好酒家は酒を飲み、愛煙家はタバコを吸い、私は書いている。
華さんからのフォロワー達への問いかけ「なぜ、私は書くのか」に対して、たぬきちの心にまず浮かんだのは冒頭のセリフだった。
「そうそう。私は酔っ払っている」思わず自分の思いつきに相槌をうつ。
「酔う」という言葉には、いくつかの意味がある。
漫画作中では、「うっとりして、自制心を失う」意味とも取れる場面であり、ここは明確に1の酒に酔っている様子だとわかる様に「酔っ払って」と表現したに違いない。
さすが鬼才諫山創!
たぬきちも、「書き物」をしている自分に陶酔し、うっとりしているのではない。なんなら酩酊状態と等しいかも。
キッチンドリンカーよろしく、酒を飲みながら執筆しているわけでもないが、「酔っ払っている」と言うのに、もう一つ引用を挙げたい。
それこそ、キッチンドリンカーはなぜ酒を飲みながら家事をするのか。家事の辛さを酒を飲んで紛らわせているんじゃなかろうか。かく言うたぬきちも、仕事から帰って、晩ご飯を作る時、気合を入れるために飲むことがある。帰ってからがもう一試合。そんな毎日。
説明の前段として、書き物をしていない時の、たぬきちの頭の中についても話しておきたい。この「理性のおしゃべりが永遠に続いている状態」について。
明日のために洗濯物は今片付けよう
子どものプール開きはいつだ
去年のサンダルはまだ履けるのか
父の日のプレゼントを選ばなければ
次の歯医者の予約はいつか
家の前に湧いた虫の駆除をどうするか
次の不燃ゴミはいつだ
傍目には何も考えていない様に見えたとしても、頭の中は未来への「ねばならない」の洪水で、常に気持ちは焦っている。
さて、皆さんが文章を書き出す作業では、どの様な思考の展開があるのか知りたいところだが、たぬきちの場合、まず何かに心が動くことから始まる。
そして、「これはある程度のまとまった文章になるだろうか?」とエピソードを想定する。
それで、書けそうだと判断すれば、実際に書き出す作業となるわけだが、頭の中では、心が動いたシチュエーションの映像をもう一度見ている。そうして、その映像を見ながら文字に起こしていく。
そんなわけだから、この時ばかりはうるさい理性も黙りきっている。たぬきちの頭の「ねばならない」は消え去り、焦りもなくなる。
「うるさい理性を黙らせてやろう」そう考えて、書き始めたのではない。これは幸運な副産物であった。そうして理性を黙らせる状態に心地よさを見出した。
「理性を鈍らせ、それによって元気になっている」酩酊状態と同じ効用を感じながら書いている。それならば、また「書こう」となるのは人間の性というもの。嗜癖と化すのに、そう時間はかからなかった。
もちろん、書いた記事に反応してもらえることで、承認欲求は満たされているし、交流できて嬉しい。あわよくば「書いて対価を得たい」という希望だって持っている。
さりとて、もの書きとして成功する予兆も前兆もなく、それこそ酔っ払いの戯言か、正常な判断力を失い、「いけそうな気がする」それだけを頼りに今日まで書き続けているというわけ。
「酔っ払いながら高揚して、書くなんて、能天気なタヌキだ」そう思う方もおられるやも。物事には、必ず良い面と悪い面があるのはご承知のこと。
「書く」という嗜癖に魅入られる時間が長くなればなるほど、それは酩酊時間が長くなるということ。最近では、優秀だったはずの理性もサボりがちになり、日常も仕事でも支障が出始めるポンコツぶりなのだ。
ああ悲しみの「もの書き中毒」
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