改めて
久しぶりに小さい頃の写真を、アルバムを見る機会があった。
親とあぁだこぅだいいながら、
自分と一緒に育った訳ではない人と眺める。
ずっと、父からあんまり愛情表現されずに生きてきたと思っていた。
あけられたのは、たった2年半で、とんでもない分厚さのアルバムが2冊埋まるくらいの写真。
びっくりしたのは、父に抱っこされている写真がいかに多いことか。
愛されて育ったんだねぇ、と言われる。
本当にそうだな、と実感する。
ずっとあった生きにくさは、育ちのせいかと思っていた。
親からの愛情表現不足(愛情不足ではないよ)のせいだと決めつけていた。
まったく、自分の記憶力の薄さと、キャッチする能力の低さであることに認識が変わる。
そこから急に小学4年生ぐらいを見る。
顔が暗いものが多い。あんまり笑っていない。
今の自分でも、見るのに抵抗がある。
1番下の弟は、赤ちゃんの私よりも、ずっとずっと上手に笑っていた。
私はきっと、ちゃんと愛情は受けていた。
でも、弟達の誕生によって、その愛情が脅かされて、怯えてきた。
加えて、男ばかりの環境で育った勝ち気な私は、
女子独特の人間関係の難しさに希望を失って、ますます怯えていた。
そう、怯えてきた。
だから、私は昔の記憶があまりない。
とりあえず、ごめん、両親。
私はちゃんと愛されていたし、愛情表現されていた。
アルバムに書かれたコメントはめっちゃ失礼だが。
こじらせてきた怯えは、今ドンドン勇気になってきており、
味方をつけた私は、そういったことをまっすぐ捉えられるようになっている。
父に抱っこされていることに、気づくようになってきた。
幸せコワイ、まだ怯えはあるけれど、
ちゃんと安全基地は作られて、戦ってきた自分に胸を張る。
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