ツインレイ?の記録10
2月17日
彼から一週間ぶりに返事が来た日。
私はとある別の異国で働くための面接に失敗したことを独り言のようにつぶやいた。
そして面接のことならアドバイスができるという彼に、一回目の面接の失敗ですっかり自信もなくして逃げたい気持ちでいっぱいだということを正直に伝えた。五日後の二回目の面接にむけて、どう立て直していいかわからないと。
2月18日
翌朝、彼はすぐに返事をくれた。
そして面接に向けてのアドバイスを丁寧にしてくれた。
そしてまず私になぜその国に行きたいのかということを聞いてきた。
ちなみに私の行きたい国はコスタリカだ。
私の最初の面接での大きな失敗の一つが「希望する国以外の国でもいいか」と面接官に聞かれたことに対して、曖昧な返事しかできなかったことだ。
それに対して彼も
「自分が面接官ならば、どこの国でもいいという人より、そこに行きたいと言う理由がある人のほうが、現地で想定した環境ではなくても強い意志で乗り切れる可能性を感じるので、そちらを選びます」
と言う。
そして面接で自分の考えややり方を主張することは不要、まずは基本的な知識や技術があることを伝えないといけないとも言われた。
私はマニュアルをとことん無視してきた人間で、授業でも教科書通りにすることを嫌う。しかしそのやり方で成功してきたのである程度の自信もある。
しかし、彼は
「自己評価を言われても初見の人は評価できません。それより、資格や業務経験などの事実を伝えることが判断材料になります」
と言う。
そして何よりマニュアルを否定することはダメだと言う。
「多くの人はやり方がわからないので、誰でも同じように業務を遂行できるようにマニュアルが存在するのです」
そして細かく私に欠けていた部分をわからせてくれた。
私は海外の大学での指導経験もあるし、資格も持っているのだが、それは後から伴ったもので、通常の教育課程を経て大学講師になったわけではない。
何も知らないところからいきなり現場にぶち込まれ、即実践で試行錯誤でやってきた。つまり経験が先、資格や勉強が後なのだ。
だから専門用語はわからないが、自分がやってきたことがそれにあたる。
日本語教育能力試験を受けた時も、自分がすでにやっていたり知っていることに難しい名前をつけられているのでそれを覚えるのに苦労した。
逆に専門課程を経ているにも関わらず、現場では使い物にならないという先生も見てきた。
だからこそ、私は知識だけあっても実践が伴わないということに対して嫌悪感を抱いていた。
でも彼の考え方を通して私は初めてマニュアルや基礎の大切さを知った。
専門用語も理解した上で実地経験で実行したことがあると答えることが必要だと彼は言う。
自分の気持ちと異なる回答であっても、基本「できます」と回答できる想定回答を事前に紙に書いて、練習しておく必要があると。
もう完全に私は準備不足だった。
事前に紙に書くとか、想定回答の準備など何一つしてはいなかった。
一回目の面接に失敗して当然だった。
私は彼のアドバイスや質問に対して返信した。
「あの国に行きたい明確な理由はなく、ただ心が動いた!それだけです。私は直感で動く人間で、「これ!」と心が動いたら大抵行動したら答えは後からついてきます。なぜ行きたいかの説明はできません」
こんなアホの子みたいな内容だ。
それと、面接であまりにも専門用語がわからず、日本語教育能力試験合格まで疑われてる感じだったので、二年前に独学一発合格した証拠に、過去問六年分やった記録まで写真で送っていて、アホこの上ない。
そして「嘘つけないので何でも顔に出るし、焦りとか動揺を表に出さないでいるにはどうしたらいいのか」ということも聞いている。
この日は日曜だったので、彼はすぐ返事をくれた。
「ただ行ってみたいから行くというのは理由になりません。旅行ではないのだから。なぜその国で教育したいんですか? 私にもまだ伝わってきません。きっかけは『行ってみたい』だとしても、それを昇華させて何か役に立ちたいと昇華させることが必要です。その国についてどこまで勉強しましたか? なぜそこで教えたいのかを自分の中で考え、文字におこしてみてはいかがでしょうか? そこがはっきりしないと次に進めないと思います。面接では動機が大事です」
特に印象に残った言葉は
「きっかけはただの気持ち、動機は作るもの」
というものだ。
なんだかすごく響いた。
彼から具体的なアドバイスを得て、私はその国についてさらに調べてみることにした。
・そこで日本語を学びたい学生はなぜ学びたいと思っているのか
・日本語を学んで何がしたいのか
・学生に対し、何のために何を教えているのか
・学生が教育に求めているものは何か
「ここまで教育してきた経験を思い返して、教育に対する考え方を整理してはいかがでしょう。求める教育が何なのかが熱意のような気がします」
本当に自分は何も考えてなかったと思った。
いつも直感や本能で動く私と違い、彼は現実的で、具体的に今何が必要とされているかを説得力が伴った言葉で言語化することができる。
私は一回目の面接がなぜダメだったのかがよくわかったし、その国について何も知らなかったということを思い知らされた。
2月19日
出社前の彼から返信がくる。
自分は面接の対応については教えられるが教育は専門外であるということ。それでも彼なりに知っていることから考えても、私が大学で教育をすることになるまでの過程は珍しい事例であり、面接側も判断が難しいとのこと。
対応が大変ではあるが、次の面接まで三日。短期間でできることを調べて対応するしかないということだった。
私は、彼が「教育は専門外」と書いてきたことや専門家に聞くのが一番いいと伝えてきたことに対して
「つまり、対応できないし、もう面倒は見れないって意味ですか?」
と率直に尋ねた。
そもそも私ははっきり自分の言いたいことを伝えるタイプだが、彼は丁寧で言葉を慎重に選んでくるのでわかりにくい。
婉曲に断っているのか、本当は嫌なのか、どうしたいのかが見えてこない。
そして気の短い私は、あれこれ忖度しても時間の無駄と思ってしまうので、直接的に「嫌なんですか?」と誰に対しても聞いてしまう。
もし嫌ならダメなら早く知りたいし、変な期待をしたくないのだ。
それは、幼少期親に捨てられた体験がそうさせているのかもしれない。
この時は気づかなかったけれど。
前回私は面接に向けて彼に「私のいいところなんですか?」と聞いている。
いつもたくさん褒めてくれていたから、改めて聞いてみたかったのだ。
だけど彼はこれに対して答えなかった。
だから私は学生たちに急遽アンケートをとって、私の授業や先生としての私に対して思うことを書いてもらった。
これを通じて、学生たちが私が思った以上に私を評価してくれていて、私の熱意や愛はちゃんと伝わって受け入れてくれていたことを知った。
それがうれしかったことも含め、私は彼に長文のメッセージを送っている。
私は彼に伝えたいことがたくさんある。もっと自分を知ってほしい。
でも彼が拒絶するならば、これ以上はもう頼まない。
私は白黒はっきりしたいところがあって、何より「拒絶」に耐えられない。近づいても拒まれるなら、全速力で逆走する。
私の悪い癖がまた出たと思った。
本当は頼みたいのに、相手が少しでも嫌なんじゃないかと感じると、「嫌ならいいです」と先に言う癖。
早く拒絶を知りたくて、生殺しに耐えられなくて、そして何より拒まれるのが前提みたいなその態度。
私はそのことに気づいて、素直にメッセージを送る。
そして面接の下準備として夜中まで調べたものを見てほしいと頼んだ。
「すみません、やはり見てもらいたいです。見てもらいたくて夜中までがんばったし、だからこそ見えてきたものもあるので。もう少しで点が線になる」
これに対してその夜、仕事後の彼から返事。
私の「嫌なんですか?」に対して「手厳しい解釈ですね笑」と返してきた。
見れないという意味ではなく専門的な評価ができないから、正しいかどうかまでの判断はできないということだった。
それでも一般的な視点であれば意見を言わせてもらうこともできると。
そして私は早速彼に自分なりにこの国についてまとめて調べたものをWord文書で送った。
これを調べていた時、私はある部分に感動して号泣している。
それはその国の幼児教育についてだ。
徹底的民主主義国家であるこの国では、小学生でも違憲訴訟ができる。
そして小学校に入学してすぐに「誰もが愛される権利を持っている」ということを誓う。
私の親が離婚したのが五歳。
六歳から祖父母の家で育つが、そこは温かい家庭環境とは言えなかった。
もしも私もこの国の教育のように「誰もが愛される権利を持っている」ということを知っていたのなら……。
私は親が勝手に離婚して自分で選んだ場所でもないところで祖母に嫌々引き取られた。衣食住は満たせたものの、愛情だけは得られずに、自分がここにいていいのかどうかという不安をいつも抱えながら、自分がぞんざいに扱われることへの理不尽さに怒りを感じていた。
引き取られたのは父方の祖父母の家で、祖母は母を嫌っていた。私は孫というより「母の娘」で、父を溺愛する祖母は、私には冷淡だった。
父も祖母が大切なマザコンで、私が陰で祖母にブラシで殴られたことも信じようとはしなかった。
母親は私に関心がなく、簡単に私を捨てた。
その傷が癒えないまま、新しい環境で「居候」と言われながら育った。
いつも居場所がない感覚。母親の愛すら知らない。
それは私が悪いのか? 愛されない私に問題があるのか?
「誰もが愛される権利を持っている」
この言葉にあの頃の自分が救われた気がした。
過去の私に私が言う。
「あなたは当然愛される。愛されていい存在だ」
私は声を上げて泣いた。
ほかにも知れば知るほど、なぜ自分がこの国に強く惹かれたのかがわかった。
教育理念も生活の理想も自分のベースにあるものとほぼ同じで、こんな国があるのかと今さらながら感動して泣いたと彼にも伝えている。
自分の直観力は大したものだが、調べることが大事なことだということもこの時知った。
2月20日
夜遅く、もう彼が寝る時間の22時半、彼は私が送ったものにしっかり目を通して返事をくれた。
短期間でよく調べたと言ってはくれているものの、引用元がわからないということと情報源がどこなのか確認する必要性を説いた。
さらには、私が書いたことへの問題点。
例えば、自分が教科書を重視しない教育法を得意としているという書き方は、日本語の教育指導法を否定するような表現になっていると。
日本が推奨する教育法のベースを踏襲した上でオリジナルの教育アプローチをしたいという言い方が角が立たないだろうと。
また、私が幼児教育に感銘を受けて、そのことばかり書いているので、本来の目的である大学生に日本語を教育するということから外れているという指摘。この国の日本語教育事情が情報としてないということ。
さらにはクエスチョンの連続で、私が書いたことに対して穴だらけな部分を質問攻めにされた。
読み終えた私は一時間ぐらい放心した。
まったくぐうの音も出ないとはこのことだ。
厳しい指摘の数々に、正直落ち込んでしまった。
しかし、その後三回ぐらい読み直し、こんなにも長文でここまで細かく指摘してくれているということは、かなり読み込んでくれたのだということに気がついた。
無駄なフォローや曖昧な言い回しがないからこそ、厳しいとは感じるものの、何が悪いかが明確だ。
私はこのメッセージの裏にある彼の大きな愛と優しさを感じた。
そこには彼の中にある「誰かのために役立ちたい」という強い信念があるような気もする。
私は彼に指摘された部分をもう一度見直し、調べ直した。
気づけば徹夜作業となった。
そして朝5時半、すべて終わって彼に報告。
改めてWord文書を提出。
そしてさらに面接についてどのような質問が飛ぶのかも調べた上で相談。
すでに一次選考を通過している私は、自分の弱点について問われたことに対して、「率直すぎること」と上げている。
「特にすぐに怒りを表に出し、我慢ができず、思ったことをすぐ口にしてしまう。気が短く物事の結論を急ぐ傾向がある。自分のことになると忍耐力に欠け飽きっぽい。しかしすぐに忘れてまた同じことを繰り返す。この忘れる性質は相手が長く気にするところもあるため、直接的な感情表現は避けるべきだ」
これに対して面接官に突っ込まれることは何かと彼に聞いている。
さらに、私は話すとバカっぽいという指摘もあり、どうしたら彼のように落ち着いて賢そうに見えるのかということも尋ねている。
そして一睡もしていない私はここで寝た。
その夜、彼から返事がきた。
そしてまた面接官の立場からの厳しい指摘。
弱点に関しての部分は、「自分の性格の説明をされてもよくわかりません」という突き放すような言葉。強みでもあるし弱みでもあるという書き方がBESTだろうと。しかしもうこれは既に提出しているものだからどうしようもない。「弱さだけを掘り下げて言わないこと、弱みだけ言ってもマイナスです」と言われてしまったが、もともと弱みをさらすことに抵抗のない私は書きすぎてしまったところがある。
面接対応については、「聞かれていることに端的に答えることが大事」ということを指摘してくれた。
確かに私は無駄話が多く、聞かれていることに対して結果的に答えていないということが多い。一次面接の失敗もまさにこれだ。
彼にも「最悪なのは、聞いていないことを話し始めたり、体験談が長すぎて脱線することだ」と書かれている。
これ、普段の私のメッセージの特徴でもあるのではないだろうか。
彼への想いが強くなり、最初に比べて言いたいことをそのまま書きすぎてしまって、読んでる彼は疲れてしまっていたのではないだろうか。
「質問と関係ない話が面接では一番嫌がられます」
私は人の話をろくに聞いていないところがある。
何もかもお見通しでわかっているような彼の発言に私は気まずさでいっぱいだった。
他にも細かく注意点が書かれている。
それはもうもはやチャットの文量を超えて、画面スクロールをし続けなければ読み切れないほどで、もはや巻物レベルの文量だった。
これは面接前夜のこと。
忙しいにも関わらず、彼は仕事後私が面接に間に合うようにここまで書いてくれたのだ。
なんて大きな愛だろう。
人としての愛が深い。
2月22日
ZOOMでの15分の短い面接が終わった後、私はすぐに彼に報告のメッセージを送った。
面接直前まで何度も彼のアドバイスを読み、メッセージの画面を開いた携帯を目の前に置いて面接に挑んだことも。
直前ではあるが、彼に聞かれたことに対してよく調べた甲斐もあって、面接官にはコスタリカについてよく調べていると言われた。
そして一回目の面接では曖昧になった反省から、二回目では強く言ったのが、
「私はこの国に行きたいです。この国じゃなければ行きません!」
ということだ。
最後に面接官に「あなたのこの国への愛はようわかりました」と言われて面接は終了。
一回目の面接よりも和やかな雰囲気で、私は自分ができるだけのことは今回いた上で面接に挑んだので、一回目とはちがい、二回目は清々しい気分で終わった。すべて彼のおかげである。
それなのに図々しくも
「私がんばりましたよ! だからご褒美に前に約束したラーメン連れてってください。お願いします!」
とメッセージを送っている。
その夜彼から返信がくる。
「準備できたことを話せたみたいで安心しました。何事も準備が大事です。面接の結果が良いことを祈ります」
要約するとこんな内容だ。
見事にラーメンのことはスルーされている。
それでも私はまたすぐに彼に会えるだろうと思っていた。
またマックで四時間おしゃべりしたり、ごはんを食べに来てくれると信じていた。
だけど、それから一ケ月、彼とは会えないままだった。
そして既読無視されて、連絡も絶えることとなる。
それでもこの日私が確信したのは、私にとっての彼は、私にとっての憧れの国と同じだということ。
最初は理由もわからずに惹かれた。
そして知れば知るほど、自分がなぜこんなにも強く惹かれたのかがわかった。
魂の直感と言っていい。
こんな国が存在するのか、こんな人が存在するのか、その存在を知っただけでも私は感謝できるのだ。
その国を支配したいわけでも奪いたいわけでもない。
そこに辿り着けなくても、その国が地球に存在していると知っただけでも奇跡に感じる。
他の国じゃダメで、その国だから行きたいと思って、もしも実現しなくても「ほかの国で妥協はできない。代わりなんてないんです」と声を大にして言える。
私にとって彼はそういう存在だ。
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