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『頑張らなきゃよかった』手を抜くことの大事さを知った出来事。

こんにちは、菜穂です。

先ほど本業のほうで、上司経由で、やり取りしていた社内の人から
軽いクレームを言われてしまいました。

とりあえず、今抱えてる案件の進捗を全部確認して、
この先どう言う風にしたら同様のことが起きなるのか考え中です。

正確に言うと、相手側にも非はあったのですが、
それをプロとしてこちらが管理できていなかったのが問題で。

定期的にコミュニケーションをとっていく仕組みづくりと管理を
自分なりに行い、そして怠けず行う。
相手任せにしてしまったのが問題だなぁと反省しています。

ちょい凹み。
すみません、いまだけ凹ませて。

#書く習慣 #1か月書くチャレンジ

テーマ:DAY20 これまでで一番の後悔

しかわゆき『書く習慣』


あのとき、無理をしなければよかった。
もっと気楽に手を抜けばよかった。

わたしが躁うつ病になったきっかけになったあの日々の前に、戻れたなら。

育児もしながら、土日を返上したり、いったん家に帰ってから夜中に会社に行って仕事をするような無茶をやめておけ、と言いたいです。

たとえそれが、自分のやりがい全開で責任のある立場であっても。

あの時は、自分自身のキャパをわかっていなかったし、
いくらでも頑張れそうな気持でした。
子供生まれる前はもっと仕事していたんだから、大丈夫と。
入社してから、ずっと「疲れた。からが勝負だ!」なんて自分を鼓舞していました。
今思えば、なんてバカな考え方なんだと思います。
たしかに、頑張るときも大事で、そんな時があったこそ見えた景色・任せてもらえた仕事があるのだと、経験上わかります。

今まで頑張ってきたからこそ、その時任せてもらっていたプロジェクトは、自分が中心となって立ち上げることができたとおもっています。
だから、やりたい気持ちが勝っていたのです。
会社自体も大好きで、期待に応えたいという思いもありました。

アルバイトで入社して「やっとここまできた」そう思いながら毎日頑張っていたことを今でも覚えています。

でも、頑張らないで手を抜くことのほうが大事な時期もあるのです。
例えば、小さい子供を育てているとき。
圧倒的に体力・気力を回復時間が少ない。
それまでのように、仕事以外は寝てるなんてことはできません。

壊れるまで自分ではわからないものなのですね。
本当に限界まで来てしまった時、やっと行ったメンタルクリニックで、休職の診断書をもらった時に、上司に
「半分会社にきて、半分は休んだり運動したりするのはどうだろう?」
と言われました。
最近の研究で、軽い運動がうつ状態を軽減させるらしいからと。
「あなたは、仕事が好きなのだから完全に休まないほうがいい。」
という言葉と共に。

その時のわたしは限界を超えた状態で「この人は何を言ってるんだろう」と悲しくなったけれど、
今ならわかります。あれは、上司の優しさだったのだと。
今休んでしまったら、もう戻って来れないかもしれないという配慮でした。

その通りに、結局退職することになってしまいました。

躁になって、働けるようになって、再入社させていただくことはでました。

しかし今度は、「仕事 or 家族」という、どちらかを選ばなくてはいけない事態になりました。
わたしは、今現在でも大好きと言えるほど、その会社のこと・商品のことが好きでした。
でも、躁がよくなるにつれて、家族が恋しくなったし、家族が一緒に過ごすことが一番だと思うようになってきました。

そして、2度目の退社をして地元に住む家族の元へともどったのです。
結局は病気が悪化して家族とも離れることになり、両方を失いました。

あのとき、両方のバランスをとって、頑張りすぎなければ。
いまだに、仕事と家庭の両方を保ったまま、さらにキャリアを積んでいたことでしょう。

ムリしていいことはありません。
今は本当に頑張るときなのか?頑張れるのか?
進みながら自問自答してみてほしいのです。

一度病気になってしまうと、もう二度と戻れません。
ストレス耐性が弱くなってしまうからです。
少しの無理が命取り。再発してしまうようになります。

そうなる前に、立ち止まって。
辛いなと思ったら、頑張り方を考えてほしいです。






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