「虎に翼」ってちょっと少年マンガっぽい
突然、#虎に翼 について書きたくなったので書きます。
最初に結論ですが、なんかだんだんジャンプのマンガを読んでいるような気がしてきました。
と言いつつ「虎に翼」は大好きで毎日観てます(そのせいで朝がドタバタです)。
初回とか初回とか、甘い食べれない(×n回の)桂場さんとか、進歩的で良いこと言いつつも己の固定観念の呪縛を見事に演じてくれた穂高さんも魅力的だったなぁって思います。
あと仲野太賀さん(ここだけ俳優名でごめんなさい)。「季節のない街」からの流れで、これからおっかけたい俳優さんだと強く思いました。
しかし、知っている何人かの人が、それぞれ違う理由でドラマ視聴から「離脱しちゃった」と聞きました。たぶん、今自分も離脱するかどうかの分岐点にいるような気がしたので、あえてこれを文字にしておこうと思ったんです。
でも、何と言っても、轟さんです。花岡さんその他同級生の、TOXICで卑屈で小心な男性性を「それは男らしくない」という、それはそれは大きな”男印の風呂敷”で包み直す。言っちゃっていいなら再定義する。そんな彼の立ち位置は、男性が自身の男性性を考えるうえで、過度な自己否定や原罪論に陥らないための思考のベクトルを示してくれているとすら感じました。
んー、それだけに戦後上野の街角で虚ろになっていた轟さんに、よねさんが花岡さんのことを好きだったんだろう?と問いかけるシーンは、感動しつつも「ん?」となった部分がありました。「好き」「惚れてる」という言葉を与えれば、「好き」という感情に落とし込むことはできるんだろうけど、同性愛でもなく、友情でもない、でもどっちにも転びうる。そんな曖昧な関係性の中での言葉にできない感情だったんじゃないか。そして、そんな感情があっていいじゃんって思いました。そこには、よねさんの”色恋の現場を見すぎてしまった”がゆえのバイアスがあったんじゃないかなぁ。
もちろん、よねさんの言葉が轟さんにとっての心の落とし所となって弁護士として活動に進めたという面もありましたね。
それはさておき。
「虎に翼」はジャンプのマンガっぽい。
ドラマ前半までの寅子さんは、他のキャラにはない芯の強さというか、「変わらなさ」がある。その異常なまでの変わらなさゆえに、周囲の人に影響を与え少しずつ変化が起きる。ジャンプでいうと、まさにルフィみたい。
そして、寅子さんの前には、はるさんの予言どおり地獄めぐりのように次々と敵が現れてくる。
翻弄される。泥水をすすらされる。時に特訓もする。
そうすると、最初はとてもかなわないと思われた敵をいつの間にか乗り越えていたり、敵が仲間になったりする。これもとってもジャンプっぽい。
ときには、対穂高先生のように象徴的な意味での父殺しもある。
しかも、観ている私たちは知っている。
次々に現れる敵は、新潟編で顕著になったように、場所を変え、攻守を変え、姿かたちを変え、時に理解者(わかり手!)や協力者のフリをして現れてくる。それは2024年現在も現実社会で進行中のこと。だからこそこのドラマは「寅子の寿命」という着地点以外に終わりようがない。仮に寅子さんが不死設定であったら(そんなわけないけど)、108巻超えても終わらない「ワンピース」みたいになりかねない。
だから、これからは自分は、優未さんと寅子さんの、よねさんと寅子さんの、桜川さんと玉さんと寅子さんの、そして何より花江さんと寅子さんの関係を見ていきたいなって思いました。
自分は敵インフレ系のバトルマンガ、苦手なんですよね。
なので、もうバトルは軽い気持ちで押さえつつ、(精神としての)大正から昭和初期~戦後の中で翻弄された人たちが、これからまたどう繋がったり、繋がらなかったりするかを観ていきたいと思います。
最後に、素敵な画像を制作して、私たちに使用OKとしてくださった、「sado774」さんに心から感謝いたします。ありがとうございます。
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