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体験記 〜摂食障害の果てに〜(47)
その日の感動は、面会に来た父と母に報告しました。二人とも、
「本当か⁉︎」
と、ひどく驚きました。そして、部屋に置いてある車椅子を見て、
「ありゃ、本当じゃ。良かったなあ。」
と、とても喜んでくれました。母は、私がもっと食べて、元気になるよう応援している、と言って、色々話し、
「幸伸(弟)が聞いたら、驚くで。」
と、帰って行きました。
リハビリの先生は、毎日、車椅子で私を外に連れて行ってくれました。コースを変えながら、坂道を上がり下りし、ぐるっと病院の敷地を回ってくれるのです。
一番のお気に入りの場所は、真紅のバラの木の下です。病院の壁を二階の高さまで伸びる大輪のバラは満開で、生命力に満ち溢れていました。リハビリの先生は、毎日、必ずそのバラの木の下に連れて行ってくれ、心ゆくまで見させてくれたのでした。私は、その度に元気が湧いて来て、明るい心持ちになりました。私はこの先生に、言葉では言い尽くせない感謝を抱きました。
それから一週間後、リハビリ室で立つ練習をしました。私が二本の横棒(平行棒)につかまり、リハビリの先生が私の体を車椅子から引き上げてくれました。先生が、
「いいですか? 手を離しますよ。」
と言ったので、
「はい!」
と気合を入れました。自分の足で二秒立てました。その瞬間、まるで自分の足がスポンジかモヤシになった気がしました。全く力が入らないのです。自分の足の感覚はありますが、別物の足のようです。たった二ヶ月でこんなにも筋肉が衰えてしまうのか、と驚きました。すぐに先生が私の体を支え、車椅子に戻してくれました。
「二週間寝ただけで、立てなくなりますよ。」
リハビリの先生は言いました。
私は、自分が歩けないことよりも、立って歩くということが、いかに体力のいることであるのか思い知らされ、ショックを受けました。私の周りで、普通に何でもない顔をして歩いたり、物を持ち運んだりしている人たちが、とんでもない体力の持ち主に感じられました。
元気に動ける人たちは、おそらく気付いていないのです。崩れそうになる体のバランスを取りつつ物を支え、足の筋肉を使って歩く、それは、筋肉と体幹がしっかりしていないと、できません。私自身も、元気だった頃は、全く気付きもしませんでした。
筋肉は、毎日使うから動くのです。動かさなくなると、どんどん筋力は低下し、動けなくなります。また以前のように立ったり座ったり物を持ったりできるようになる為には、どれだけ多くの努力が必要でしょう。考えるだけで、気が遠くなりそうです。
リハビリ室で、高齢の男性がボールを頭の上や顔の周りを移動させて、別の場所に置き換えるリハビリをしていました。今の私には、それすら高レベルに感じられました。筋肉をつけなくては、何もできないのです。
筋肉の量は、体重に現れます。入院する前は、二六・五キログラムあった体重が、入院してからは、二四・六キログラムまで落ちてしまいました。腕も脚も皺だらけです。
筋肉を増やすには、動かすだけでなく、タンパク質が必要です。食べ物のうち、筋肉を作るのは、タンパク質です。
私は食べました。肉も魚も何でも食べました。もう一度、自分の足で立って歩きたかったからです。歩いてトイレやお風呂に入りたかったからです。二ヶ月間もお風呂に入れず、手も洗ってないのです。顔も洗えません。今すぐ、ベッドから起き上がって、自分の足で好きなところに行って何でもできるようになりたかったのです。自由になりたかったのです。全ての痛みと苦しみから、一秒でも早く、サヨナラしたかったのです。