広島原爆資料館にみる悲惨さの伝え方

2019年4月25日に3度目の大規模リニューアルを終えた原爆資料館がオープンした。それに伴って、雨天にも関わらず長蛇の列ができたと聞く。被爆者の高齢化にともない、直接その惨禍を語る人が少なくなる。ならば、わかりやすく、誤解を生まぬように、遺品の実物展示を重んじたと。遺品と向き合う時間を大切にする為にあえて各々を詳しく説明しなかったとも。(2019年5月4日朝日新聞朝刊より)

かつて広島に生まれ育った子供は、原爆再現人形と対面することを、ある種の’通過儀礼’のように平和公園遠足とセットで経験している。確かに怖かった。皮膚が垂れ下がり、髪の毛はちりじり、赤黒い照明に照らされた3体の人形があった。トラウマになるくらい鮮烈な記憶に残ってこその原爆資料館だと思っていた。

今回のリニューアルより以前、2017年4月25日にその原爆再現人形は撤去されている。(中国新聞のリンク参照)2つの新聞を読む限りでは真向う異なる理屈が原爆再現人形の撤去の背後にあるらしい。

1つ目として「怖いから」「ショッキングだから」撤去してほしいという観覧者の要望。2つ目に「原爆投下直後の現実はそんなものではない。もっと恐ろしかった。」誤解してほしくないという被爆者の声。

被爆三世の広島っ子としての正直な感想を述べさせてもらうとするならば「なんで?」「ほんとに?」としか言いようがない。3度目の大規模リニューアル後の資料館は未見だが、手を加えるたびにCG技術等が加わり、館内も現代的に明るくなり、言葉を選ばず言うと’おどろおどしさ’が無くなってきた。ハッキリ言って怖くない。原爆の悲惨さを目の当たりにした最後の1人の被爆者がこの世から去ってしまったときに、どうやって軌道修正するのだろう。原爆の記憶を綺麗に丸く収める必要があるのだろうか。

残酷なものを子供に見せなかったら、平和を望む優しい人間になるだろうか?むしろ逆ではないだろうかと危惧するのは私だけではないと思う。本当のところ誰に対する気遣いなのか、喉に魚の小骨が刺さったような違和感が残る。

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