フミオ劇場 5話『ワシは柔道なろてたんや』
昭和49年頃のこと。
スケートボードの大ブームが起きた。
小学生の間でも、スケボーを持っているとか、スケボーに乗れると言う子が、ちやほやされた。
この物語の主人公フミオの子供たちは、持っていなかったのだが、その日フミオの8歳の息子、和彦がスケートボードを抱えて帰ってきた。
「姉ちゃん見て見て! スケートボード! 友達が貸してくれてん!」
玄関で叫ぶと3つ上の姉、樹里と、その友達の由香子が、二階の子供部屋からドタドタと降りてきた。
「うっわ! スケートボードや!」
「やろやろ!」
フミオの家の前はアスファルトの道で、向かい側に、だだっ広い駐車場があった。
その駐車場を囲むように、緑色の金網が張られていた。子供の腰あたりから下がブロック、その上が金網のという形状だ。
つまり、スケボー初心者の子供にとって丁度良いサイズである。
駐車場は土や砂利が多いので、子供たちはアスファルトの道路側から、金網に掴まった。
「こわっ。むつかしいわ!」
「危な、危な!」
バランスを保ちながら、片足に体重を乗せるだけで精一杯だ。
3人は互いのへっぴり腰を見てはゲラゲラ笑い、金網にぶら下がり状態になっては、ヒーヒーとほたえた。
そこへ、微かに車のエンジン音が聞こえてきた。
和彦がいち早く「あ、パパや」とその方向へ指を指すと、二つ向こうの筋から、フミオの白いセドリックが現れた。
駐車場に入り、車を停めたフミオが家の方へ歩き出すと、すれ違ったブチ猫がぎょっとして大股で走り去った。
ボンネットで日向ぼっこをしていて、虫の居所が悪かったフミオに「寝るなここで! なんべん言うたら分かるんじゃ!」と、殴られそうになってた猫だ。
フミオは、茶色のセカンドバックを小脇に抱え、両手をポケットに突っ込んでいる。
髪は天然パーマ、跳ね放題のボサボサリーゼント、無きに等しい点描眉、細く小さな目に加えて、全身から溢れ出す、なんとも言い難い”身勝手臭‘’。
和彦の呼ぶ〈パパ〉という呼称からは、激しく乖離している。もし全国パパ連盟があるとすれば、真っ先に訴えられる類いだろう。
そんな〈パパ〉フミオが、金網に群がる子供らに気が付いて、近付いてきた。
「何や、それ」
「スケートボード! 和彦の友達が貸してくれてんて。」
樹里が嬉しそうに答える。
「いま、流行ってるねん!」
フミオを同い年の友達くらいに思って懐いている由香子も、弾む声で答えた。
「パパ〜見て〜俺もう乗れるねんで〜ほらぁ〜」
網にしがみついて、ボードの上で小刻みに揺れながら和彦もフミオに自慢する。
「お前、それで乗ってる言うんか。駒ついとんのに、ちっとも動いてないやないか」
フンと鼻を鳴らしたかと思うと、フミオは
「貸してみぃ」
セカンドバックを樹里に渡して、和彦からボードを取り上げた。
そして、金網から離れ、道の真ん中にスケートボードをさっと置いた。
フミオの手慣れた所作に子供たちは驚き、なんやかんや言うても、さすが〈パパ〉ちゃう?と胸を躍らせた。
片足をボードに乗せたフミオは、芝居がかった動作で、顔を子供らの方へむけて高らかに宣言した。
「スケートとおんなじ原理や、駒に乗るっちゅうのは。よう見とけ!」
タッタッタッ。
片足を板に乗せながら、勢いよく地面を蹴り、
速度が上がったとこで、ポンと両足でボードの上に立った。
「わあ!」
すぐさま、子供たちの歓声が上がった。
その時だ。
フミオの体が、ふわっと宙に浮かんだかと思ったら【ゴンッ】と鈍い音とともに、アスファルトへ落下した。
スケートボードは【ジャーーッ】という軽快な音を鳴らしながら、ひとりで疾走していった。
「ウワ~!パパこけた!」
「ギャハハアホや〜!」
「アハハ! お腹いたい!」
フミオが、漫画のように見事にひっくり返ったのを見て、子供たちは身体をよじり大笑いした。
ところが、フミオが倒れたまま動かない。
「あれ……起きてけえへんで」
「……死んだんかな」
「嘘や。パパ死んだん? パパ〜!」
爆笑から一転、恐怖に陥った3人はフミオの下へと駆け寄った。
フミオはピクリともせず、空を見つめていた。
そして呟いた。
「ワシは……柔道なろてたんや」
ーー柔道?
ーーじゅうどう?
ーージュウドウ?
子供たちは理解に苦しみ、互いに顔を見合わせた。
樹里は、パパは頭を打って気がおかしくなったと思った。
友達の由香子は、救急車を呼ばなあかんのかなと思った。
和彦は、ジュウドって何やろ?と考えていた。
戸惑いつつ、子供らがフミオを覗き込むと、謎の呟きが再び聞こえてきた。
「もし……ワシが受け身せえへんかったら……いまごろ死んどる。せやけど、ワシは柔道なろてたからな」
そう言ってから、少し頭を起こし手のひらを地面にパンとつける動作をした。
「こうな。こけた瞬間に頭を守る。受け身っちゅう技や。柔道知らんやつには、こんなんでけへん」
どうやら、柔道を習っていた自分は〈受け身〉をしたので、無事だったと言いたいらしい。
だがフミオの両肘からは、血が流れているし【ゴンッ】ってあれは間違いなく頭打った音だ。
それでも、転けたことには一切触れず、
〈危機一髪のところ柔道を思い出して我が身を守った凄い自分〉
それだけをアピールする。
空恐ろしいほどの負けず嫌いだ。
子供たちは、ゼスチャー付きで力説されるのだが、そもそも〈受け身〉がよく分からないので、相変わらずポカンとしているだけだ。
だけどフミオは生きているし、受け身受け身とペラペラ喋っているから頭も大丈夫そうだと、胸をなでおろした。
ホッとしたら、思い出した。
「ああ! スケートボードは?」
「ほんまやー! ぜんぜん見えへんで」
「失くしたら友達に怒られるー!」
3人は、絶賛〈受け身〉解説中のフミオを置き去りにして、いっせいに駆け出した。
子供らの走る道路の先には、オレンジ色の綺麗な夕焼けが広がっていた。
その日、フミオが本当に柔道の受け身をしたのか。それは、誰にもわからない。
神のみぞ知る。
It's a ミステリー。
つづく