見出し画像

次元があがるほどに☆「軽い層」で生きる術☆


創生せよ ミロクの次元 (2)

☆さて、本日はより「軽い層」で生きることについて。
また
先日の満月の一斉イベントでコネクトについても
ご報告します。

七福神の船で、エイさエイさ編です(*‘∀‘)

そこも「軽い」場所でした!ストーリーは後半で☆

☆私が好きで、よくレジュメにつかう画像

画像2

頭。つまり思考や、観念が重すぎるとこうなる。
しんどそうね・・。
けど、この作品は、面白いからスキ(*‘∀‘)

こんなんに、ならぬよう!
重い波動から、軽い波動へ
そして、その現実を「創生せよ。」というお話、していきます。

☆その前に、一昨日、昨日のセッションでは
クライアントさんは別ですが、連日同じカードが出ました!

幸運と成功の女神です。

こんな話をしっていますか?
「幸運の女神には前髪しかない」

どういうことかというと、
「チャンスというのは、タイミングなので
フッと目の前から女神が去ってしまったら、後ろ髪がないので掴めないんですよ」

みたいなお話。

確かに、この地球ではバイオリズムというものがあり
それはフラクタルなので、人にもバイオリズムがあります。

内省や準備の時!ここは進む時!など
人それぞれに、タイミングがあるあるわけですが

心を清く、世の為人の為を考え、それを行動している人には
私はいつでも、幸運の女神はそばにいてくれていると思います。

息を吸うたびに、愛・調和・豊かさ・美しさ・祝福を受け取り
息を吐くたびに、それをギブする。

その循環があるだけ。

だから、豊かさや人を「囲い込む」みたいな意識があると
その循環は、バランスを崩してしまいます。
エネルギーの循環、なくなるんですよね。

豊かさがあっても、満たされないという
あるのに「ない」と感じる誤認知。
どこまでも、いつまでも求めるという
苦しさや重さを生み出すこともあるわけです。

軽さと循環☆
これ大事。

となると、やりたいことを我慢しなくちゃいけないような状態は
自分の中に循環をとめている「何か」が、あるってことですよ。

まず、その根源に突き刺さっているものを
抜き取らねば、エネルギーが循環しなくなります。

身体もそうです。
12経絡は、循環しています。
どこかが、滞ると、全ての循環の流れを乱します。

人生の問題も、病気も
表層におこっていることを、何とかしようとしても
根源に問題がある限り、それは繰り返されます。
パターンになります。

対処ではなく、根本と対自する勇気を!

☆そして、今日はこんなカードが出た方がいました。
これは、多くの人も、そうなんだろうと感じます。

門の外には、光り輝く虹色の世界。
でも、そこには鎖ががんじがらめで鍵もかかっています。

その門の目の前で、小さな子供が
その向こうを憧れつつも出れないと思い込んで
外をみている。

自分の背丈では、この門を超えることも出来ないし
鍵がないので、開けることも出来ないと思い込んでいる。
そんな情景です。

鍵は、もうすでに、自分のポッケにあるのを知らないのだ。
そのポッケとは、みなそれぞれのハートのポケット。

そして、その鍵は唯一無二のもの。
実際の、家の鍵と同じこと。
パッと見は同じでも、実は巧妙に違う。

誰かの鍵では、その扉の鍵は開かない。
だから、誰かがくれる鍵でも、自分の扉は開かないのだ。

この子供は
「でも、鍵がないし・・」「でも・・まだ僕は小さいし・・」

でも・・、でも・・、でも・・・。

「でも」の後に続くものは、ほとんどが
自分を解放させまいとするエゴが後付けした
思考の作り話です。

精神分析的には
思考は、巧妙な言い訳を、現実を見たあとから、上手に作ります。
本当の問題は、意識の中にあるのに。

場合によっては、病気まで作ります。

本当の自分に、気づくことです。
「君は、子供でもないし、鍵はもうある」

そして・・・

「でも・・」は、言うな!
実は、私が父に子供のころに言われたこと。

今も、響いています。
お父さん、大事なこと教えてくれててありがとう。
涙が出るくらいの感謝。

お陰様で
「でも」と自分で使った場合、「あ、言い訳しちゃった」と思えます。
自分に言い訳してどうすんだ。

昔、なかなかトラブルばかり起こる友人は、つねに「でも」を言っていました。
そのうち、周りもアドバイスしなくなります。
何を伝えてあげても、「でも」って言うから。

身の回りのトラブルだけではなく
出掛けては、知らぬおっさんに、いちゃもんつけられるとか
なんだか、普通おこらない、嫌なことも日常茶飯事よく引き寄せていました。

「何で私ばっかり」と言っていました。

・・・それは
宇宙に投げている想念・意念が、そうだから・・。

天に吐いたツバは、自分に戻ってくるのです。

「でも」を使った場合は、その状況を認めているってこと。
言ってる限りは、それを宇宙にポンっとしています。

意識が、宇宙にポンっとしたものは戻ってきて
そして自分を通して現実化します。

さてさて、
「でも」を使った場合は、「でも返し」です。

「でも、鍵がないしな・・」「でも・・鍵を見つければいいよね!!」

☆そして、よく聞くご相談は
周りの人の事が気になって、心がざわついたり
SNSや情報を見ると、落ち込んだり微妙な気分になるということ。

「じゃぁ、みなさんな」で終わらせてもいいのだけど
それでは、根源的な解決にはなっていなくて

結局、「それぞれの持ち場がある」ことをまず理解することだ。

自分と、他者は、全く持ち場が違うこと。
持ち場さえも、唯一無二。

他を気にしている時間があったら、自分の持ち場を誠実に、行うことに専念を☆
じゃなきゃ、いつまでたっても、自分を生きることが出来ない。
気になるってのは
他人軸の癖が、抜けていないのです。

自分を生き、自分をクリエイトしていれば、周りが何してようが、何言ってようが
どうでもよ~。になる。
というか、気に留めない。ただ、皆それぞれであることが当然になる。

これもまた、それぞれ唯一無二の鍵があるのと同じようなことですね。

☆「有限実行」と「知行合一」の違い

スタートする黄金軸をつくる講座2,0に入ってくる
陽明学からの話になるが

有限実行と、知行合一は違う。

知行合一については、今年の初めにも記事にしたが

陽明学では、
自分の中でいくら「知」があっても
それをこの世界に、行動として実践できていなければ
それは知っているということにはならないということ。

「知行合一」それをただすることは
「とても快い・気持ち良い・心地よい・悦びだ」と言っている。

「有限実行」は、どちらかというと
「やる」といったからには、やらねばならぬ。
みたいなニュアンスも含まれ
ときには、頑張るとか、渋々とかで、実行してしまう固さが含まれる場合もある。
時に、自分の誠意が含まれていないことがあり、それでは
誠という「知」の実践からは、かけ離れてしまう。

つまり、心と行動が分離していても、有言実行は出来てしまうが
魂が望むことは、そういうことではないのだ。

「知行合一」というのは
自分の誠を、この世界にギブすることの
心地よさを知っているのだ。ということ。

なので、机上の空論で、「ふむふむ」と
頭でわかって、口で語っているだけでは
「知行合一」とは、言わない。
というわけです。

また、物事も、何かを誰かに教えるにも
一辺倒ではないのだと言ってる。
そのひとつに、固執した時点で、それは制限になる。
それぞの体験の中で、それぞれが自ら気づくことが大事。

先ほどの鍵と同じ。
それぞれが、唯一無二であるということを
互いに受け入れ合えば、多様性と、それぞれの創生が生まれる。

誰かが認めてくれるかどうかなどは、全く関係のない「慎独」こそが
「意を誠にすること」だと言っている。

それが、目の前の自分の魂がしたいこと、この世界の調和の一環を
「誠実に、ただする」ということ。

誰かが見ているから、誰かに認められたいから、誰かに言われたから
「する」のではなく

それをすることが、心地よい喜びであり
それをしないことは、心地よくないのです。

それぞれが
そうあってこそ本当の自立であり
依存関係や、支配するされる関係ではない社会が生まれる。

コピーロボットの増産という時代は、もう終わり
まさに、これからの人々に、必要なこと。

☆ともかく
「知行合一」は、頑張る波動でもないし、頭で動くのでもない。

ハートがそれを「したい!」と思うから、勝手に動く。

・・なのに
その自分のハートの中にある自分の「誠や真理」を見えなくしてしまうのが
自分の、エゴ・自我・凝り固まった観念だということなのだ。

人生のダルマは、もはや「目標」というより
やって当たり前なほどの、本来スムーズなもの。

ただ、サレンダーして誠実に、ただただ喜びの中で、行うこと。

それを、させまいとしているのは
「自分のエゴです」というだけの話なのです。

なので、自分が心から悦びでいれるためには
内観や内省は、非常に大な事で
そのエゴの中にある残党を追い払わねばなりません。

☆自分のそういったエゴも含め
私たちは生きてりゃ誰でも

意識・感情・エネルギー・肉体に
重いものを生み出してしまうもの。

ですが、それは
常に整えれば、すぐ軽く戻れる。

整えないで、放置するから、どんどん重く重なるのです。

そういった
「祓い」の重要性を昔の人は、ちゃんとわかっていた。

ところが、
現代では、整えてもいないうえに
さらに、波動がさがるものに、まみれた社会や生活習慣の中で人々は生きています。

つまり、祓うどころか、積み上げて
どんどん重くなってしまっている。

精神・身体・エネルギー、どれをとってもです。
その重さがコンフォートになり
それを軽くする行為すら「だる~」という、タマス状態。

先日、沖ノ島という島は
神官以外、入れない島だ。
という話をしましたが、

沖縄なんかにも、ノロやユタ、認められた神人以外は
入ってはいけない聖地があります。

リトリートで行く聖地の中にも
「御魂を磨いた人しか連れてきてはならないよ」と念押しされているところがあります。

昔はそんなことはなかったわけです。
なぜ、そうなったか?

「人々の重い波動が、その地を汚してしまうから。」

なんということでしょう・・。
人が、聖地を汚すほど
聖地と人の波動の差が、出来てしまったということでしょうか。

人々は、軽さ清さを取り戻す時です。ほんとに。
でないと、これから地球の軽くなっていく波動と、もう合いまれなくなってしまう。

聖地だけでなく、地球を汚すから、地球にいちゃいけません。
なんてこと、なきにしもあらず。
そりゃ、そうです。人だけの地球じゃないのですから。

だから
そうならないように、していくのです。

自分を整えている人、修行者や神人の波動は
身体も軽く、健康です。

身体は本来、軽いもの。
重く感じるのは、元をいうと波動の状態です。

ヨガなんかのやり始めでも、
最初は重く感じ、心地よさが掴めない人がいます。

最初に重いのは
それだけ、自分の波動も重いということですが

しかしある時、ふっと抜けます。

心・身体・エネルギーが一致した時に、
その「ふっ」とした軽さが
自分のものになり、やがてそれが定着し
自分の波動になります。

身体が、自分のエネルギー状態をあらわすわけですが

病気もそう、
その時の自分の波動のあらわれ。

疲れる。
これもそう。

もちろん肉体はあるので、疲れを感じることもある。

しかし、本来、受けた思い波動も、自ら生み出した重い波動も
寝たりケアすれば、すぐ軽くなります。

あまりに長く疲れが抜けないのは
いわゆる「つかれた」状態。
つまり、邪気が抜けていない。浄化や祓いが出来ていない。

もっというと、
本来の「元気」という元の気がみなぎって
自分の波動を整えていれば、
周波数がマッチングしないので、つき物も邪も、跳ね除けられる。

単純な話、元気な人は、エネルギーが軽く、高いのです。

内を整え、磨くことは
「軽い層」で生きる、基本的なこと。

内側の
意識、心、エネルギーを整えましょう。

見た目だけ整えても、それはハリボテ。

ある時代から
エネルギーや精神・意識など
内から綺麗にする術は、すたれさせられました。

表面だけの美しさ、物質的な豊かさばかりに目が向くようになってしまいました。

もちろん、肉体的な美しさも、豊かさも大事。
でも、それ「だけ」ではやはり
ハリボテの神殿。

いくら見た目が豪華でも、中身がススだらけでは
中の神は、輝かないのですね。

見た目に誤魔化され、魔の隙に入られる人が大半でも
審神者の目は、誤魔化せない!!

これからは、精神世界や意識の時代に入ります。

☆大事なタイミングです。
6月30日には、夏の大祓もありますよ。

糸島のリトリートでは
希望者は海の中で、大祓を行いました。

海に行けなくても、自宅で行う方法もあります。
塩での浄めは、海での祓いの代わりです。

つまり、塩の浄化は、海の祓戸大神のエネルギーです。

塩の浄化も、意味不明なままするのではなく
きちんとその、エネルギーを理解して行いましょう!

☆先日の一斉遠隔エネルギーコネクトの報告!

さて、生徒さんにはZOOMで聞かれて
お話していたのですが

こちらで、きちんとご報告がまだでした!

先日の一斉は、まずは氣功ヒーリングで整えたあと
次元のジャーニーへ。

するとですね、

私たちの次元より少し軽い層の、いわゆる神々と呼ばれる存在の層へ。

そこでは
飲めや歌えや踊れや食べや!といった宴会を
みんな楽しそうに笑って集ってやっています。

私も、そこの波動やムードが、まさにTTTで
「そうだよね!やはり、徹底的に楽しく!の波動よね!」
と、改めて感じます。

なので、私も何となくその波動の笑みで、へらへらおりますと
海で魚釣りを一緒にすることに。まさに恵比寿様と。

一緒に大きな魚を釣り、それを抱えておりますと
いわゆる七福神の船に、相席させてもらえることに!!

「えいさ、えいさ」と楽しく、船を漕いでいると
海が割れます。

ここからは、私ども人間は
海に入って、禊をしないとならないと感じます。

ここに、船で連れてきてくれたんだなぁ。と、感じます。

糸島でも皆さんやったように
海の中で、大祓を行います。

そこからです。

まったく別の次元へ吸収されていく感じです。
とてもても、最初はとても眩しい。
でも、途中からそれも覚えていない感じ。

絶対に今回は、眠ってもいないし、しっかり意識もあるのですが
そこからの記憶が全くありません。

いや、記憶がないというより
私のこの次元のフィルターでは、言葉やヴィジョンでは表現できない感じです。

ただ、そのまばゆい光そのものなってしまっているので

ただ、それである。
ということ。

自分の肉体はおろか、意識やエネルギーさえ
そこに溶け込んでしまったように。

簡単にいえば、瞑想の「無」状態みたいなものです。

しかし、なんらかのタイミングで
今回の一斉エネルギーコネクトは終えました。

☆そして、その旅のストーリーで感じたことは

やはり「TTTという軽さ」という波動が、いまの次元を抜けていく術。
そこに頑張る波動もありません。

魚釣りという、豊かさの恩恵も、めっちゃ楽しいだけで、何も頑張ってない。

そして、自分を整え、禊ぎは大事。
更に軽く、常に軽く。

自分の肉体も、意識も、エネルギーも軽くなれば
どこまでもどこまでも、その先へ・・・
私たちは向かっていくことが出来る。

引き続き
目覚めようスピリッツ!!
TTTでお願いいたします(*‘∀‘)


☆オマケ
今日紹介する動画は
まさに、今の人類が
どれだけ
波動をさげられ、枠の中の制限で、目覚めさせられない仕組みになっているかを表現した
アーティストの作品。

しかし、最後には目覚めます。
枠をぶっ壊し、本当の自分へと解放が起こります。

前半はどれだけ日常にあふれているものが
人の波動をさげているかがわかります。

何かの制限に、頭をはめられ
頭と精神は分断。

心より思考
頭の方が重くなり

やがては仮面をつけ、自分自身を生きない人々。

そんな自分に気づいていない人が、この世界では圧倒数。
それが、問題なんですよね。
「気づいていない」ってことが。

とはいえ、今世界に溢れる
情報や物などを、一切すぐに排除したり、抵抗するのは難しい昨今。

だからこそ、ある意味、意図的に
自分の仮面も制限もぶっ壊す!

そして、覚醒し、生まれ変わり、軽い層へ行く。

そんな作品。

https://youtu.be/j800SVeiS5I


他人軸とは、人に対してだけではない。

物や情報に使われる他軸ではなく
自らの選択、自らの創生、自らの人生を。

波動をあげてしまえば、こっちのもの。
その次元で生きることになるのですから!

何度もいうとります
次元はレイヤー・重なっています。

同じ、この場所で
どの層で生きるかは、自分の波動次第です!!

いいなと思ったら応援しよう!