馬と風と海とひとつに★信頼を知る★夏のリトリート・Veena Reatreat ★

破壊と信頼★手放しに絶対に必要なことは?

★さて、今日の記事は
本当は週明けにあげようとして、書いた記事。

ところが、文章を書き終わった数時間後に
前回の記事で書いた事が、
脳裏にバゴーンと入ってきて
記事をあげるどころでは、なかったのでした。

でも、読み返すとまさに
これがあったからこそ、
私は大事なことに気づけたと思います。

それは「信頼と希望」

私が結局、言いたかったことを
今の言葉で、先に書いてしまいます。

★人が
自分らしく幸せに健康に生きたい。
自分を変えたい。
としたときには

必ず
ここまでの自らと向き合う必要がある。

気づいて、手放し
パターンを変えなくちゃいけなこともある。

それは
潜在意識の中にある
誤認知・要らない観念・偽の自分。

でも、そういったものを
手放そう、昇華させようとするのは
いざとなると怖い。

だって、それらは自分を支えてきたもの。
それを手放したあと、「私はどうなるの?」

自分や、自分の人生への信頼もないのに
手放す事なんて、出来ない。

だから、ほとんど人は
そこそこ向き合って、そこでやめて逃げ出す。

もちろん、表面意識で逃げてるつもりはない。
その代わり、いい体裁をみつける。

それにとっておきなのが、
本質のない中二病なスピリチュアルもどきだとか、
依存的な宗教だとか
上書きだけさせる自己啓発だとか
対処で誤魔化せるヒーリングや医療だとか。

いいところまで、気づいておいて
結局、最後に自分と向き合うのから逃げ
綺麗ごとで誤魔化すには
非常に、都合がいい。

私は、そんなんに反吐が出て
まずはインドへ東洋思想・東洋医学・精神世界を学びに行った。

ただの対処にすぎないヒーリングも、もうやめるつもりだった。

★もし、私は
ヨーガや氣功に出会っておらず、自分を信頼することを見出せていなければ
とうてい、手放しや誤認知の修正なんて出来てきていないだろうと思う。

自分を信頼できてくると比例して、自分の中の見たくないものと向き合えてきた。
いや、それでも、まだ見えていないこともあるに違いない。

あって当然。だって、もう完全にクリアしてたら
もうこの地球にいなくて、本気の解脱をしている。
この世にいない。

内観も、精神分析も、心理療法も大事なことだ。
それと同時に、自らを信頼できる精神性・霊性も必要だ。

同時にどちらも。

自分の中の暗闇を探検できるのも、
その先にあるものがわかっているから。

それを信頼できるから。

ただ暗闇を歩くのは、怖いだろう。

でも、その先を知っていると
それは
ただの闇雲な魔界や、闇ではなく

コンサートの始まる前の
暗転のステージのようなもの。

これから、繰り広げられる、楽しいステージが
その先にあるのはわかっている。

それが信頼。

★だいたい、もともと
悪魔なんていない。神様もいない。

しかし、それを人は、生み出すことが出来る。

そんな自作自演のマーヤの中で
自分が認めたくない、自分の内にあるものを
何でもかんでも、誤魔化す。

自分で生み出した悪魔をやっつけようとしたり、恐れたりし
自分で生み出した神様にすがっておがむ。

目を背けて、綺麗ごとで誤魔化すことも
それと同じことであり
自分を生きていないことと同じ。

★様々な承認欲求もそう

サットという存在
チットという力
アーナンダという愛を
認めてくれ‥認めてくれ・・
あると証明してくれ。

そうやって
今まで、それを外に依存してきたのに
「依存できなくなったら、どうすれば?
私は露頭に迷うのか?」って。

だから自己信頼がなければ、
依存もやめれないだろう?

自立・自己統合には、
まず自己信頼がないと
こわいものになるだろう。

サットチットアーナンダ
最終的にそれを認めるのは、自分だ。

信頼と、破壊や手放しは、
ワンセット。
それがベターだと思う。

以下は、先週の月曜日に書いていた
その、信頼と破壊のお話の本文です。

★自然の中で
馬に乗っていると
変性意識に入り

自分が、
馬なのか?風なのか?砂なのか?海なのか?空なのか?
わからなくなる。

その自然界全てに
自分が溶け込み
いつもの自分は消える。

★写真はヴィーナリトリートの。
お子さんと参加するリトリートという企画で
乗馬したもの。

一昨年は阿蘇の山で。
去年は宗像の海で。

自然界全てと
一体になってしまい

馬を信頼して
その瞬間だけに、ただいると

自我は消え
その全体の何かを
俯瞰して感じている
別の自分だけになる。

★乗馬だろうが
サーフィンだろうが
ヨガだろうが

そして
人生だろうが
きっと同じ。

はじめて乗馬をしたのは
マルタのゴゾ島だった。

初めての乗馬なのに
何の練習もなく

いきなり馬にまたがって
いきなり道路に出て
いきなり海までお出かけ。

ビビろうが、どうしようが
馬に身体を乗せるしかない。

その道中で手綱の操縦を教わるという
いい加減さ。
いい加減とは
良い加減と言ったもの。

ほんの数分
馬に身を任せているうちに
恐れは消えた。

ただ、馬が愛おしくて。

乗馬クラブのオーナーは

「Rena
はじめてとは思えないくらい
上手だよ。
初めての人は、もっと
怖そうに乗るもんだ。

君は馬を信頼しているね」

と言った。

「Trust」
と、確かに言った。

私は、ゴゾ島で
「信頼」ということを
実体験で腑に落とした。

★観念となったものを
破壊していくのは
とてもコワい。誰でも。

でも、
「破壊しても大丈夫なんだ」いう
信頼があると、自然と破壊は起こる。

私が恐れを破壊できる程、
馬を自然に、信頼出来たように。

しかし、その信頼を
外に求めた時点で
話はまた変わってしまう。

破壊が起こったかに見せて
結局は誤魔化し
ハリボテをする事になる。

ハリボテをしてしまったら
その本体は、まだ自分の中に残ったまま・・。

ヴェーダは
「その信頼は、外にはなく
内にしかない」と教えてくれる。

それを見出す作業が
ヨーガの哲学や実践。

その昔
「お願い、誰か私を破壊して」
なんて思っていたが
無理なんだとわかった。

方法は教えてくれる。
力も貸してくれる。

でも、最後の最後
その破壊作業は
自分で叩き割るしかない。

「叩き割ってしまったら、私はどこに?私はどうなるの?」
そんな状態で、叩き割れるはずがない。

それを叩き割ったあとの
自分を信頼できるかどうか。

だから、信頼を同時に
見出していくことも大事。

★この地球は
抜け出せない輪廻・カルマ・業の中なのだろうか?

そんなことはない。
パターンはひとつひとつ破壊できる。

ゲームと同じ。
プログラマーは必ず、エンディングをプログラミングしているが

何度も同じステージで失敗して
やり直しになるのは
失敗から大事なことに気づかず、学ばないからだ。

とはいえ
様々な誤認知に

気づいて気づいて
破壊しても破壊しても

まだあったか・・と
どんどん出てくるものだが

しかし、その度に軽くなる。

どんどん、玉ねぎの皮はむけて
本質に近づいていく軽さ。

そして最終的に
この破壊活動は最終ステージクリアの
特典映像をみるための
ゲームみたいなものだろう。

★今年の易経からのテーマは
「天火同人」だった。

そんな人生という学びを
楽しんで乗り越えてくれる同人、家族、仲間。
ソウルファミリーの事も
信頼していこう。

そして、
自分自身の本体こそを
信頼するのだ。

・・・以下省略して
雑談に飛びます。

★雑談

今日は空港から
非常にパワフルな太陽を見ていたら

次のお休みには、久しぶりに
宗像に乗馬に行こうという気になりました。

今日の太陽が「信頼と希望」っていう
エネルギーに満ち溢れて見えたから。

実はホテルで寝坊し
東京から福岡へ戻るフライトの
搭乗締め切り時間に間に合わず

変更不可なチケットだったため
新しくチケットを、買うしかなくなった。

夕方の便をとって
開き直って
空港のラウンジで、
思考の整理、心の整理と
色々見直していました。

それはそれは
お陰で
とてもいい時間になりました。

「なんか、私にまだ、終わってない謎解きがある・・。」
「ピースがひとつ足りない」
そんな凄い大事な事に気づいてしまった。

あのまま、急いだ心で飛行機に飛び乗って
福岡の日常に戻ってたら

整える時間やチャンスを
逃していた。

人間万事塞翁が馬。

今日という日も、ありがとさん。

大きな気づきのきっかけとなった
出張とミスフライトなのでした(*‘∀‘)

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