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自然の一部になるということ【ザリガニの鳴くところ】

2019年〜2020年にアメリカで最も売れた本
全世界で1000万部突破
2021年本屋大賞翻訳小説部門第一位

様々な媒体で絶大な評価を得ているディーリア・オーエンズの「ザリガニの鳴くところ」。海外小説は積極的に手を出す方ではないのだけど、本当に出会えて良かった。
めちゃめちゃネタバレしていますので未読の方はご注意ください。

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----- 以下ネタバレあります ----- 

1950年代、ノースカロライナ州の湿地で暮らす少女カイア。
優しかった母はある日突然姿を消し、姉や兄も次々と出ていった。彼女は暴力的で酒に溺れる父と2人で暮らしながら「家族に捨てられた」というトラウマを抱えひっそりと生きていた。

村の人からは「湿地の少女」と呼ばれ距離を置かれ、蔑まれた。好奇の目に耐えられず、学校へは1度しか行かなかった。

彼女に優しかったのは、ボートの燃料を売ってくれるジャンピンと妻メイベル、そして村の少年テイト。
夫妻の大きな優しさに見守られ、テイトには読み書きを教わり、カイアは穏やかに湿地で暮らしていくはずだった。

ときは変わって1969年、ノースカロライナ州の湿地でチェイス・アンドルーズの遺体が発見される。彼は村でも将来を嘱望された、裕福な家の有名な青年で、多くの人が彼を失ったことを嘆き悲しんだ。
こんな彼を殺すなんて、いったい誰なのか?警察の捜査が始まる。


物語はこの二場面を行き来する。
飲み込まれるような深い湿地の中でカイアが強くたくましく生きる自然史のような記録と、淡々と進む捜査の過程は情景が違いすぎて接点が掴めない。しかしカイアとチェイスが出会い、あらゆる歯車が狂いだす。この感覚に心がぞわあとした。

筆者は高名な野生動物学者であり、自然と生物のリアルな描写がとても印象的だった。動物の野生行動をぼかすことなく濃密に、正直に描かれていることでカイアの暮らす湿地がいかに原生的な場所で、彼女が「人間らしく」というよりも自然の一部として生きているということが伝わってくる。カイアに孤独をもたらしたあらゆる出来事は野生の生き物の本能行動のそれであり、「私達も動物の一種でしかないのだ」と諭されているような気分だった。

たくさん傷ついて、それでもたくましく生きるカイアは強くてかっこいい。ジャンピンやメイベル、テイトの“近づかれすぎない”優しさに助けられながら、このまま穏やかに時間が流れればいいのにと願いながら読んだ。彼ら以外誰もカイアに近づくなとさえ思った。

作中ではホワイト・トラッシュという言葉が出てくる。恥ずかしながら白人の中でも差別的階級があったなんて知らなかった。

ホワイト・トラッシュ(プア・ホワイト)
アメリカ合衆国諸州の白人の低所得者層に対する蔑称。この蔑称は白人の中でも社会的階層の低いこと、また生活水準が低いことを示している。この用語は、社会秩序から逸脱して生きており、犯罪的で予測不能、そして政治的、法的、道徳的を問わず権威に従わないとみなされる人々に対して用いられてきた。

Wikipediaより引用

こういった国・地域・集団独特の根深い分断の描写は、それを知っているか知らないかでも感じ方が大きく変わってくる。例えば10代のスクールカーストや女同士のマウンティングを描いた物語の感想は、年配のおじいさんとその現場を乗り越えてきた私では全く違うように。
だからアメリカのこういった分断の感覚を知らずに読んだ私の持った感想は翻訳前の原作を読んだアメリカ人の読後感と大きく違うし、きっとカイアの気持ちを汲みきれない。湿地の少女と距離をおいた村人の気持ちも汲みきれないのだと思った。


チェイスとカイアが頻繁に会っていることを知っていた村人たちは「その時間、カイアが持つボートとよく似たボートに乗る、カイアによく似た背格好の痩せた人物を観た」という証言から彼女を法廷へ引きずり出す。陪審員はカイアを「湿地の少女」と蔑んできた人たち。
カイアの弁護士トムは彼らに、「これまでのあなた方の偏見は捨て、いまここにある事実だけをみて、判断してください」と諭す。自分たちから外れた者を排除したがるという人間の心理をトムはよくわかっていたし、それを黙って聞くカイアはもっとわかっていたと思う。まさに彼女が自然で学んでいた、”傷つき、目立ってしまう一羽に襲いかかるその他大勢の七面鳥”のように。
多数派と違うだけで、みんなで寄ってたかって排除にかかる。憶測を事実と混同させ、偏見の目で決めつける人間の醜い振る舞いに彼女は幻滅し、かつ動物としての本能の一片が残っているのだということを学んだのだろう。

警察に捕まったときも、法廷でも、カイアは一度も「やってない」と犯行を否定していない。読んでいる最中はそれすらも発したくないほど憔悴しているのかと思っていたけど、その理由は読了後に深く納得することになる。


トムの優秀な弁護の甲斐あってカイアは無罪を勝ち取る。その後テイトと結婚し湿地で穏やかな日々を送った。

そして64歳、ボートに乗りながら静かに彼女は息を引き取る。不謹慎ながら「彼女が先でよかった」と思った。カイアは、テイトをまた失う絶望を知ることなく逝けたのだから。

彼は必ず戻ってくる。そう信じられる喜びに深いため息をついた。生まれて初めて、置き去りにされる不安から解放されていた。

カイアの死後、テイトがカイアの私物から発見したものは、「ホタル」という詩と「貝殻のネックレス」だった。チェイスがカイアに贈られてから肌身離さずつけていたのに遺体にはなかった、裁判で争点となった、あのネックレス。

カイアの倫理観は人間のそれとはずれていただろうし、彼女もそれを自覚している。自然に育てられ、人間よりも圧倒的に野生動物と多く接したことは、カイアを「自然の一部」にした。
だからチェイスの件も、有罪とか無罪とか、そういった類でくくられるものではなくて「やられる前にやった」それでしかなかったのだ。

カイアは大半のことを自然から学んだ。誰もそばにいないとき、自然がカイアを育て、鍛え、守ってくれたのだ。
たとえ、自分の異質なふるまいのせいで今があるのだとしても、それは生き物としての本能に従った結果でもあった。

物語の最後の最後、すべてを知ったテイトを蛍たちが出迎える。「ザリガニの鳴くところ」、人間の価値観ではたどり着けない、深い深いところ。
カイアの真実に触れたテイトを、自然が「こっち側へおいで」と誘っているようで畏ろしくもあり美しいなとも思った。


映画も観てきたけど、私が文章を読みながら想像した“湿地”を超える濃密な映像でとても良かった。日曜日のレイトショーだったこともありなんと観客わたしだけ。貸し切りの大画面で、湿地とカイアの濃密な人生を堪能しました。


視覚情報抜きでこの世界観を想像する体験が本当に良かったので、本やAudible→映画の順が個人的にはおすすめです。

いや〜〜〜出会えてよかった。人におすすめを聞かれたら真っ先に口に出る小説名が更新されました。

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