「Coda あいのうた」を観て
ラジオで紹介されていたのだったか、以前からタイトルは知っていたものの観る機会を失したままになっていた「Coda あいのうた」、配信サービスで新作表示されていたので観始めた。
海辺の町で代々漁業を営む一家、自分以外は耳の聞こえない父、母、兄と暮らす主人公の少女ルビー(かわいい名前!)。
夜明け前から家族と共に海に出て漁を手伝い、漁協では父と兄の代わりにセリの交渉もする。
家族の中で唯一耳が聞こえるルビーは家族から頼りにされているしっかり者だが、家族も自分自身も「ルビーがいなくては」という思いが根底にあるため、彼女からはどこか年齢に似合わない諦念が感じられる。
そんななか、ふとしたきっかけで入った高校の合唱部で先生に歌の才能を見出され…というストーリー。
まずルビーをすごいと思ったのは、なかなかハードな環境に身を置いているにもかかわらず「私は歌が好きだ」とちゃんと知っていて、且つ口に出すことができていること。
そしてタイミングが来た時に感覚を発動して、すかさず合唱部に入部する行動力(好みのタイプの男の子目当て、と直接自分の望みとは関連なさそうなきっかけなのもポイント)。
私は自分の好きなことが何かきちんと知っている自信はなく、まして口に出すことなんてできなかった。
そして頭で考えて(主に損得感情や可能性の有無を)行動することはあっても、感覚を優先させることは少なかった。
ルビーは好きなことを好きだと言い、おかしいことをおかしいと言う。自分の感覚にとても素直だ。
そしてそのまっすぐさは、聴力がないという不自由さ以上に自分自身である自由を楽しんでいるおおらかな家族の気質によるものしれない。
それでもやはり彼らは聞こえないことを理由に不利益を被ったり、新たな一歩を踏み出すことを躊躇したりする。
耳が聞こえる、聞こえないという隔たりは、聴力のある私にはほんとうのところは分からない。
コンサートでのルビーの歌を、周りの反応を見ることでしか聴けなかった父親。
それでも、「聴こえていないものがある」と感じたからこそ、「もう一度自分に向けて歌ってくれ」と言ったのではないだろうか。
声もメロディもわからない。
でもどうにか娘の奏でる音楽に触れたいと、全身でありとあらゆる触覚を伸ばしてゆく。
その時、父親の中でどんな音楽が響いたのか、
聴いてみたい、と本当に思った。
不安に捉われ、確かさを欲して、手にしたものをぎゅっと握りしめている私たち。
でもきっとそれでは聞こえないし感じない。
恐る恐るでも手を離し、大切だからこそそれぞれで立ってはじめて間に流れるあいのうた。
私のはどんな音色だろうか。
望みを口に出す。
感覚に従って躊躇わず動く。
確かさが欲しくても自分を信じて手離していく。
怖くてもやはりそうありたいと思わせてくれる映画だった。
Codaあいのうた公式サイトhttps://gaga.ne.jp/coda/