分骨という家族のかたち~納骨から今日までの振り返り(1000字)
祖父母が眠る墓からはこの海が見えます。私が幼かった頃、自転車の後ろに乗せてもらって何度も連れていってもらった思い出のたくさんある海です。
分骨
昨年、祖父が他界して「分骨」して私が引き取ったことを書きました。
祖父が逝ってから程無くして世界は一変しました。一年祭(仏教でいうところの一周忌を神道はこう呼ぶ)に親族が集うこともなく。墓じまいを担当するはずだった叔母夫婦もそれどころではなく。分骨という決断をあのときしておいて本当によかったと思っています。
納骨の日
2020年2月初旬の納骨の日のことを思い出してみます。雨、雪、霰にふられながらとても寒い日でした。
私はあまり体調がよくなかったのですが、墓じまいの話し合いは着々と進んでいました。これが最期となるならばと無理やりにでも立ち会うことを決意。最少人数の親族でジャンボタクシーに乗りこみ片道2時間。
私は祖母が生前、庭で育てていたカラ―の花が大好きでした。祖父が草刈機を庭で振り回して雑草と一緒に刈ってしまい、よく騒動になっていました。そのカラーの花を最後にどうしても墓前に供えたくて馴染みの花屋さんにお願いして仕入れてもらいました。
墓の中にいる祖母が「まぁ、おとうさん、よく見ちゃんなさいや。」と祖父に話している声が聞こえてくるようでした。
御神酒は「獺祭」を用意しました。祖母が先に逝ってしまい、1人残された祖父を激励するために誕生会に奮発して1度御馳走したことがあります。「はぁー、こりゃなんと美味い酒だの。」と喜んだあのときの祖父の顔がまた見たかったので。
分骨その後
祖父母は戦争を生き抜いた世代です。祖父の親友であったり、祖母の兄も戦死しています。何度も最期の別れのときの話を祖父母から聞いていました。祖父母の骨を預かるにあたって、立派な神棚は用意できなかったけれど、1つどうしても叶えたいことがありました。
畳の上で休ませてあげたい。
こちら長辺18cmのミニサイズの畳。ずっと探していて「これだ!」と。祖父母の骨と霊璽(仏教でいうところの位牌)をのせ、小さな小箱の中にゆかりの品と一緒に納めています。
いつでもあの小箱を開けたら祖父母に会える。たまにどこか散歩してるかもしれませんが。
墓を継ぐ人間がいなくなっていく時代。心さえ繋がっていられれば、それはそれで良いのではないかなって思っています。