死→美→創作→鑑賞
自分が死ぬところを想像するが、美しい美化された死のことばかり思うのである。
しかし死体に関しては汚いと思わないのが実際のところだ。慣れが大きいのであろう。なんでも、そうである。強烈な不快感を催すような物の中には強烈な美しさも、裏返しとして含まれているような気がしてならない。どちらも強烈な情報であることには変わりないのである。私は、近頃は強烈なものを書きたいと思っているのかもしれない。美、醜、快、不快のコントロールは難しいかもしれないが、強烈さという点は作っている最中にコントロールしやすいように思える。それを、快いと思うか、不快と思うかは別な話のように思える。私が扱えるのは、インパクトの制御までだなと思うのである。インパクトのある、視覚的な記号まではギリギリ目指せる気がする。インパクトと意味は直結しないように思える。
他人の作品を見たときにインパクト以外で測れないのは、自分そういうものしか作れないからであろう。