![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/170082287/rectangle_large_type_2_0df787f5300f3a9f444ae28a117ff7fa.jpeg?width=1200)
体験記 〜摂食障害の果てに〜(51)
『目標』
心理療法士の先生が翌週、私の部屋を訪れた時、私はベッドを高く起こし、ぬりえをしていました。先生は、
「おっ。」
と、声を出して驚きました。私は、『魚もお肉も食べている』と、伝えました。それは、『入院する必要はありませんよ。』という意思表示でした。
心理療法士の先生は、もう、再入院の勧めをしませんでした。その代わり、
「『回復したらやりたいこと』を紙に書き出してみて下さい。今のモチベーションが崩れそうになった時、それを見返してまたやる気が保てるように。」
と、勧めて下さいました。
私は、自分が家に帰ったら、何をやりたいか、考えました。一番に頭に浮かんだのは、母のことです。
母は、園芸を命として頑張っています。椎間板ヘルニアになって会社をクビになって以来、ずっと園芸を心の支えに生きてきました。今の母が生き生き輝いているのは、植物を育てているからです。
でも、水やりや肥料の持ち運び、鉢植えの移動、果樹の植え替え作業に庭木の剪定、ブドウ苗への追肥作業(穴掘り)など、力仕事が多く、きついのです。
母は急性心筋梗塞で、心臓が半分壊死し、片方しか動いていません。無理ができない体です。二度目はない、とお医者様から言われています。私が手伝ってあげないと、一人では到底無理です。
母は私が入院したせいで、毎日、父と面会に来て、一時間近くそばにいてくれます。入院したばかりの頃は、泣いてばかりで仕事が手につかない、と言っていました。随分迷惑をかけてしまいました。だから、家に帰ったら、何をおいても、まず母を手伝おう、と心に決めました。
水やりは十年以上も前から私の役割です。今は、私の代わりに弟がやってくれているそうですが、いつまでも自分の仕事を他人にさせているわけにはいきません。帰ったら、忙しくなるでしょう。
あれやこれや色々考え、ノートに大きな字で、思いつくことを書いていきました。
翌週、心理療法士の先生に見せると、
「その書いた紙をよく見えるところに貼っておくと良いですよ。いつでも見返せるように。」
と、言われました。でも、看護師さんたちに見られると恥ずかしいので、ノートを見返すだけにしました。
自分の目標を掲げる、というのは、『生きる』ことに繋がると思います。摂食障害に陥ると、食べ物や体重計の数字ばかり気になって、自分に対する評価を下げ過ぎたり、生きる目標を失ったりすることがあります。私は、今まで、自分を『いなくなればいい。』と随分思ってきました。周りの人から、ひどいと感じられる言葉を言われ、心が壊れそうになって、何度も何度もそう思い、口にしました。その度、「悲劇のヒロインはやめろ。」と、言われ、益々、滅入った経験が多数あります。
でも、今、私が回復し、自力で歩けるようになりたい、と願う力は、最高の『生きる』力であり、目標になっています。自分を蔑めば、周囲からも、同じ態度が返ってきます。自分が変われば、世界も変わってくるのです。私は、私をこんなにも大切に思って尽くしてくれる人たちのために、何か恩返しがしたくて、居ても立っても居られない気持ちになりました。
心理療法士の先生は、私に生きる目標を持って、摂食障害から立ち直ってほしい、と思ったのでしょう。
(つづく)