてつくづく思うのは、
私はちがう働き方をずっと望んでいるはずなのに
どこか足を洗えなくて
でも、そんなふうに仕事をしていると
厳然としてある「今の社会の当たり前」を肌で感じて

いや、やっぱりこれは違うでしょう!
もう、なにかがおかしいよ!

と実感したいのかもしれません。
そう感じると、言葉がわ~っと頭のなかに溢れてきて

みなさん、もう、生活のために仕事をするとか
他者に認められたいから仕事をするとか(たとえばだけど)
そういうの、やめません?

と思います。

生活のために仕事をしているといっても、
仕事のために生活がおろそかになって、
もっといえば
「仕事はしてるけど生活はしていない」人が多いかもしれない。

もちろん、自分の魂の成長のために仕事をしている人もきっとたくさんいて、
それはそれでいいのです。
でも成長のためなら、歓びがベースになければね。
歓びを感じることが、自分の仕事への導きだから。

なんて。自分はどうなのよ、なんですけど。

きのう、「ブルーピリオド」の10巻をブックオフで購入。
新品同様、きれいで有難い。
一気に読んでしまいました。

「ブルーピリオド」は、絵を描いたことがない男の子が
あるきっかけで藝大を目指し、
のちに藝大生を経験するなかでの成長のお話です。
もちろん、芸術とは、美術とは、作品とは・・についての話を読みたかったのだけど、
映画の予告ビデオのなかの台詞にぐっときたのです。

「楽しいからで、人生決めていいんスか?」

「好きなことをする努力家は・・・最強なんです!」


決めていいんスか?
じゃなくて
楽しくないことして、どうすんの?
人生を修行にする季節はもう終わったんだよ。

楽しみのなかにも、
自分と向きあうための苦しさは包括されているから
安心してそこに入っていけばいいよ

と、自分にもよく言い聞かせたいです。


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フランチェスカ
書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。チップは自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。