妬んでしまう自分が嫌い。
こんにちは、菜穂です。
昼休みにジムに行ってきました。
今週は全然行けてなかったので、明日も行こうと思っています。
ジムに行くと安心します。
ちゃんとやってる自分に。
たった30分、ストレッチ&ウォーキングしているだけなので、
ほとんど自己満足の世界です。
今日、ランニングマシンでウォーキングしていたら、
ワイヤレスイヤホンの片耳がするりと落ちました。
それに気を取られて、足を止めてしまい・・・
あとはご察しのとおり。ベルトに乗って地面に投げ出されました。
人もまばらだったので見てた人はほぼいなかったと思いますが、
自分でダサいやら情けないやら。
サササと元に戻ってウォーキングを再開しました。
(きっと誰もみてなかったでしょうけど)
#書く習慣 #1か月書くチャレンジ
昨日のnoteでも書いた通り、わたしは自分を好きではありません。
強烈に嫌いというわけでもありませんが、でもここが嫌いと言える部分、
はっきりと認識しています。
それは、
変えることのできない自分の過去を何度も振り返って悲しくなるところ。
自分でもわかっています、思い返したところでどうにもならないと。
過去の栄光を思い出すときは大概、病気が悪化していて、
「なぜあの時、病気になってしまったんだ」
と思い更に辛くなるパターンがほとんどです。
逆に躁のときの破天荒な自分が羨ましくなって、またあのように生きたいと思ってしまうことも。
躁うつ病の人が考えてしまいがちな思考ですが、
なんでそう思うかというと、なににも(その時は病気にも)囚われず、自由に動くことができるからです。
結果、病気が悪化いてしまうにもかかわらず、また躁になりたい!
あの時の自由を取り戻したい!
布団をかぶって苦しみながら、躁になりたいと思うのです。
「今」を生きることができず、過去に逃げ込んでしまう自分は本当に嫌いです。
もう1つ、自分自身の過去ではなく、知り合い・友人が活躍していると、
妬んでしまうところがあります。
あの時同じ教室にいたのに、20年たってなんでわたしはこうなんだろう・・・
あの人は自分のやりたいことにたどり着いて、きらきら毎日を過ごしている。ああ羨ましい。
その時の(美術系の学校の)クラスメイトには、イラストレーター、デザイナー、アートディレクター、写真家、会社経営者、タイと日本を行き来して好きなものを売ってたり、
ワインバーの店主をしていたり、、、そんな夢をかなえた人が多くいます。
以前、ワインバーの店主をしている友人に、そのことを話たことがあります。
「SNSはみんなきれいなところだけ切り取ってみせてるから、
そう見えるんだよ。」
といわれました。
きっとその通りなんだと思います。
地味に生活している日もあれば、失敗続きだったり苦労していることもあるのでしょう。長い年月コツコツと積み重ねた人もいるでしょう。
結果的にキラキラしたところにたどり着いたのだと思います。
頭ではわかっていても、心がやっぱりモヤモヤとしてしまいます。
わたし、この20年何やってたんだろう。と。
そのときにいつも、病気のことが思い浮かびます。
病気がなかったら、わたしはもっと別の生き方をしていたはずだ!
強く病気を憎たらしくおもいます。
でもそれも過去。切り離しはできませんし、
この先どうやって生きていくのか?
それしか嫌いな自分を好きになる方法はありません。
誰も妬まずに、過去の自分を憎まずに、誇らしく胸を張れる日を、
自分で作っていくしかないのですね。
また病気に邪魔されないように、コントロールしながら、
私がやりたいと思うことをやっていけるといいな。
自分の嫌いなところ、
隠しておきたかったところを正直に、吐露してみました。
読んでくださってありがとうございました。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?