クリスマス前に絶対知っておいてほしい、お肉のお話③
前回までに、健康面、環境面のお話を簡単にしました。短い記事ですのでぜひご覧ください👇
3回目の今日は、動物がテーマです。
そもそもクリスマスは「救世主イエスの降誕を祝う日」とされています。現代においては一般的に、家族や大切な人と時間を過ごし「愛」と「平和」を感じる日となっていますよね。
「愛」と「平和」、これが今回のキーワードです。
クリスマスには多くの家庭で写真のような食事が並ぶと思います。鶏肉や豚肉、少し奮発して牛肉を用意する家庭もあるでしょう。この様子はごくありふれたクリスマスの光景で、何も不思議に感じないと思います。私も以前はそうでした。
でも、ほんの少しで良いので考えてみてください。
家畜と見なされ消費される鶏や豚・牛たちと、ペットとして大切にされ消費の対象にはならない犬や猫たちとの違いは何でしょうか?
そもそも、違いは本当にあるのでしょうか?
仮に、食卓に犬の肉が並んでいたらどうでしょう。気持ち悪いですか?実際に今でも中国の玉林(ユーリン)では「犬肉祭」として数千匹の犬が食肉処理され食卓に並んでいます(記事リンク)ので、犬肉は食べられない訳ではないし、実際、「美味しい」と地元の人は舌鼓を打っています。
しかし、犬肉を食べることに対して抗議の声を上げる人は大勢います。鶏や豚や牛たちが自宅の食卓に並んでいることは棚に上げ、犬肉を食べる人たちを本気で非難しているという現状があります。
韓国平昌で開催された冬季オリンピックの際に、海外選手が犬肉を食べる習慣を非難したことは記憶に新しいですよね(記事リンク)。片方の手では犬肉を食べることを非難しながらペットを撫で、もう一方の手では豚や牛や鶏肉を食べる。まさにそんな状況です。
知っているでしょうか?
豚は犬よりも知能が高く、キレイ好きで家族や仲間への愛情に溢れていること。牛はチンパンジー並の知能をもち、人間の言葉を理解し、感情も豊かなこと。鶏は産んだ卵を懸命に体で温め、人間と同じように自分の子どものために尽くすこと。
そして何より、彼ら全員に「仲間の苦しみを感じることのできる力」「痛みを痛みとして認識できる力」があること。
2世紀以上も前、英国教会牧師のハンフリー・プリマットはこのように述べています。
獣は痛みを感じる点において人間に劣らない。感覚をつかさどる同じような神経と器官を具え、体に暴力的な作用がおよぶと、言葉や人間の声で不快を言い表すことは叶わぬにせよ、叫びと呻きは人間の発するものと同様に、言語の壁を超え、聞くものに痛みの感覚を強く訴える。(シェリー・F・コーブ「菜食への疑問に答える13章」新評論、2017年、p.30)
畜産動物もペットとして可愛がられている犬や猫と何ら変わりません。
それにも関わらず彼らの命をまるで物のように扱い、虐待や暴行、強姦、虐殺することが当然とされています。
犬が虐待されているのを見て憤る人は当然とされ、鶏や豚・牛が虐待されているのを問題視する人は嘲笑の対象になるのはなぜでしょうか。
このクリスマスの時期には、大量の畜産動物の命が奪われます。
畜産動物たちは、なぜ「愛」と「平和」の対象にならないのでしょうか?
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