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こういう本を読んだ

こういう本を読み終えました。

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右の『算法少女』は、私のブログでも紹介していましたが、やっと読み終えました。
『ささぶね船長』は今や絶版の児童文学です。
『算法少女』も、児童書で有名な岩崎書店から出版されたのち、長らく絶版だったのを、著者と教育関係者(主に数学の教員)が再版運動をして、やっと筑摩書房が手を挙げてくれて再版できたそうです。
その苦労話が『算法少女』の著者あとがきにあります。

『算法少女』は同名の書物が江戸時代に発行されており、もちろん作家の遠藤寛子氏がそれを元に、児童文学として新たなお話を作られ、広く読まれるようになったのでした。
江戸時代の後期、和算の世界は「関孝和(せきこうわ、たかかず)」が興した「関流算法」が幕府のお抱えになって発展しておりました。
「関流」はその流れを汲む支流の道場、私塾が江戸の町で隆盛を極めていました。
寺には「算額」という算法(数学)の難問奇問をいかにして解いたかを披露する大判の額が奉納され、境内で公開されます。
江戸の人々は、その算額を見て、驚嘆したり、間違いを指摘したりとかなり熱心に議論を展開したとか。
日本人の算法好き、謎解き好きな一面がうかがえます。識字率も高かったのです。しかし、物語では「九九」を知らない子供たちが、当時、まだまだたくさんいたことにも触れています。
本書でも、医師で算法(和算)家の千葉桃三(とうぞう)を父に持つ、思春期の娘さん「千葉あき」の活躍が描かれます。あきには兄がいて、蘭学を学ぶために長崎に留学しています。
ヒロインのあきは、ある日、寺で算額が新たに掛けられる場面に出くわします。
あきと年の近いであろう侍の青年(水野)とその取り巻きが自慢げに、図形問題の算額を掲げました。
人々が群がります。
あきもその算額に見入りましたが、不十分な点を見つけ、群衆の前で指摘してしまいます。
恥をかかされた水野たちは「関流」宗主、藤田貞資(さだすけ)の門下生だったようで、簡単には引きさがりません。
水野は、あきの申し様が正しいことに内心、気づきましたから、その場から逃げるように立ち去りました。あきの面目躍如です。
そのうわさは、たちまち江戸中に響いてしまいます。
藤田貞資の門下は侍の中でも旗本の子弟が多く、水野三之助もそうでした。
この不始末が、貞資の耳に入らないわけがありません。

あきの父、千葉桃三は上方(大坂)で算法を修めたらしい。
それで、娘のあきには、幼いころから算法を手習いさせ、かなりの知識を与えておりました。
ただ「関流」からは、上方の算法など「我流」の取るに足らないものだと歯牙にもかけない扱いを受けていました。
当時の江戸では、なんでもそうなんですが、「流派」にこだわり、「他流」とは対決姿勢でしか臨まない狭隘(きょうあい:せまい)な料簡が普通でした。
剣術や俳諧、茶道などはそれでもよかったかもしれませんが、「算法」は学問であり、正しい答えは、何流であろうが一つに収束するはずです。
流派になじまないものが「算法」でありました。
それを「関流こそ一番だ」とあぐらをかいていたわけでしたから、大坂の算法に、それも小娘にしてやられたとは、関流の看板に傷がつきます。
町娘のあきが、関流に「一本」をとったことで、彼女に災難が降りかかり、ドラマチックに展開していきます。

『ささぶね船長』は、その題名からは想像できない、内容の濃さでした。
子供向けだろうから、ファンタジックなものを想像していた私が甘かった。
日本が戦争に負けて、もっとも割を食ったのが子供たちと、女たちでした。
戦災孤児、欠食児童、闇市を正面から子供の目線で描いた物語が本書です。
俳人西東三鬼(さいとうさんき)の著した『神戸・続神戸』で、戦中戦後の女や三国人の悲哀、したたかさを先に読んでいたので、決して『ささぶね船長』が誇張ではないと思います。

GHQが取り組んだ政策に、戦災孤児を更生させ、まともな国民に育て上げる目的がありましたが、戦後のどさくさの中で、大人でさえ、食うことに困っていたのに、どうして孤児を救えようか?
今、アフガニスタンでアメリカがタリバンからアフガニスタンの子供たち、女たちを救おうとして何年もかけ、失敗に終わりました。
でも日本では、奇跡的に「更生」が成功したのです。
アメリカ占領軍と、日本暫定政府の「無理筋」方式で、日本の戦災孤児や闇市は潮が引くように見えなくなった。
もちろんそれでも「こぼれ落ちた」子供たちや、やくざ者は残ったのでしょう。黒岩重吾の「赤線小説」にそのことは詳しいです。

朝鮮動乱も手伝って、日本は空前の景気回復をなし、高度成長期に登っていきます。
池田内閣の「所得倍増計画」はその通りになった。
意識の高かった大学生はデモに明け暮れた。
そう、戦後日本には「タリバン」は育たず、思想がはびこった。
それはまれにみる「本好き」な国民だったからです。
江戸時代から文盲率は低く、庶民でも算法を好んだり、文化を愛しました。
一寸うがちすぎかもしれないけれど、日本人は「誤りを簡単に認める」国民だからなんでしょう。
戦後も天皇制は形骸化して残りました。
しかし軍国主義は、日本人のもっとも嫌うイデオロギーとなりました。
あの自由民主党でさえ「軍国主義」を避けるように政治をおこなっています。
自衛隊は公務員であって、おそらく軍隊としては機能しないだろうと思います。
自衛官と警察官、消防官はまったく同列です。

『ささぶね船長』では少年たちが、食べるために盗み、売り、命の危険にさらされます。
その中で、優しさを育む、戦争未亡人や障碍者がいます。
ささくれた少年たちの心に、幼い無垢な少女を守ろうという気持ちも芽生える。
血のつながっていない「兄弟姉妹」の関係が生まれる。
大人にだまされ、こきつかわれる毎日から脱しようともがく少年たち。
寒い冬に、いや、冬だからこそ死なないように決心する少年がいます。
例えられる「ささぶね」には舵も動力もありません。大海をわたるにもどうしようもないのです。
波に翻弄されながら、生きていく。落ちれば死ぬだけです。
子供たちがそれぞれ「ささぶね船長」なんですね。

作家永井萠二は「観察者」として描いていますが、決して傍観者ではない。
戦災孤児を援助する側にいたジャーナリストなんです。
孤児を取材し、その中からものがたりを紡ぐのです。
厳寒期早朝の国電(今のJR)は乗る人も少ないのですが、そういう電車に無賃で乗り込んで暖を取り、寝る場所を求めて孤児たちがいました。リアルです。
電車には暖房が入っているし、空(す)いた長椅子もある。そこで束の間の安らぎを得ようと孤児たちがもぐりこむのでした。
それは罠(わな)にもなりました。
官憲が、一網打尽に、そういった孤児たちを電車の中でからめとって、収容施設に放り込む。
GHQの指図で、大人が子供たちを貧困から救うために収容施設に入れろと言うのです。
孤児たちは、自由が奪われるので嫌がるけれど、頭からDDTを振りかけられ、風呂に入れられ、新しい服を与えられ、食事もでき、アメ横や日暮里の闇市街からしたら天国のような収容所なのです。

決して悪いようにはしないと大人は言うけれど、誰も信じないことを信条としているスレた孤児たちには受け入れがたい甘言なのです。

ご都合主義(きれいごと)な話の展開で、「朝ドラ」風になって終わりますが、それも児童文学なら、ストレートでさわやかで、いいのではないだろうか?
作者の言いたいことは、人を信じることで素晴らしい未来が拓けることもあるとではないでしょうか?
親に捨てられ、或いは、死に別れて、人を信じることができなくなった孤児が再び、信じあえる人を見つけることができてこそ、新しい明日に向かって歩み始めるのです。
それ以外に救いの道はあるのでしょうか?
あるとすれば、黒岩重吾の赤線小説にあるような生きざまでしょうね。
救いと言うにはほど遠いですが…


大人が読むものには『日本三文オペラ』(開高健)、『エロ事師たち』(野坂昭如)、『つかのまの二十歳』(畑山博)など戦後日本を舞台にしたものが数々あれど、児童文学では『キューポラのある街』(早船ちよ)や『中学生』(下村千秋)のほかに見ません。
もっと語り部が増えればよいのでしょうが、戦争経験者も少なくなり、もはや戦後は遠くなりました。

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