見出し画像

【超常刺激の危険性】自分の感覚を見失ってはいませんか?

五月病なんて言葉がありますね、今年の5月がやたら長く感じます。
『終わらない皐月』なんてどうでしょう?
あら、なんかカッコ良い。

いやもう自分の感性が心配ですYoshikiです。
駆け出しのボイストレーナーとしては順調なはずなんですけどねぇ…

冗談はさておき、今回は警鐘記事みたいな内容になります。
ぶっちゃけると、みたいも何もって感じの警鐘記事です。

僕は「超常刺激」が嫌いですし怖くて仕方ないんです。
この言葉に聞き覚えがある方でしたら、きっと好きな方はいないはずなのですが
つい求めてしまうんですよね。


1. 超常刺激と人間の脳

さて。

なんでもかんでも数があればいい、強ければいい、大きければいいってモノではないですよね。
例えば料理は味が濃ければ必ずしも美味いわけじゃないでしょう?
何事もバランスや程度が大事なんです。

今の世の中では何もかもやたらめったらと増えていきますが、
減らした方が良いもの、弱い方がいいもの、小さいほどに幸せになるものなんていうのはたくさんあるんです。

その中でも得に減らした方がいいもの、減らさなくてはならないものが超常刺激です。

もともと自然界に存在し得なかった強度の高い刺激のことですね。

(音楽に関係ないと思いましたか?実はめちゃくちゃ関係ありますよ)


具体的な例を挙げる前に人間の脳について少し触れておきましょう。

同じ霊長類のゴリラと比べて3倍ほどの大きさがある人間の脳ですが、脳自体は体重の2%ほどしか重さがありません。人の頭が体重の約10%(ボウリングのボールくらいの重さ)なのも考えると、頼りないくらい軽いのです。
にもかかわらず1日の全身のエネルギー消費の25%は脳の活動によるものなのです。
つまり、「ものすごくエネルギーを使う機関」ということです。

この「ものすごくエネルギーを使う機関」は、一般的には1万年前から大きく変わっていないと言われています。
洞窟壁画は4万年以上前のものがいくつも見つかっていますし、人は料理を覚えて賢くなったとも考えられているのですが、料理の起こりは100万年前に肉を焼くようになったことからと言われており、3万年前のヨーロッパにはパンのようなものもあったとされています。

これらのことから分かるのは『人類の進化は何千は愚か、何十万年という単位で遡って見られるものだ』ということです。


脳が長い歴史をかけて次第に進化してきていた、そしてその進化は数万〜数十万年という単位で語られるものだというところまでは想像がついたでしょうか?

ここまでの話でもう気づきかと思いますが、
生活の要式はこの数百年で急激に変化しています。

それはもう、現在の人間の脳が正常に対処することのできる限界をはるかに凌駕しているような…


処理しきれない超常刺激にさらされることにより、脳は常に興奮状態になり、休まるタイミングがなくなってしまい、鬱になったり落ち込んでしまうのではないかとされているのです。

例としてあげられるのは、ジャンクフード、インターネット、ポルノ、ブルーライト、テレビ、ゲーム、薬物、タバコ、過度な音圧&速さの音楽など。

さらに言えば、町中にある広告の類は人の感情を揺さぶり注意を引くようにデザインされており、都会の街中というのは常に四方八方が超常刺激に溢れていると言って間違い無いでしょう。

そうしたあらゆる「ビジネス」は、人の心理の仕組みを巧妙につき、興奮させて正常な判断を鈍らせ、非合理的な判断を正しいと信じ込ませます。

これらは人間の脳を、そして二次的には体を、超常に興奮させ、極度に疲労させ、中毒状態にし、感覚を麻痺させ、そして壊します。


よくわからない、思い当たる節がないという方は先ほどの脳の話を思い出して見てください。
人間の脳は体全体のエネルギー消費のうち25%を締めるという話です。

過剰な刺激を脳に与え続けるのが危険だということは想像に容易いはずです。
ただでさえどの器官よりエネルギーを使い、
他の臓器に対して圧倒的に激しく働いている、
最重要器官である脳が常に超常刺激に晒されたら、
それは
人間の全身のうちの25%に影響を与えてくるなんていうものでは済まない話になるのです。


2. 現代病との関連性


実はというほどのことでもないのですが、僕にもうつ傾向の強い時期がありました。もともと躁鬱で気分のアップダウンが激しくなってしまう体質ですね。
加えていうと、ADHDの性質も見られます。
生活に多少の不便もありますが、なかなか治るようなものではなく、時によってはコントロールが非常に難しいものです(普段はむしろ、僕は症状の強さに対して相当コントロール能力の高い方だと思います)


私はこれらの症状の原因が、
どれも超常刺激にある気がしてならないのです。


一般には「遺伝的な要因がある」とされているそれら性質が、「いくつか特定の条件を満たしている人に多くみられると」いうのを知っているためです。

僕の気づいた範囲では、

・幼少期のトラウマ、愛情不足(特に片親など特殊な家庭環境)などの過度なストレス

・ある程度の超常刺激にさらされやすい都会的環境(少なくとも田舎や自然に溢れたでは無い)での生活経験

・内向的、現実逃避的な趣味、興味を持つ(あるいはそういう人物が身近にいた)

などの共通点が見られています。


三つ目に関しては一見すると遺伝的にも思えますが、いずれも遺伝ゆえに身につくものではなく、後天的に環境の影響を受けて得られることのある条件です。

自身を含め、躁鬱的な傾向、ADHD的な傾向を持つ知人にはこれらの条件を複数満たしている人間があまりにも割合多いのです。


例えば、境界性パーソナリティ障害、摂食障害、気分障害、依存症、解離性障害などについては、後天的ものである可能性が指摘されています。

対してADHDは、遺伝要因の強い神経発達障害とされ、養育要因などまったく関係がないとされてきました。

ところが、遺伝子について調べ尽くされるにつれて、遺伝子の関与だけでは、とうてい説明がつかないということがわかってきようなのです。
実際には遺伝要因と環境要因との相互が作用しているのでしょう。

きっと身近なひとの顔、もしかしたら鏡に映るように自分の顔を思い浮かべている方もいるかもしれません。
思い当たる節、あったでしょう?


3. 音楽は超常刺激か??

思うに、現代の音楽はもしかしたらそうなのかもしれません。

音楽が良いとされる所以は元々自然から来ているものでして、リズムもメロディも和音でさえも元々自然になったものを論理的に解して再構築したものに過ぎません。何気ない自然音にも音楽は宿っています。鳥も歌いますものね。

ところが、音楽もファストフード化しているように感じて仕方がないのです。
過剰に添加物の混ざった「有無を言わせず旨い」と思わせる味だと思うのです…

「それはきっと美味しいのだろうけれど、果たして本当に美食なのだろうか?」と考えてしまうのです。
私が思うに、食事というのは食べ終わった後まで楽しめねばなりません、というのは体に良くなくてはならないのです。
ファストフードはというと、体に良いことばかりではないどころか体にとって良くないことが多く起こるものです。

これを音楽に置き換えるならば、いっときの感情の高まりや強い快感を過剰に摂取して中毒になった時、素材本来の楽しみ方が分からなくなったり、より強い刺激以外で快感を得られなくなってしまうことが考えられるのではないでしょうか??

何なら消化不良を起こしてしまうケースもあるでしょう。
「騒々しくて何がよかったのかすらわからなかった」
「スピーカーの爆音のせいで(あるいはイヤホンのせいで)突発性難聴になってしまった」

楽しみ方も含め、音楽はこうだったろうか?と私は不安になるのです。


まとめ

マインドフルネスや瞑想が流行ったのは何年前からでしたか、まさに流行るべくして流行ったものだということですね。

既にこの日本は立派に超常社会なのだと思います。

慢性的に疲労し、IQが落ち、うつ傾向が強まる…
快適さを求めた結果は皮肉な現実を生み出してしまいました。


注意して欲しいのは、過去に回帰しようと言っているのではなく、その刺激に晒されて麻痺していないか?という話です。


忘れてはならないのは

「心から求めたものが、必ずしも人を幸せにするとは限らない」

という事実です。

例えば、その先にあるはずの平和を願って争った結果の戦争。

例えば、夢の実現を願ってかなった時にえる理想と現実の差への失望。

超常刺激を求めた挙句に脳の限界を迎えてしまうのと道理は同じなわけです。


僕が歌を愛しているのはこのこともあってです。

本来、人は誰しもが歌うことができる生き物です。

そのための感覚を、技術を、一人ずつ、一つずつ取り戻していきたいものです。


今回はここまで、ありがとうございました。

よかったらサポートお願いします!! レッスン用の機材や専門書籍の購入、イベントの開催費用に充てます。 あなたのお気持ちでYoshikiの活動の全てがグレードUPします!!!