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ツインレイ?の記録27

5月17日
この日は、彼の現地言語学習の初回。
指導するのは私の学生で家庭教師のバイトをさせてもらう。

母親としてのメリー、彼の私を避ける態度、メリーの誕生日を祝わなかった私を無視するようになった同じマンションの韓国人男性のことなどで、私のインナーチャイルドが暴れ狂い、彼と会う前にどうしても私はメンタルケアが必要だった。

私が日々やっているメンタルケアは、とにかくインナーチャイルドと対話することで、文字を打ちながら自問自答を繰り返すというものだったが、最近は猛烈に絵が描きたくてとにかく頭に浮かんだものを衝動的に絵にしている。

絵はいつも二枚描いている。

最初は頭に浮かんだものを感情を発散させるかのように描き、二回目はそこからさらに丁寧に完成度を上げるようにしている。
そして二枚の絵を見比べて、少し感情が整ったことを確認するのだが、今回の絵はまるで二枚で一つのセットのような絵になった。


最初に描いた絵
二回目に描いた絵

前回の絵もそうだが、ただメンタルケアのためにやっていることだが、毎回何かと対になる絵を描いている気がする。

前回二枚目の絵

それは自分の中の男性性と女性性の統合か、インナーチャイルドの融合か、はたまたツインレイ統合を意味するのか、それは私にもわからないが、とにかく浮かんだものを即興的に短時間で描いている。

そうするとメンタルが少しだけ落ち着くのだ。

そんなことをこの日も朝からやっていて、いつも韓国女子と聴講している授業にも出ないと断った。

韓国女子には絵を描いているとは言わなかった。
彼女の価値観では絵は単なる遊びで、それがどれだけ大事なことかは理解できないかもしれないと判断し、とにかく仕事忙しいと言えば納得する彼女には仕事が忙しくて終わらないと伝えた。

そして昼には彼から連絡がくる。
その日何時に来るかについて。

私は家庭教師の学生の授業がないので、通常より早く戻れると伝えた。
学生は何時に来るかわからないと。
別に私は家に戻ってるから、早めに来てもいいし、学生に合わせて来てもいいと伝えた。

案の定彼は二人きりになろうとはしない。

「まあ何でもいいです」と返事した。

本当にもうどうでもよかった。

彼は私と二人きりになりたくない=私のことが嫌い

いつもの思考パターンに陥っていた。

17時半には学生が先に到着し、18時からの勉強会なのに少し遅れて彼が到着。

「スリッパ履く?」

なんてタメ口が出るぐらい私は彼に親し気だったし、彼も二人きりじゃないからそれほど警戒した様子もない。

一時間ほど勉強している間はとても楽しかった。
私たちは顔を見合わせて何度も笑った。
二人きりじゃなければこんなにも彼は私を見て笑ってくれるのかと思ったが、私も二人じゃないほうが自然と笑顔になっていた。

彼はこの国の厄介な発音に苦労していた。
学生は発音にとても厳しいので、なかなかOKを出さない。
それでも彼は真面目に一つ一つ練習していた。
私は彼に前もって言われていたので、二人の勉強の邪魔はせず、口を出さないようにもしていた。

そして勉強が終わり、食事を食べることになった。

この日のメニューは、ごまみそ豆乳麺と里芋の煮っころがしと茄子の浅漬けごま醤油味ときゅうりの浅漬けだ。

先週仕事で飲まされ過ぎて胃腸を壊したという彼のためだ。
前回はかつ丼が多すぎたと言われていたので、少食の彼のために今回は気をつけて少なめにした。

もう彼は私の味に慣れてきてしまったのか、「やさしい味」とか「おいしい」とか言ってくれなくなった。
それか、前に「やさしい味」と言われてうれしかったと伝えていたからか、もう言いたくなくなったのかもしれない。
彼にはそういうところがある。

最初、出会ったばかりの頃は私のことを本当に褒めてくれたのに、もう褒めてくれることはほとんどない。
これも、私が「褒められてうれしかった」と言ってからだ。

彼はあまのじゃくなのだろうか。
それか既婚者なので私を喜ばせないよう好かれないよう気をつけているからなのだろうか。
でも本来、普段でも人のことを褒める彼が極力褒めないというのは、逆に不自然にも感じる。

さらにこの時、彼は学生にも先日韓国女子と私にくれた同じ日本のケーキをプレゼントしていた。

これも、前は私にくれたプレゼントが個人的なものではないと見せつけられてる気がして、私は少しがっかりしていた。

おみやげをもらうたび、私はすごくうれしかったけど、結局それは誰にでもあげているので同じじゃありませんよってことなんだろうなと思った。

私にとって彼は別に何ら特別な存在でもないのだ。

それがわかったからこそ、やはり彼はツインレイなんかなじゃないと思うのだ。

そもそもツインレイとは体のパーツが似ているものだというが、身長が同じなだけで、特にほくろの位置が同じとかもない。

そう思っていたけれど、私はこの時、あることに気づいてしまった。

発音練習をしている彼の口元を見ていた時、下の歯の歯並びが同じだと思った。

さらに左手の手相が同じ。

ツインレイじゃないと思おうとしている反面、こういった同じ特徴にも気づいてしまう。

そしてご飯を食べながら彼と話した話。

韓国人の男の先生が私を無視するといった話について。
きっとメリーの誕生日を祝おうというのに対して私が断ったことを快く思ってはいないのだろうということだが、それに対して私が一番気になったのは「無視」というやり方に出たことだ。

私は、幼少期自分を捨てた母親からネグレクトを受け、現在は父親にも無視されているので、「無視」というのが本当に嫌いだ。

そして連絡をしても連絡を返さなかったり、既読無視未読無視に対して、私のインナーチャイルドが暴れてしまう。

だけど、返事をしないというのもその人のやり方だということを彼は言っていた。相手にも返事ができるできないの状況があるし、自分が開いているタイミングで相手も開いているとは限らないし、たまたまお互いの開閉のタイミングがずれているだけなのだと、彼は自分の両手を使って動きで説明した。

先週、彼の部下が彼は人に教えるのが上手いと褒めていたが、確かに彼の説明はわかりやすい。

そして誰もが私のように人に連絡を気軽にするわけでもないと。
これはほかの友人からも言われたことだからわかっているけれど、どうしても私は自分を基準に考えてしまうところがあり、連絡をしないということは興味がないんだろうと思ってしまう。

だからずっと会おうと言っても会ってくれなかった友人に連絡するのをやめたけど、三年ぶりに連絡したら相手が泣いて喜んだってことが理解できなかったと伝えたが、彼はよくわかると言った。

一度連絡がなくなればもう連絡しづらくなるところ、相手から連絡してくれたらそれはうれしいと。

「でも会えなくて三年間思わなかった日はないと言うぐらいなら、なぜ連絡しようとしなかったのか、私には理解できません」

と私は言った。

さらに

「あなたも私が送った内容の大部分は無視しますよね」

とも言った。

それに対して彼は「無視しているわけではない」と反論。

さらに

「最初はマメに連絡くれたのに徐々に関心なくなったんですよね。私が嫌いなんですかと聞いた時も答えなかったし、答えないのは嫌いな証拠だと韓国女子も言ってました」

と私は言う。

ああ、また私のインナーチャイルドが暴走している。

「そうやって、人が言ったからそうだろうと相手に言うのは、どうかと思いますよ」と彼が言う。

そもそも私は家庭教師の学生が私を好きだということも彼に言われるまでそうは思ってなかったし、別な友人にとって私の存在が大きいということも彼に言われるまでわからず、その友人に「私の存在大きいの?」と聞くと、「いつもそう言っているのになぜその人が言うと信じるんですか」と言われた。

「それは相手を信じてないことになるし、人から言われたからそうなのかと聞くのはどうかと思いますよ」

彼はやんわり言うが、同じことを私は彼にしている。

でも彼はわかっている。

「自分を守るためにそうしてるんですよね」と。

「傷つくのが怖いから、最悪の想定をして、嫌われてると最初に思っておけば、それ以上傷つかなくて済むと」

彼は私が傷つきやすいということもとっくに知っている。
だからこそ、はっきりと私を拒絶しなければならない状況は避けたいのかもしれない。
だから二人きりにならないようにしているのかもしれない。
だから期待を持たせないようにしているのかもしれない。
だから私に気持ちを言わせるような状況を作りたくないのかもしれない。

彼は自分を守ることは正しいと思っている。

だから私がこの日、絵を描くために韓国女子に嘘をついて彼女に会わなかったことは当然必要なことだったと言う。

「自分を守るためにそうしたんですよね」

彼はそう言うが、私は、彼女が「自分より絵を優先するのか」と思わないためにそうしたんだと反論。

「いや、でもそれも自分を守ってるし、それは正しいと思います。メンタルケアの時間は必要ですから」

それを聞いて、彼もまたそうなんだろうなと思った。
一人の時間を大事にしているし、それこそ周りに気を遣っている人だし、私のように自分の悪いところは見せたりしないから、その分ケアも完璧なんだろう。或いは家族という聖域では自分を晒しているのだろうか。

私は韓国女子に

「あなたは私よりいいところがたくさんあって悪い部分は少ないのに悪い部分もすべて見せるから、他人がそこを見るとあなたを悪い人と思う。でも私はあなたより悪い部分が多くてもそれは絶対に人に見せないから、人は私をいい人と思う」

と言われている。

私はたぶん、悪い部分も受け入れてもらいたいという試し行動があるんだろう。親には条件つきのペットのような愛情しかもらえず、ありのままの自分を受け入れてもらうことも認めてもらうこともなかった。そのインナーチャイルドが試し行動を起こしている。

そして私にとって、そこも含めて自分を理解してくれる人しか信用しないというプログラムが働いている。

この韓国女子に言われた話も彼にした。

「きっとあなたは私の悪いところを知って、そして徐々に私への印象も悪くなっていたのだろうと彼女に言われた」と。

「嫌いなのかと聞かれればそんなことないと普通に返すものなのに、それを言わないのは本当に嫌われてるのだろうとも韓国女子に言われた」とも。

でも本当は違うのは私はわかっている。

前に韓国女子に

「あなたの部屋に彼が来ないのは、ホテルのほうがリラックスできるし、わざわざあなたの狭い部屋には来たくないのだろう」

と言われたことがある。

別に彼女も悪意を持ってこういうことを言っているわけじゃない。
これはあくまで彼女の価値観なのだ。

だけど、彼が来ないのは私と二人きりにはもうなれないと自分で決めたからだと思う。

それでも私は彼の口からの否定を求めて彼にそう言ってしまう。

本当は彼がそんな人じゃないとわかっているし、そう思えないのに、それでもはっきりその人の口から聞かなければ信じないとまるで自分で決めているかのようにそうしてしまう。

私は言われた言葉を重視する傾向があるのかもしれない。

だから父の感情的な言葉、「いなくなってくれ」「消えてくれ」
元夫の「あなたのどこを愛せばいいんですか」
母親の「あなたなんて絶縁よ」
これらの言葉を引き出して、私の中の不信感に根拠を与えようとしている。

どうやっても彼のことは信じられるのに信じないふりをしてしまう。
だって言葉で言われていないから、信じられる根拠が言葉にないから。

だけど彼は言葉で言うことがすべてではないし、人にはその人なりの表現方法があると言う。

だから韓国人の男の先生も私に無視という方法を取るのだと。

無視が本当に嫌いで無視に耐えられないのも私自身の問題で、きっと大人はいちいちそんなことは気にしない。

でも私はそうやって無視して付き合いを断つぐらいなら、最初から親しくするなと思ってしまう。

捨てるなら産むな、拒否するなら優しくするな、傷つけるなら関わるな……私の中のインナーチャイルドが怒っている。

私が親しくしている友人も、本当に心から信用できるまで時間が経っている。ある友人だと十年以上。それを彼に言うと、それは長いと驚かれた。

だからそう考えると出会った時からすでに信頼できた彼は本当に稀なのだ。

だけど、無視されるとつらい。
だから連絡もしたくない。
彼もそれがわかっているから、私に対して簡潔なメッセージしか送らない。
言葉が長くなるほど私が曲げた解釈をしてしまう。
だけどそんな短いメッセージすらつらい。
どうやってもつらい。
もはや私は彼にとって腫物になってるのかもしれない。
そんな自分がつらい。

彼のせいじゃない。誰のせいでもない。
メリーと韓国人の男の先生と私の件も誰も悪くないと彼は言う。

そして彼も悪くない、私のインナーチャイルドも悪くない、私にインナーチャイルドを癒せるだけの器がない。

そう感じるのは、親になれなかった自分への引け目。
彼のような親の気持ちはわからない。
彼に父が重なる。その父の愛情さえ最終的にはなくなった。
そう私は思っている。
無視されるからだ。

一度父に私のインナーチャイルドが気持ちをぶつけたことがある。
すると「40にもなって何言ってるんだ」と鼻で笑われた。
父はこういう人だ。

はっきりいってインナーチャイルドの問題に年齢など関係ない。
70を過ぎても、死ぬまでも、苦しんでいる人はいる。

自分の中の傷ついた子どもは年を取らない。
それを年齢で蓋をしてはいけない。

私のインナーチャイルドは勇気をもって父に向っていったが、さらに傷つけられることになり、今や完全に父に対して背を向けてしまった。

自分で自分をケアするしかない。
でも親の愛情でインナーチャイルドを包むことが私にはできない。

この日、私は彼を門まで送った。

学生は一人でまだ残った。

時間が21時だったので、学生はまだ帰りたがらなかった。

学生も一緒に門まで行かないことに彼は少し動揺していた。
それほど私と二人にはなりたくないということだろう。

好きなら二人になりたがるものだ。私がいい例。
だけど彼のこういうところを見るたび、彼は私を好きじゃないのだなと毎回悲しくなる。

そして門まで二人で歩く間、私たちはまたぎこちない。
彼は私を見ない。並んで歩くのすら嫌そうだ。

帰りがてら私は彼に言った。

「この前、韓国女子との食事の時、途中で通訳できなくなってすみません。フリーズしてたと彼女に言われました」

その理由は彼女に話したが、それを言われないとただ私が変な人で終わるので彼にも伝えたほうがいいと言われていた。

だから私は、あの時彼の二番目の子どもの生年月日を聞いたからだと彼に伝えた。

「私の息子が生まれていたら、あなたの息子と同じ年です」

彼はとにかく私と二人でいたくないのか、会話をじっくり聞こうともしていなかった。

それでも私は話を続ける。

「もし、あなたが私の旦那さんだったら、流産で血を流している私の横でどうします?」

「え、とりあえずそばにいますね」彼は言った。

「寝ますか?」

これは、私の元夫がしたことだ。
二回連続の流産はつらいが、自然流産なのでどうしようもない。
前回、ただ自然に流すしか方法がないことを「学習」した彼は、もう調べる意味もないとわかり、痛みで苦しむ私を放置した。

あの時、私はどうにもならないことでも、「どうかいかないで」とおなかに手をあてながら泣いていた。
そうやって自然に逆らうことのほうが痛みが増すし、もうどうにもならないのだから、はやく流したほうがいい。
でも嫌だった。いかないでほしかった。産んであげられないことにふがいなさを感じた。
「待って、待って」と泣いていた。

その横で、元夫は寝ていた。

「二人の子どもなのにどうして?」と言う私に
「自分にできることがありますか?」と言った人だ。

「私の元夫は、自分にできることなんて何もないと言って、横で寝てました」

「それは答え方間違ってますね」

彼は言ったが、その時どのようにふるまえば正解かということではなくて、どう行動するかという話だ。

きっと彼ならおろおろしながらもそばにいてくれたんだろう。
娘がコロナで寝込んだだけで、どれだけ苦しいのかと想像しながらおろおろと心配していた彼だ。

やっぱりね……と私は思った。

私が求めているのはこの人で、一緒にいてほしかったのもこの人なのだ。

そしてきっと私の子どもだって、彼みたいな人のところに生まれたかったはずだ。

「胎内記憶ってのがあって、子どもは親を選んでくると言われてます。私はね、選ばれなかったんですよ。親として選んでもらえなかったんです」

これに対して彼は特に何も言わず、タクシーが来たら、私の学生にお礼を伝えてくれとだけ言って帰っていった。

学生への気遣いは存分にあるが、私への気遣いは一切見せようとしない。

私はもうわかっている。
この人にそんなことを期待してももう無駄なのだ。
この人はもう決めているのだ。家族のためにも私にはひとかけらの優しさすら与えまいと。

そして私もインナーチャイルドもわかっている。
「自分は決して選ばれない」と。

誰にとっても一番大切で特別な存在にはなれない。

私とインナーチャイルドは二人きりでひとりぼっち。
お互いを支えて慰め合うしかない。

ツインレイなんてもう幻想だと思う。
思っているのに、どうして私はまだ彼を求めてしまうのだろう。

その夜、彼は短いメッセージで、今日の勉強のことだけ書いてきた。
もう私の料理がおいしかったとは書かないし、私はただの勉強場所を提供しているだけの先生だ。

そしてまた孤独感だけが募る夜だった。

彼と出会ったことで、私は本格的にインナーチャイルドワークに取り組み始めた。

でもどんどん辛くなっていく。

過去のトラウマの原因を突き止めたと思ったらそこで解決というわけではなく、問題がどんどん新しくなっていく感じで、インナーチャイルドの問題が、現実にどれだけ影響を与えているのかを思い知らされる。

これまでどれだけごまかしてきたのかと、問題を突きつけられる。

どうしようもなく孤独で、孤独だから絵を描き、絵を描いても描いても癒されず、ただ孤独感と胸の痛みでおかしくならないがために紛らわしているようにも思う。

こうやって文字を打ち続けるのも、もはやツインレイの記録とかいうよりも、自分を保つためにやっているだけで、正直もうこんなにつらいなら、彼に出会わなければよかったとすら思ってしまう。

だけどそれはごまかしの人生を続けていくだけだった。

一体どっちがよかったのかもうわからない。

墓場で幽霊とパーティーをする話を思い出した。
死んだ家族や恋人と毎晩楽しく過ごす娘に外部の人間がそれは幻想だと伝える。すると目の前の家族や恋人はただの骸骨で亡霊で、一見彼女は救われたのだが、本人は幸せな日々を壊されたと嘆く。

何が幸せかは個人の主観に過ぎない。

真理に目覚めるかどうかも個人の選択で、わからないままのほうが幸せな場合もある。

でもすべてが必然と思う私としては、彼に会ったことも、それをきっかけにインナーチャイルド問題に取り組まざるを得なくなったことも、自分のごまかしの人生に気づいてしまったことも、自分が自ら決めてきたことと考える。

もしかしたら彼はツインレイなんかじゃないのかもしれないけれど、私を本来の孤独の地点に引き戻したのは彼だ。

彼は私を愛そうとはしない。
その分私は自分で自分を必死に愛そうと努めている。
彼に愛されることを願いながらも依存と執着を断とうと必死だ。

結局何だったんだろう。

もし彼と私がツインレイだとしても、統合の術もわからない。

彼が私を愛さない以上、ツインレイも何もないじゃないか。

なんでツインレイなんて概念を知ってしまったんだろう。

なんでこんな絵を描いてしまうんだろう。

ツインレイなんて自分に都合のいい解釈だ。

私は幻に憑りつかれているだけだ。

どうしたら忘れられるんだろう、会わなくても変わらない、冷たくされても変わらない、彼に愛されていないと思っているのに変わらない、傷つきたくないのに、これ以上もう傷つきたくないのに、連絡が来ても来なくても私は傷つくのだ。

前は少しでもたくさん彼に会いたいと思った。
でも今は会う日がきてもうれしくないし、会ったあとは孤独に苛まれる。

もう人に期待をしたくない。

つながらない、誰ともつながらない。

もはやそんな感覚だ。












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