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お金と呪い

一人では無理だった。
きっとこのまま、諦めて塞ぎ込んでいたに違いない。
あの時、最後の力を振り絞ってよかった。
そして、その背中を押してくれた人がいたことに感謝している。

♦︎

久しぶりに祖母と会えた。
面会可能な時間が短いため、普段はなかなか会うことができない。
それに色々あったので、祖母との電話は楽しいものばかりではなかったので、久しぶりに会うのを楽しみにしていた。

ちょっとした差し入れを買って病室に届ける。
入院前よりずいぶん痩せた祖母は、出迎えようとして力尽きたのか、車椅子の上ですやすや寝ていた。

声をかけて差し入れを渡す。
喜んでくれたが、その後また喧嘩になってしまった。
原因はお金のこと。

結局お金がらみのことで、いつも喧嘩になる。
祖母が働いておさめてきた年金を大事に思う気持ちと同じように、私も祖母がもらっているお金のことを大事に思っている。
だからこそ、無駄にしてほしくないし大事に使って欲しいのだ。

大事に思う気持ちは同じでも、方向性が違っていた。
それはどうしようもない認識のずれで、どんなに丁寧に伝えたとしても、祖母の心がそれを受け入れられないのだと感じた。
なんでも自分でできる、というのが祖母にとっての誇りであり、活力のようなものだったことを考えると無理も無い。けれど、今持っているお金は1円たりとも無駄にできない。

なんでも好きなようにしていいよ、とは口が裂けても言えない状況なのだ。

こういう憎まれ役を買ってでないといけないことが時々辛くなる。
どうして私が、と思うこともあるが、そんな呑気なことも言ってられない。
伯父のことが少し前に進み出した今、祖母のことで立ち止まっている場合ではない。

家族というのは本当に厄介で、血のつながった他人であり、切っても切れない面倒な関係である。私一人なら平穏に暮らせていたはずなのに、人が増えるとその分問題も増えるし、いいことばかりではない。
それでも、伯父の件では家族に感謝している。

祖母とも時間をかけてわかり合おうとするしかないのかもしれない。
祖母が私にかけた呪いに苦しんでいるように、祖母もまた自身にかけた呪いに苦しんでいるのだろう。

呪いは自力で解くしか無い。
待っていても、誰も助けてくれない。



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小春ゆら
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