「優しさの交換ができればいいのに」って言葉が引っかかる/ドラマ「マイダイアリー」感想
「〇〇(私の名前)くんが言ってたあの優しさについての言葉をさ、今でもよく思い出すんだよね」
これ、高校の頃からの友だちに言われたものなんだけど。
友だちに何て伝えたかというと「優しさって、『自分が思う優しさ』しか人に与えることができないから、優しくするって、自分の方法でやるしかない。それで相手が嫌な気持ちになったら謝るしかないんだよね」みたいなことだった。
こんなたいそうなことを自分で思いついたかっていったらそうじゃなくて(なんだって) 吉本ばななさんが『Q人生って?』というご著書でそんなようなことを書いてらっしゃって。一言一句違えず友だちに伝えたわけではないけど、確かそんな感じだったと思う。ばななさんは下町気質が抜けなくて、そのノリで人に優しくして相手を傷つけてしまったことがある、とかなんとか、そんな体験談と一緒に書かれてた。私はそれが大層心に響いて、今でもよく思い出して、また読んで、また心にとどめて生きてる。
そんで前置きがちょっと長くなったけど(長くなるの癖なんで無理やり本題) 日10ドラマ「マイダイアリー」観て、優希の優しさの「せい」で、付き合っていた和馬が別れを切り出すって描写があって、速攻でばななさんの文章思い出してしまった。この部分は1話の冒頭でもなければラストでもないのだけど、私はドラマ「25時、赤坂」が大好きなもので(もしよろしければこちらご覧になって…BLです♪)俳優新原泰佑さんを観たくてこのドラマ観たのですね。(新原君の演技とてもよかった。いい意味でザワザワって不思議な感覚になった)なので余計にこの部分が印象的だったということもあるかもしれないけど、1話の中で描かれていた「優しさ」というものについての核の部分を見せられたという感じがしてガツンと心に響いてきたんだと思う。
優希の場合は自分が思う「優しさ」を人に与えた結果、それで相手が嫌な気持ちになったということよりも、「やってあげたのに」という感情を抱えながら和馬と接していたことも大きく関係していそうだけど。
まだ1回しか観てないので、流れを忘れてしまったんだけど、優希が「優しい人になりたかった」「お母さんに優しい人になりなさいって言われた」って話す部分があって、もしかしてずれてるかもしれないんだけど「やっぱり親の言葉って重いなぁ」って感じてちょっと辛くなってしまったんだよね。広海も「父親に『孤独はいいけど孤立はだめだ』って言われた」(意訳)って言ってたけど、二人とも親の言葉の影響を受けて、縛られてるよな…って…自分が心から望んでいることではなくて、親に言われたから、そうでなければならない所があるのかなと。だから優希は和馬に対して「やってあげてる」感覚をもってしまった。
自分のことも振り返ってしまったよね。
優希の行動とか、気持ちとか共感できることが多くて。
人に優しくしたいのに、「やってあげた」感情を同時に抱えてしまうこと。自分がやった優しさと「同じ」優しさを相手から返してもらいたいこと。これ私の中にものすごい大きい面積占めて存在している感情で、本当にやっかいでいつも苦しくなってしまう。お友だちとか、仕事仲間に対しては感じないのに、一番近い存在の「家族」に対して常にそう思っちゃう癖がある。
もうそれで盛大に家族を傷つけてしまったことあるのでね、非常に身につまされる。
「優しさの交換ができればいいのに」ってセリフもさ、すんごく引っかかってしまって、考えてしまって…
優しさってズレてると優しさだと思えないから(私だけかもよ)、それが「優しさ純度100パーセントです」みたいな帯がついた塊みたいな、目に見えるものだったら、「ああ、この人って優しいな」「今優しくしてもらってるんだな」って、例えそれが自分の中に存在する優しさじゃなかったとしても相手の優しさを素直に受け取れて感謝できるのに。そして反対も然り。そういうことが言いたいんじゃないかもしれないけど、私は「優しさの交換」というセリフでそんな気持ちが湧いてきた。あんまり肯定的に受け取れなかったというか…自分の器の小ささを突き付けられた感じがしてね…
改めて、人へ優しくするってことを小難しく考えてしまったなぁって
私にしてはめずらしく真面目に書いちゃったなぁって。
そんな「マイダイアリー」一話の感想でした。
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