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それでもやっぱりルネサンスが好き〜「感性でよむ西洋美術」を読んでみた(2)

先日の「感性でよむ西洋美術」を読んで感じたことの続きを書いてみようと、数日前からルネサンスについて書いています。

書いてるうちに、どんどん枝葉が拡がっていってまとまらず、
週末は「源氏物語」展に行ったので、そちらの投稿が先になってしまいました。

拡がっていってしまうということは、興味が拡がっているということ。
この本をきっかけに、数年前に買った「ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論」を読み返したりして、美術について「読む」ことがちょっと面白くなってきました。

時を同じくして、ちょうど先々週の「世界ふしぎ発見」がフィレンツェの特集。なんだか無性にフィレンツェに行きたくなってしまいました。
最後に行ったのがもう23年前(!)。
初めて行ったのが80年代だから、もはや大昔。
知っているようでいて、知らない町になってるんだろうなあ。

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さて、あらためて古代、中世、ルネサンス、バロック・・・と、流れを見てみて、それぞれの時代と美術の特徴をざっくり(ほんとうにざっくり)確認しました。

ヨーロッパに行く前は、印象派が好きでした。
でもイタリアに繰り返し行ったせいで、特にルネサンスの芸術家たちに惹かれるようになりました。
実際に現地でルネサンス美術を見て、とても魅力があったのですね。

ルネサンスといえば「人間復興」、古代ギリシャ・ローマの人間的な価値の復活といった説明を受けてきたので、私はそういうイメージのみで、単純に捉えてきました。
でも今回、ルネサンス美術というのはかなりシステマティックというか、現実の見方を法則化したのだとわかりました。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、人体の比例関係を研究していました。
いっぽうデューラーも同じくそれを研究して、「人体均衡論四書」という本を書いたのだそうです。
「人体を描くときに重要なのは体の各パーツの比率」で、
全体が数字と補助線で埋め尽くされている本だとか。
人体の研究というとレオナルド個人のことと思っていたので、美術史の流れのなかで捉えていませんでした。

実物を見て描くことから始まり、実物から離れた表現へと

ルネサンスの先駆けといわれるジョットー・ディ・ボンドーネという画家がいます。
私にとってジョットーといえば、アッシジの聖フランチェスコ大聖堂の壁画です。(本人のかどうか疑問はあるそうですが、それはさておき)

小鳥に説教する聖フランチェスコ(ジョットー)
アッシジの聖フランチェスコ大聖堂の壁画のなかで最も有名なもののひとつ。

ジョットーは、人物を描く時に実際の人間を見て描いていたと知りました。
古代では現実に存在しているものを写生することをしていたのに、中世ではその習慣が廃れてしまった。
彼は、写生を復活させた画家だそうです。

その後、絵画の世界では遠近法が使われるようになっていき、
目で見るような奥行きのある画面になっていくのですね。
ルネサンス期が進んでいくと、さらに表現が法則化されていきました。

 ルネサンスの先駆けのジョットがせっかく現実世界を見て絵画を描くことを始めたのに、あっという間にこうなってしまった。
つまり、現実世界を見てはいるのだけれど、その見方が法則化してしまった。その法則が方法論として洗練されすぎて法則そのものを見ているような絵画になっていった。そんなふうにも言えます。

「感性でよむ西洋美術」伊藤亜紗著(NHK出版)

なぜルネサンスの画家たちは、絵画を法則化したのかということについて、「ルネサンスで重要視されたのは、人間の理性だった」から、と本には書かれています。

世界というものを数学的な合理性・法則性に落とし込むことで、人間は世界を理解できている、世界を把握する理性を持っていることを表現したのです。

「感性でよむ西洋美術」

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ラファエロの「アテナイの学堂」は
ローマに初めて行った時、バチカン宮殿で見ました。
見上げるような位置の壁にあったのを覚えています。

ラファエロ・サンティ『アテナイの学堂』(1509年)
ヴァチカン宮殿 署名の間

遠近法(格子模様を使ってアピールするのもよくある)や
前列、二列めと、人の配置が層構造になっていること、左右対称の構図など、とても計算されているのを感じます。

以前からそう感じてはいたけれど、これまでは言語化しないで見ていたのです。
『感性をよむ西洋美術』に「感性でよむことは、言葉を使うこと」とあったので、あらためて左脳で見ることができたのかな。
以前と少し違う目で見たら、絵が違う意味を持った気がします。

ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂には
ミケランジェロの天井画と祭壇画『最後の審判』があります。
人がいっぱいで、係の人が「立ち止まらないで~~~」と言っていたのを覚えています。
隅々まで見たいけど、ずっと見上げていると首が痛くなるんですよね。

あれらの絵は筋肉ムキムキで、現実の人間ではなくミケランジェロが理想化した(好きな?)肉体たち。
写生から始まったルネサンスは、次第に現実から離れていったのですね。

システィーナ礼拝堂の天井画のなかで
なぜか買ったポストカードはこの2枚。
こんな筋骨隆々な巫女、いる?

ミケランジェロ システィーナ礼拝堂
リビアの巫女
ミケランジェロ システィーナ礼拝堂
エリュトレイアの巫女


ルネサンスとバロック

17世紀に入って、バロックという様式が始ります。

バロックについては、好きなのは音楽だけで
建築や美術はあまり好みではないと思っていました。
バクゼンと、イメージに「暗さ」を感じていたのです。

でも、バロックの特徴を読んでみて、
あれ? と思ったのです。

どちらかというと「静」のルネサンスに比べて、バロックは「動」。
バランスより、アンバランス。
境界があいまいで、渾然一体、流動的。

法則が重視されていてすべてが明瞭だったルネサンスに比べて、バロックはダイナミックなドラマを感じさせてくれます。

「感性でよむ西洋美術」

バロック的な表現、文字で読むと好きかも・・。
とはいえ・・

ピーテル・パウル・ルーベンス『東方三博士の礼拝』
プラド美術館

「感性でよむ西洋美術」にも掲載されていたルーベンス。
どどどど~、ぐちゃぐちゃ~~~・・って感じ。

運動、瞬間、個人より全体のダイナミズム、流動性、アンバランス
光による視線の誘導(幼子イエスに目がいきます)

瞬間を捉えたり、光と影で表現したり
あえてバランスを崩したり・・
より写真に通じるような表現を感じます。

感じるけれども、やっぱり・・・
やっぱり、私はルネサンス美術が好きだなあ・・。

なぜかと考えると
聖母やイエスを描いていたにしても、
宗教一色に覆われていた世界から抜け出した明るさと、
明瞭に描かれた個人の魅力をルネサンスの絵から感じることが多いから・・
なのかもしれない、と思いました。

2013年に初来日した
ラファエロの『大公の聖母』(部分)
2014年に来日した
ボッティチェッリ『パラスとケンタウロス』(部分)

好きなんです。
ルネサンスの画家たちの描く、特に顔が。

というわけで、今度は好きなルネサンスの画家について
書いてみようかと思います。


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フランチェスカ
書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。チップは自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。