本気で変われる人とは?★この次元の「パラドックス」を抜けていけ!この世の「有限・無限」問題と「テセウスの船」問題★時代は変わる!その覚悟は?【宇宙と繋がる黄金軸】

本気で変われる人とは?★この次元の「パラドックス」を抜けていけ!「テセウスの船」

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★さて、大変革の満月を超えました。
しかし、この皆既月食with天王星のエネルギーは
暫く続きますね。

一斉遠隔イベントの翌日、様々なメッセージいただきました。
気持ちの切り替わり、気づき、痛かった部分が消えていたなど。

これらは、明らかに
自分の内側が「変わった」サイン。

さて、今日は「自分を変える」ということのお話と
この世のパラドックスと、有限と無限のお話を掘り下げていきます。

★だいたい、このブログを読んでいただいているかたは

自分と向き合うとか、自分を変えていこうとか
本当の自分に目覚めようとか
真摯にされている方。

そんなこと、したくない人には
全く目にもとまらないわけですが

さらに「本気で変われる」としている人にしか
響かない。それでよか。

本気でとは
「潜在意識レベル」で変わろうと覚悟できているのか?

ということです。

頭では、変わりたい、こうなりたいと思っていても
なかなか、そうならないと嘆いたとて

今の現実が結果なわけで、今が全てなのですから
それが今の潜在意識のチョイスです。

つまり、
「変わらない」「変わりたくない」と
潜在意識は選んでいるわけです。

そんな自分と、向き合えるかなわけですが
人というのは、頭と口と行動が、分断されてしまっていて
自分の潜在意識すら、わからなくなってしまっている。

身口意が、一致しとらんのです。

病気になっている人が、
自分が潜在意識では「病気になったほうがいい」と思っているだなんて
そんな誤認知を起こしているだなんて
理解できないわけです。

一次疾病、二次疾病のように
その方が自分には都合いいって選んでいる。

病気じゃなくても、全ての現実がそう。
自分で選んでいる。

それには必ず、理由がある。

アドラー的に言えば、人の行動には必ず「目的」があるわけです。
不満な現状も、病気も、「目的」を持ってやっている。

とある和尚さんもおっしゃっていました。
どんだけ自己分析できても
どんだけ著名な人のセッションを受けても
本気で変わろうとしていない人は
一生変わらないと。

まず、本気で変わろうとしていない自分に、
対自できるかどうか?
ですね。

変わりたいと頭では思ってるのに、深層心理では変わる気がないなんて
通常の人は、受け入れがたいのです。

もうひとつ、付け加えさせていただければ
その、
変わろうとしていない理由を、見つけられるかどうか?

分析っつっても、的外れになってることや
まだまだ表層的な部分になってることが多々で

その頑なになっている理由、その本質や中枢まで
掘り下げられるのかどうか?だと思います。

自分は自分と対自するのが、苦手です。
だって、自分を守るために、今まで自分に嘘ついてるわけですからね。
だから、セッションやワークを利用し
紐解いていくのは多いにありだと思います。

が、それでも表層だけで物事捉えていては
何の意味もない。引き続き、自分に嘘をつき続けるだけ。
「正念力」が必要。

「覚悟」していない人は
「受容」にいたりません。

だから、和尚も
「本気で変わろうとしていない人は、一生変わらない」と
おっしゃっているのでしょう。

そして
「自分はもう変われた」と言い切っている人ほど
本質は変わってないことが、ほとんどです。
その変化はものすごく、表層的で薄っぺらい部分のこと。

だって、変わり終わることなんて、ないのですから。

というと、
「じゃ一生変わらないんじゃん。」
と、絶望するでしょうか?

違います。

なぜならば、
宇宙は「無限と有限」の両方であります。

私たちは、有限でありながらも、
本質には無限という普遍性でもあります。

変わり終わることなんてない。
変わり終わるものは、有限の世界にまだとどまっています。

★様々な学問の中でも、唯一、答えのない学問が「哲学」です。

なぜならば、他の学問は、この次元の視座で物事を捉えた学問であり
この次元を超えたら、全く通用しなくなる学問でもある。

しかし、哲学というのは
様々な視座で、物事を捉えているので
人によって、答えが変わる。

ある人は、三次元的に見るし
ある人は、多次元的に見る。

同じ物事でも、導き出される答えは変わる。

この世でいわれる「パラドックス」といいうのも
そういうわけですね。

パラドックスとは、一般的に正しいと考えられていることの反対のこと。
常識じゃないことに、真実があったりもするわけです。

今の、この世のほとんどがそうでしょう。

しかし、そんな
あべこべの世界にいることに気づいていないから、

みんなが正しいというものが正しい。証明されているから正しい。
偉い人や人気ある人がいうから正しい。教科書やニュースがいうから正しい。

なんてことになる。

それ、ほんとうですか?
というか、「正しい」って、何ですか?

という疑問を、自分で持てなくなっていることが、そもそも問題でしょう。

★例えば、テセウスの船というパラドックスのお話があります。

船のパーツ・部品を全て入れ替えてしまったら
その船は、元の船と同じだと言えるのか?

という過去と未来の同一性の問題です。

同じような話に
ヘラクレイトスの川という話もあります。

川の中に、過去、現在、未来
人が、同じ場所で入ったとしても
その瞬間で、違う水を感じている。

つまり、同じ川でも、同じ川の水には誰も二度と入れない。
というわけです。

さて、これらの同一性について、どう思いますか?

これは、視座をどこに置くのかによって変わるでしょうし、
分断でみるのか、統合されたものとしてみるのか?で、
変わってきます。

人間で例えたほうが、わかりやすいでしょう。

だいたいからして
私たちの身体も、感情も、思考も
一瞬たりとも全く同じなんてことはない。

「いや、この私の体は、ずっと同じだ」と言い切りますか?

細胞組織も、皮膚も、筋肉も、血も、
絶えず生化変を繰り返し
ターンオーバーして、入れ替わっている。
気づいていないだけで。

川の水のようなもん。

オギャーと生まれてから、今とでは
パーツや部品が全て入れ替わった船と
同じようなもんです。

赤ちゃんのまま、全く同じに持っているものなどない。
感情も思考も然りです。

「じゃ、全てのパーツが変わった私は、私じゃないのですか?」

いえ、私ですよね。

なんでです?

それは
魂や精神といった自分の中枢が、「この場に在る」からですよね。

ヴェーダ哲学でいう「サット」でもあります。
実在です。

それが、コントロールセンターでもある「皇極」でもある。

私は確かに
ここに「在る」のです。

その自分を見失っている人が
あり触れた、今のこの世界ですが

これから、「サット」を取り戻していく段階です。

だというのに、その中枢以外のことばかりに
人は目を向けている。

身体も感情も思考も、物質も時間も
それらは有限なものであるということです。

常に諸行無常に入れ替わっている。

そんな、有限なものを
「なくなったら、どうしよう」
「なくなったら困るから、キープしておこう」と
執着し、手放さない。

しかし、全ては有限です。

今日は、あの人のことが大好きでも、明日には別の人が好きかもしれない。
昨日までは大事に思っていたことが、明日にはどうでもよくなるかもしれない。

感情や思考なんてもんも、そんなもん。
よく「この前は、こう言ってたじゃん!!」とか
喧嘩して突っ込んでる女子がいますが

人が思うことも、言うことも、変わって当然・自然じゃん。て話なのです。
いつまでも、過去の話を蒸し返す人ほど
過去に執着している。

★船も、川も、そういうこと。

船という情報空間にある「場」においては
それは普遍的でもあるが
それ以外の構成は入れ替わる。

なので、その船をただの物質だとみれば、それはもはや別もの。
その場合の見方は、船の「フィールド」という視座を無視し
部分的な分離された見方をしているわけです。

物質的・分断的な解釈ですね。しかし、別に間違いなわけではない。
そういう次元でみれば、そうなのですから。

だから、哲学は見る視座で、答えは変わるわけです。

川もそう。
水一滴一滴という、分断でみれば
それらは別ものですが

川という全体でみれば
川は「川の意識」も「フィールド」もある。

ちなみに、
私は「山」になったことがあります。
その時のことを例にしてみます。

私は、霊峰への山登りを1日していたら
その日の夜、「山の意識」そのものになってしまったのです。
変性意識体験ですね。

それは、もう驚きです。
山というエネルギーがあるのは、感じていたし
山によって、個々のエネルギーの個性も感じます。
男山とか、女山とかもあって
ボルテックスの渦巻が違うんですよね。

しかし、それを意識だと言う風には、あまり腑に落としていなかった。
ですが、その山の意識、そのものになってしまったことで
あぁ、自然にも「意識」があるのだ。とわかったわけです。

人間の意識とは、全く違うものです。
それについての詳細は、ここでは割愛しますが

ということはですよ。
それを経験したからこそ言えるのですが

その山の中で、木々が育ったり、生き物が生まれ、亡くなって
雨を受け、川の水になり、と様々なことが移り変わっても

山という私は、そこに山がある限り、「私」なんです。
それが、その存在の「0次点」というフィールドです。

その存在というサットだけは、揺るぎないもの。
その他の構成は、いつでも変わり続ける。

変わっていかないものなど
その中心にある普遍性以外には、何もないのです。

私たちは、今世において
普遍的な自分以外に
変わり続けない事象などは、一切ない。

それが、自然の法則の中に生きる、私たちの法則。

★執着とは、変わること、それこそが自然であることへの抵抗です。

自然を見習えば、わかる。

本当の自分に戻ることに抵抗をしているから、不自然に
病気になったり、不満のある現状が生み出される。

でも、それには必ず理由がある。

執着しなければいけない何か?の理由。

それと向き合うことも、自分と向き合うということ。

ヨーガやマインドフルネス、呼吸法や瞑想などは、
そのような
普通では表面意識に掻き消されてしまい
自分では認識できない「気づき」のため

いつでも、
深いところにいる自分の声を聞けるポジションに身を置き
物事の本質を観る「正念力」をつける
修練でもあるわけですが
それは、自ずと感情や思考のコントロールにもなります。

それらは
自分を「今ココ」というゼロ時点に置くことをしています。

そのゼロという本当の自分に、いつも軸を置く事。
それ以外のことは、いつでも柔軟に移り変われるもの。
台風の目に、自分がなるのです。


★「本気で変わろうとしているか?」
変わらない現実や、変わらない自分が、今ココにあるならば

「変わりたくない」と言っている
自分の認識と向き合ってみること。

「なぜ、変わりたくないの?」
それに対して向き合うことが出来れば
絡まったネックレスのチェーンは、解け始める。

解放です。

「変わりたいけど、変わりたくないと思ってる自分の矛盾とは向き合えない」
・・そんな風に、身口意が分断されたままならば、変わりようがない。

そんな自分の誤認知・矛盾と向き合えるか。
そして
身口意を一致、統合させること。

そして、その中心には「黄金軸」という
普遍的で、しなやかな軸である、本当の自分を。

それが「コントロールセンター」です。
それがないと、いくら何かの能力だけ身に着けようとしても
フワフワなんちゃらになってしまう。

目覚めようスピリット!
引き続きTTTでよろしくお願いいたします(*‘∀‘)

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