2025年 伊勢神宮内宮 初詣
新年明けましておめでとうございます。
昨年はみなさまに大変お世話になりました。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。
大晦日の伊勢神宮の外宮参拝に続き、年を跨いだ3日に内宮へと初詣に行って参りました。
実家から伊勢市駅まで歩き、そこから8時03分発のCANバスと言う市バスに乗りましたが、案の定、内宮付近はすでに渋滞。
バスの運転手さんから、ここからだと歩いた方が早いかもとのアナウンスがあり、他の乗客に釣られて途中下車。
すると、数分歩いたところで渋滞が緩和されたのか、降りたバスに追い越され、
新年早々、いつも通りの平常運転に(笑)
まあ、食後の運動だと思ってゆっくり歩いて行くと、程なくしてご来光でも有名な宇治橋へとたどり着きました。
上のリンクには、
「内宮への入口、五十鈴川にかかる宇治橋は、日常の世界から神聖な世界を結ぶ架け橋といわれています。宇治橋の正面に立つ美しい大鳥居の姿を眺めると、すべての人々は心が洗われ、身も心も正して清浄な宮域に入る心構えの大切さを感じさせてくれます。内宮のお参りは宇治橋の前で一礼し、緑豊かな神路山、島路山の四季の移ろいを感じながら宇治橋を渡ることから始まります。」
とありました。
内宮の杜は普段でもひんやりとした空気で身が引き締まるのですが、真冬の寒さがより一層、厳かな雰囲気を醸し出し、ここが神域であることを感じさせます。
大晦日はこの参道いっぱいの大行列になりますが、3日のまだ朝の時間帯と言うのもあり、思いの外スムーズに初詣を終える事が出来ました。
すっかり忘れていましたが、参拝は何かをお願いに行くのではなく、これまでの様々な御加護に感謝を捧げるのが本来の姿なのだと聞きました。
でも、その事を知っていてもいなくても、ここに集う人たちから感じるなにか集合意識的な雰囲気からは、卑しいものは感じられませんし、神前では嘘はつけませんよね。
世の中がどれだけ個人主義に傾いても、私たち日本人は未だに和の心を忘れていないのだと新ためて感じさせられ、
とても居心地の良い雰囲気に癒されました。
天照大御神さまは私たちの潜在意識に感謝の気持ちがあることを知っておられて、今年もみなさまに御加護を与えて下さるにちがいありません。
帰り際に妹と母親のためのお神札を買い、
再び宇治橋を渡って外界へ戻ると、おかげ横丁は直ぐ側。
そこはいつも通り、地方都市の田舎とは思えないほどの賑わいを見せていました。
およそ800mに渡ってこんな感じ、ただただ凄いです。
しかしコロナ禍以後、海外からのお客さんは随分減ったと、初日に乗ったタクシーの乗務員さんから聞きました。
東京に比べて確かに少なかったです。
少しですが日本らしいお正月の雰囲気をお裾分け、楽しんで頂けたでしょうか。
いつもはほとんど1人で過ごす正月ですが、
今年は久しぶりに疎遠だった母親と過ごせて良かったです。
カルマはどんなものでも返せるうちに(利己的でスミマセン)…
私は特定の宗教を奉じたりはしていませんが、それでも、世界中の国や地域にある宗教には敬意を払います。
それらは全て、人々の集合意識が生み出したもの、それを必要とする人がいるから存在しているのだと思うからです。
日本人は昔から八百万の神を信仰していて、一神教を奉ずる国からは無宗教だとも思われがちですが、クリスマスなども含め、元々全て、
" サムシング・グレート " として受け入れる寛容さが備わっている、そう言うふうにも捉えられるな…
ふと、そんな思いが浮かんできました。
前回訪れたのは2015年のゴールデンウイーク。あれから約10年経ちましたが、その間、世界にも個人的にも様々な出来事がありました。
そして今年はなぜだか全ての人にとっても節目の年となるような気がしてなりません。
本格的な " 風の時代 " への突入。
変化のスピードは更に増していくのでしょうね。
2025年が皆様にとって最良の年となりますよう
心よりお祈り申し上げます。
露草一新