フランツ・カフカ『変身』の感想
こんばんは!
先週のnoteに書いたとおり、フランツ・カフカの『変身』の感想を書きます。
先週のnoteはこちらから↓↓
読もうと思ったきっかけやどれくらいのスピードで読んだのかわかります。
⚠️ストーリーのネタバレ注意⚠️
4月16日の感想
グレゴール・ザムザは旅廻りのセールスマン。
朝起きると虫の姿になっていて、ベットから起きようとしている場面が描かれている。
ハウルの動く城で、ソフィが呪いをかけられて家族と会話している場面と似ている気がする。
グレゴールは虫になったのに、仕事のことをすごく考えていて、本当に虫になったのか?と疑った。
私が虫になったらもっと取り乱す気がする。
過去にグレゴールは、本当に虫になったわけではないという解釈をどこかで聞いたことがあるので、もしかしたらパラノイアのようなものなのかもしれない。
とにかく、私は虫が嫌いなので、虫の描写にぞわぞわした。
4月17日の感想
脇腹とか頭とか、体の痛みの描写がよくあるけど、それが『ザムザ』の中の「ズキ」で表現されているのかなと思った。
4月18日の感想
P.37に「けもの」という言葉が出てくる。
『ザムザ』に、「甘い言葉も笑顔も通じない 走り出したらもう獣だ」という歌詞がある。
「甘い言葉も笑顔も通じない」の部分は、説得しても理解してもらえない、虫なので笑顔もできないグレゴール(プロセカでは親を説得しても理解してもらえないまふゆ)を表現しているのだろうか。
4月19日の感想
家族に煙たがられてる描写を読むと、「否定形の笑顔でも欲しくて ニンゲン様なりきってる 亡霊」という『ザムザ』の歌詞が刺さる。
4月20日の感想
食べ物の好みは腐ったものや人間時代には食べなかったものに変わり、傷の治癒速度が速くなる。虫としての変身が進んでいく。
グレゴール自身も家族のことをよく考えている描写がある。しかし、自分の言葉を家族に伝えることはできず、見た目も変わってしまっているため、誰も理解してくれないのがやるせない。
今回『ザムザ』の歌詞っぽいなと思ったのは、P.82の部分。『ザムザ』の歌詞の「月の真下をうろつきながら考えてた 夜すがら 悪夢にどの指立ててやるべきかってね」に似ていると思う。
彼はグレゴールのこと。ソファにいるのは感情的になって熱くなった体を、冷たい革のソファで冷やすため。
自分のせいで家族を絶望に追い込んだこと(悪夢)に対して、どうしようという気持ちと今の自分ではどうしようもできない気持ちが感じられる。
4月21日の感想
グレゴールに会いたがっている母親。
妹は部屋の家具をグレゴールのために撤去しようと言う。しかし、どうやらそれは彼のためではないらしい。
グレゴールの人間らしい暮らしが失われていく。
妹がこのような行動に出た理由はP.88のこの部分にある気がする。
妹はグレゴールの世話をすることで自分の存在意義を見いだせたのではないだろうか。
プロセカのまふゆも親の期待に答えるために「いい子」を演じていて、共通点があるなと思った。
4月22日の感想
『ザムザ』で「どうか林檎を投げつけないで」という歌詞があったが、父親がグレゴールに林檎を投げつける描写がある。
どうやら母親はグレゴールを大切にしているようだが、この家族の雰囲気を見ていると、10年以上前にテレビドラマでやっていた『家族ゲーム』という作品を思い出す。
『家族ゲーム』を簡単に説明すると、様々な問題を抱えた上辺だけの4人家族(父、母、兄、弟)を、弟についた家庭教師がめちゃくちゃにしながらも何とかしていく話だ。(詳細は忘れたけど、本を読むのが大嫌いだった頃の私が、学校の読書時間に読んだ本のひとつだから何となく覚えている。)
この作品が家族再生の物語になるかはわからないが、「変身」によって家族のあり方が変わるのは間違いないだろう。
4月23日の感想
今日はそんなに書くことがないけど、みんなそれぞれにストレスがあるんだろうなと思った。
4月24日の感想
なんか文章とかリアクションが海外だなって思うから、いまいち現実味を感じなくなってきた。
そもそも虫に変わることに現実味を求めるのも違う気がするが、初日の感想に少し書いたように精神的なものとして解釈すると他人事ではないことはわかる。
時代の違いで現実味を感じていないというのもあるかもしれない。
4月25日の感想
家族はグレゴールなんていない方がいいんだと非難する。
グレゴールは家族のいる部屋から自分の部屋へ戻っていく。
ずっとご飯を食べていなかったので、グレゴールはかなり衰弱していた。
彼は家族のことを考えながら、息を引き取る。
グレゴールが死んだときの家族の反応に衝撃を受けた。
ザムザ一家は、神様に感謝もできない人生を送っていたのだ。恨んですらいたのかもしれない。
ザムザの苦しみも家族の苦しみもわかるから、行き場のない感情が今も心に残る。
深い絆にある者同士が「分かり合えない」という状況に、いよわさんの『あだぽしゃ』を思い出した。プロセカのまふゆ親子もそんな感じがする。
このあとに、ザムザ一家が下宿人に出ていけというシーンがある。
昨日読んだところでは下宿人が出ていくと言っていたから、負い目がなくなったものの復讐とでも言えるシーンなのだろうか。グレゴールが家族にとってどれだけ重荷になっていたのかを痛感する場面だった。
4月26日の感想
ザムザ家で働いていた手伝い婆さんも解雇されて、グレゴールを除いた家族3人の、新しい生活が始まる。
当たり前と言えばそうなのだが、グレゴールが亡くなってから、妹のことをグレーデと言っていたり、視点がグレゴールから第三者(作者、神?)に変わっていてすごいなと思った。
グレゴールの犠牲による家族再生とモチーフとしての林檎は、宮沢賢治を彷彿とさせる。
宮沢賢治についてそこまで詳しくはないが、災害の記録と自己犠牲という観点で見れば、『グスコーブドリの伝記』と近い作品かもしれない。
まとめ
実は、2か月前にやった読書のとき、『変身』も読もうか迷っていました。
そのときは、海外の本読みづらそうだなと思ってやめたのですが、結果的にちょうどいい時期に読めてよかったです。(↓サムネに『変身』がある)
『変身』では、主人公の「変身」に対しての救いが、主人公の犠牲だったわけですが、プロセカでは、まふゆの「変身」が幸福に繋がることを祈りたいです。