性に、言葉はいらない。
こんにちは。官能美オーガナイザー直美です。
なぜ私が官能美オーガナイザーなのかというと、
官能(身体)で感じる快をセンサーとして
生きているからです。
体が悦びや快の領域にあると
あらゆる面が統合された美を
味わえることを体験し、
お伝えしています。
女性はとくに
日常生活でがまんしない、
自分にとって気持ちいいこと、
心地よいことをして
身勝手になることで、
まぐあい(性行為)では
お相手の不足しているエネルギーを
充電させてあげれるし、
いざ最愛の人達の死(看取り)のときも
充分にたちまわれる力が
蓄えられます。
わたしの体験では、最愛の人たち
(恋人やパートナー、子供など)の看取りは、
多分オリンピック選手以上の
卓越したエネルギーが消耗されるし、
使い果たした力をまた充足するには
3年以上はかかります。
女性の体は男性よりも
自然から電子エネルギー(マイナスイオン)を
たくさん吸収できるように創られているから、
人や男性達から、
足りないエネルギーをもらったり
奪わないようにすることも大事です。
月日を重ねてエネルギーを得ていくと、
孤独を極める強さも備わり、
ひとりの静寂の美しさに触れていく…
始まりと終わりはひとつであり
ひとりである、という概念が
身体でわかるようになります。
わたしの自宅は
ほっとする最高の空間なのですけれど、
自由なのにせつなくなったり、
次々とやることに駆り立てられ
ルーティンに縛られているな〜と、
エネルギー不足を感じると
頻繁に軽井沢の森に行きます。
光、緑、鳥の鳴き声、澄んだ水、
雨の後の空気の輝き、
デッキで紅茶と読書。
軽井沢はわたしにとって、
自然に還る第二のホーム。
浅間山の近くで。
裸足でアーシング。
体の芯があったかくなるような、
きもちがいいことを受け入れて。
きもちがいいと、波に乗る。
その波に身を委ねてただよう。
苦しみはもう、必要ない。
するべきことは何もない。
なしとげなくてはいけないことも何もない…
そんな湧きあがる想いでいると、
どこからかヒラヒラと
黄色い蝶々が手にとまって。
山に抱かれている深い安心感…
母性愛に包まれているこの感覚。
わたし達女性は、
愛が足りないものを包む母性を
携えて生まれてきた。
でも、自分が誰なのか見失っていたり
エネルギー不足のときには
母性は開かない。
わたしたちオンナは、
ただ自然に還るだけで
自分の足りないエネルギーを満たせることを
忘れている。
女性達が、
社会に対抗し、抵抗し、争い、
社会や男性からエネルギーを奪おう、
充足してもらおうとすると
地球の女性性、母性は
ないがしろにされ
ますます哀しみが深くなっていく。
性とは、
性以前の働き。
性とは、
異なる存在との交感を促す力である。
自己の存在以外は、全て異性。
水、空気、植物などの全てがちがう性質の存在。
異性との交感は、
広大なエネルギーが生まれ
宇宙と繋がる。
それが、快である。
その快が絶たれるとき、
自分の存在意義を失う。
そして根本的な孤独感、
病気が生まれると言われます。
異性との交感が、
わたし達にとっての最高の心地よさであり
エネルギーの源。
それが、性本来のちから。
木の根っこは官能的な姿!
一本だけ、白く光る幹。
木に絡まる木。自然の官能美。
自然や森は、沈黙しながら
大きな目で私を見ています。
ヌードなわたしをみて、
わたしの心をそのまま写しだす。
言葉がない自然、
動物や鉱物や植物、
異性との交感、
性行為などの方が
一体感がふかまっていく…
性に、言葉はいらない。
幼いころ、
私にはたくさんの夢があって
想い通りになったことは
ほとんどない。
でも、想い通り以上のことが叶っている。
夢みた以上の
豊かな環境にいて
自然としあわせになってる。
想いどおりにならなくても、
期待どおりにならなくても、
幸せでいるこの事実は
本当にすごいなーと思います。
そう感じながら、
自分の人生が自然と
花開く方向に
身を委ねる安心感に、
今日も浸っています。