ベランダ菜園は=小宇宙の創造主になる土と太陽と水の恵み体感”ごっこ”。
この間、ベランダ菜園スタジオ^^からYou Tube配信してみたのだけど、
友達に感想聞いたら「天地返し」がおもしろかったといわれたー。
「天地返し」って、忍法みたいだけれど、
土をひっくり返して天日に干し、太陽光で殺菌することである。
去年の野菜や花を植えていたプランターのかちかちに固まった土を再生利用する際、前の根っこに付着していた菌を、まず死滅させ、
それから堆肥や石灰などを加えて混ぜて、土のpHを整える。
わたしも詳しいことは知らない。
だけどお天気のいい日に布団を干すように、土もいきなり去年のものを使うよりは、いったん、太陽の日を浴びてもらうのは、いかにも気持ち良いものだ。
ベランダで野菜を「自ら」つくる、ということは、
何もかもホームセンターやネットで買ってきて農業資材を一式揃えることとは違う。
と、わたしは考える。
(もちろんある程度は買う物は必要だろう、わたしも苗や肥料は買った。苗屋さんありがとう)。
ただ、自分でつくるということは、この消費時代からの!卒業~♪である。
消費(購入)をもちろん多少はするけれど、
なんでもかんでも金で手に入ると思うなよ、というテーゼである。
同時に生産の喜びを手に入れることである。
はっきり言って、たのしい。
パーマカルチャーという考え方がある。
オーストラリアから生まれた=パーマネント(永遠の)とアグリカルチャ-(農業)・カルチャー(文化)を組み合わせた造語で、
身の回り(1つの森ぐらいのスケール)にあるものでぜんぶずうっと循環させようという考え方であり実践方法。
いわゆる「資源循環システム」。
なのである物のリサイクル、リユースが基本である。
しかしオーストラリアの人に言われる前から日本には、#里山 #SATOYAMA という暮らし方があった。
地球がひとつの森(生態系)だと考えたら、地球にある物質は変わらない。
右から左に~左から右に~物が移動しているだけ。
山で木を切り出して家を建て、炭を焼いてエネルギーにし、山菜やきのこや…
ほどよい自然との距離感。
昔ながらの日本人の農村(里山)の暮らし。
じつはこれこそ、#新しい生活様式!
隣人とのほどよい距離、自然との付き合い方、
ときどきは街に出て買い出しをする。酒場で飲みもする。
田舎へ引っ越そうと言いたいのではなく、(この喪が明けたら)移住・定住、2拠点になる人は増えるだろうが。
都市にいてもどこにいても、考え方(ライフスタイル)を資源循環型にしないと、いい加減、地球が悲鳴をあげてるよ。
だから新型コロナも人間社会の変化が森の奥地から見えない生命体をこちら側に送り込んできたのだと、熱帯医学の専門家(「感染症と文明」著書で長崎大学の山本太郎先生)はおっしゃっていた。
このインタビューすばらしい
↓ ↓ ↓
だから、農家だろうがサラリーマンだろうが、資源循環じゃない産業はつまりサスティナブルではない。
今回、資源循環型(持続可能)じゃない農業の脆弱さが明るみになったのもそういうことだ。
逆に言うと、都市で通勤するサラリーマンでもサスティナブルな暮らしを取り入れることはできる。
それがベランダ菜園。
まあやってみてください。
たのしいから。
ベランダで野菜をつくることを、わたしは「自給」とは思っていない。
自給(自足)はハードルが高い上に、排他的である。
もっとゆるやかに、和やかに、包摂的に、なるべくは自力で、自前で、自助努力して、自立をめざそうという姿勢(方向性)こそが、他者への感謝やリスペクトにもつながる。(自給だけでは生きていけない)。
ベランダ菜園は、ベランダという小宇宙(ミニ地球)を創造主として支配する”ごっこ”である。
いまあるものに、どうにか少しづつよその物をトレードしてきて、富(食)を生産することなのだ。
基本は、太陽と土と水。
だからおとといなんて東京は雨だったけど、野菜づくりをしていると雨がありがたくなる。
水やりしなくていいもんな、ってな喜びである。
そして緑の葉を眺めていると、雨を喜んでいるのがわかる。
いきいき!ハリが出てくる。
そんな思いを胸に秘めながら~
You Tubeでもしばかっぽく喋っている~
だって、循環だの、地球だの、消費からの卒業だのって言ったら、
みんな面倒くさくて見てくれないものね。
見てくれるかな、どうかな。
ま、わたしも動画は楽しくやりたいので、きょうここにブツブツ書いた。
ふぅ~~。
伝わるかな~。
3年前の内藤とうがらしのブログも、よかったら見てね!
江戸東京野菜、東京にも伝統野菜があるのです。
↓↓↓