最近の記事

9月10日

最近は瞑想モードに入れないし入眠がわからなくなってきているから、たとえば居眠りでも自分が入眠してしまったことに気づけないのである。目が開いていても入眠してしまうので、より一層気づくことは困難になる。これはなかなか怖い事なのである。意識が途切れ途切れになるからいつだってぼんやり眠い目なのである。そんな中で集中していることが多い。集中と放心が紙一重な気がしてくるから、放心しているようで生活はなんとかなるしなんなら前よりいい感じだったりするのである。だからなのか、横になっても意識的

    • 神々の遊ぶ庭

      冬になれば、森の中で、うまくて冷たい空気が流れている中自由に歩き回れて、最高だった。川の表面は完全に凍ってるから、これまた自由に歩き回れる。ある程度高いところから滑っても夏より痛くないし、汚くならない。やぶも漕がず、ダニがおらず、羆が恐ろしくない。かんじきやクロスカントリースキーがあれば、苦労せず行き来できる。寝転がって、頭上の木に小さい鳥がとまる。 春になると山菜が出るから、それを取りにまた山の中に入る。崖を上って、街から出てくる半端者では取れない場所にあるうまいやつを探

      • 全自動

        光陰矢の如し、と年々思うようになってきた。ランダムな記憶を思い出しても数秒後には忘れて、またしばらくたったら思い出して、思い出す内容もあまり更新されなくなった。祈りだけが、未来へとつながっている。祈りが通じることが増えてきた。というか、最近分かってきたのである。そのようになると思っていなくても、心の中では思っているのだから、そうなるのである。言葉にならない思いというのは時間をかけて、現実に舞い降りる。 その様を眺めているうちに、光陰矢の如し。あっという間に寿命が尽きるのではな

        • 1月7日+α

          かつてないほど音楽に救われている。涙がよく出る。悲しかったり痛かったりする。前はその痛みや悲しみを受け入れられなかったのかなとも思う。今が一番、ぼーっとできていると。いつだって入眠の一歩手前のような静けさの中にある。長い年月をかけて私は癒されたんだなと思う。穏やかな日々が、積み重なって。まったく信号のないアナログテレビのように。すべてがホワイトノイズと意味のない砂嵐のなかに、溶けていったんだなと思う。私が何か感じることが減ってきたと思う。短いループの中に、かつては何を感じてい

          4月6日

          最近は思考が積もっていかない。初雪のように、アスファルトについたらあっという間に溶けて跡形もなくなってしまう。ネット中毒か、仕事などで、脳が壊れてしまったのか。前よりも全然つまらないなと思う。そこに物語があったのに。なくなってしまった。あるいは、逆にこれが正しいのかもしれないなと思う。社会に順応できたのかもしれない。あるいは私の青春が終わりを告げたのかもしれない。青春は、少なからず倒錯したものだろうから。私の、世界に対する恋が終わったのかもしれない。高校の時なんか特に、世界が

          4月6日

          3月26日

          自分が昔作った作字や絵を見ると今よりぎこちないところがあるなりに丁寧に作られていて好感が持てる。元気な時は何も考えなくて済むからいいなと思う、というか何か考えてもあっという間にノイズに飲み込まれて書き出しができないのである。こういうのは訓練などで元に戻るのだろうか。このままだと今までより一層アンポンタンになってしまいそうな感じがあるので書き出せるようにはしたいと思う。近頃あまりにも創作に対する欲が弱すぎてひどい。しかし、これは前にもあった気がする。文章なんてもう何年も書いてい

          3月26日

          死→美→創作→鑑賞

          自分が死ぬところを想像するが、美しい美化された死のことばかり思うのである。 しかし死体に関しては汚いと思わないのが実際のところだ。慣れが大きいのであろう。なんでも、そうである。強烈な不快感を催すような物の中には強烈な美しさも、裏返しとして含まれているような気がしてならない。どちらも強烈な情報であることには変わりないのである。私は、近頃は強烈なものを書きたいと思っているのかもしれない。美、醜、快、不快のコントロールは難しいかもしれないが、強烈さという点は作っている最中にコントロ

          死→美→創作→鑑賞

          視覚的遊び!

          視点を動かさず固定 →眼球を固定しておくと、閉眼幻覚が普通の視界に入り込んできてフィルターがかかり、また、見ているものの残像が強く残るのでグリッチのようになってゆく。ちょっとした、暇つぶし程度にはなるわけである。 ↑これをすると面白いシチュエーション 風呂  風呂に入ると血行が良くなるためか閉眼幻覚の色も激しく蠢く。また、湯煙によって視界がゆらゆらしているので、ぼーっと見ているだけで面白い。まっしろな湯煙が程よくスクリーンになって、青色や緑色の輪が脈打つ。 ランダムな柄

          視覚的遊び!

          DXMとビジュアルスノウ

          たまたま見かけたネット記事で、私の見え方は万人が持っているものではないと知り、この視界について情報を集めたりしているところ、2chの過去ログがヒットした。 DXMがビジュアルスノウに大きく影響するらしい。LSDの後遺症としてビジュアルスノウが現れることもあるらしいので、幻覚系の物質とは確かに大きく関わりのありそうな病気ではあるのだが、面白い事例だなと思い、試してみることにした。 DXMの薬は色々あるけど、この人が使っているのがコンタックだったのでコンタックstの後継であるコ

          DXMとビジュアルスノウ

          日記書き起こし

          いろいろ書かずに全てを忘れることができても、その時の不安などが置き去りになってしまうから、不安を和らげるためにも書いた方が良いなと思った。頭の中だけでは整理がなかなかついてくれないなという感じである。ここ最近では創作に関する集中力の復活を感じるので、それはそれで嬉しいことなのだが。やはり私には言葉が必要である。不安、恐怖が私の中に溜まっていってしまい、良くない結果を誘発してしまう。言葉にしか救えない気持ちがあるということがわかった。暴れたりせず過ごせているのも紙とペンがあるか

          日記書き起こし

          9月16日日記一部書き起こし

          なんでも予測にすぎず気がするを多用してしまうなと思う。全部はっきりしない感想だから。 事象を見つめた時には感想かデータかどちらかが出てくる。多くの事柄には感想しか抱けないはずだが私の頭はデータを出せる事柄を優先して取っている気がする。頭がデータで溢れかえる。データがデータを呼んで、感想に結ばれて、そのことからまたデータが呼び出される。

          9月16日日記一部書き起こし

          編集なし書き文ママ

          日記に限りなく近い文章の書き方をして編集せずそのまま出してみました。 人間関係について思うこと どうしても人を信じ切ることができない。ポーズとして、表面上ではしゃぐことも、できない。というか、他の人が、遊んでいる様子を見てもそれがどういう心境なのかがわからないというのがある。不安にならずに、一度はそういった遊び方というかじゃれあいをしてみたいような気もするが、かなり異次元な話だなと思う。 誰かと遊びに行って、ご飯を食べていたとしてもどこかで我に返って、もしかして相手は超

          編集なし書き文ママ

          高校文芸部時代の小説8「夢の続き」

          このところ、僕はよくデジャブを見るようになった。デジャブとは既視感であり脳の誤作動といわれているが、それほどにも僕の脳はバグが多いのだろうか。それは増えている。 しかも、それを自覚したとたん視覚の機能が弱くなり、脳内の映像と現実が混ざって見えるのだ。脳はそれを夢の中で見たと思っており、僕もそう思っている。脳内映像は夢を基にしているらしいので多少の美化がかかっており、それが僕をよい気分にさせる。  現実にまで美しい夢が介入するこの現象はなんともいえぬ浮遊感があり、不思議で楽しい

          高校文芸部時代の小説8「夢の続き」

          高校文芸部時代の小説7「金魚」

          ある朝私は途方に暮れていた。金魚が動かぬ。 それはいつもと同じ憂いをたたえた目をして、滑らかな鱗つきの体を光らせているが、ぴくりとも動かずそこにぽっかりと浮いて漂うばかりである。前にもこんな日は二、三あった。その時は、金魚はいつしかゆらゆらと泳ぎはじめ、何時間か経ったのちには普段通りの姿でこちらに餌をねだっていた。しかし、今の金魚は少しも動く気配を見せない。それどころかまるで生気が感じられない。スーパーで売られる食用の彼らと同じ、魚肉の塊でしかない。 にわかに私の心に暗雲が立

          高校文芸部時代の小説7「金魚」

          高校文芸部時代の小説6「砂漠」

          目の前に大きな砂丘がある。私は砂漠を歩く。  この砂漠は暑くないし、危険な生き物もいない。いたって安全だが、その一方ほとんど毎日同じ景色で退屈だ。もっとも、昔は違っていた。おぼろげな記憶によればここはうっそうとした草原で、蒸し暑くたまに怖い動物が出てきた。  それがいつの間に砂漠になっていた。  この砂漠には何もないが、外部の飛行機がビラを落としてゆくことがあった。また、矢が飛んできて、それにビラがくっついていることもある。今日は飛行機が飛んできた。  例のごとく大量のビラが

          高校文芸部時代の小説6「砂漠」

          高校文芸部時代の小説5「自信の誤算」

          僕は休日を知らない道でただ漠然と過ごす。今日は休日であるから、そうやって過ごすチャンスが現れた。  今日は風がなく、蒸している日本らしい夏の日である。お昼前の時間帯はプール授業帰りの子供で溢れていた。僕が休む時、世は動いている。月曜休みの少し変わったシフトのせいである。  僕はすたすたと点在する子供たちの流れに逆走して歩いた。  このまま行くと公共スポーツ施設にぶち当たる。しばらく歩くと路傍の植木が豪華になり、アスファルトは色がきれいで、一目でお金の掛かった歩道だということが

          高校文芸部時代の小説5「自信の誤算」