ガウディとサグラダファミリア展 ほか
先日開幕したばかりの『ガウディとサグラダ・ファミリア展』を鑑賞してきました。場所は皇居の傍、北の丸公園にある東京国立近代美術館です。
サグラダ・ファミリアといえば「いつも工事中。いつまでたっても未完」な建物等の代名詞。資金難やスペイン内戦などで度々中断されながら約150年工事が続いています。当初はガウディの没後100年に当たる2026年の完成を目指していましたが、コロナ禍のために遅れており、現在は、最も高い塔となる中央塔「イエスの塔」の26年完成が目標だそうです。
いよいよ聖堂の全体像が見える段階に入ってきた今、サグラダ・ファミリア聖堂主任建築家であるジョルディ・ファウリ氏と同聖堂彫刻家の外尾悦郎氏が共同企画に加わって開催されているのが本展です。
この展覧会は、100点を超える図面や模型、写真、映像資料などによって、ガウディの建築思想と造形原理や、サグラダ・ファミリア聖堂の建設の歴史を紹介するもの。
ガウディは、西欧の建築史や異文化の造形、自然の精細な形態の神秘を丹念に研究し、そこから独自の発想と方式を紡ぎだした建築家です。
本展では、「歴史」「自然」「幾何学」の3つの観点から、ガウディ建築の源泉と展開を読み解いていきます。
展示は4章構成です。
第1章は「ガウディとその時代」。
若き日のガウディが、産業革命によって急速に近代化が進む時代背景の元、バルセロナで建築を学んだ様子が、自筆ノートや読み漁った書籍、万博関係の資料(ヨーロッパ各都市で競うように万博が開かれた時代でした)などによって浮かび上がります。
※余談ですが
「失われた30年」を経てなお「過去の栄光」を追い求めんとするかの如き
「大阪万博」に思いが及び、鬱々たる気分になりました…
第2章「ガウディの創造の源泉」。
「人間は創造しない。人間は発見し、その発見から出発する」
と語ったというガウディ。スペイン独自のムデハル様式に学んだ破砕タイル装飾、キリスト教の伝統に基づくネオ・ゴシックとムデハルを統合し幾何学の知識を生かした建築の探求、身近な動植物から着想を得た、椅子や鉄柵のデザイン等、ガウディが貪欲に研究した成果が展示されています。
この章と次の章では、一部を除いて写真撮影OKでした。
第3章はメインというべき「サグラダ・ファミリアの軌跡」。
150年近くに及ぶ聖堂建設の歴史が、写真や模型、映像を駆使して語られるコーナーです。
バルセロナは、繊維産業を基盤に国内でもいち早く近代化を果たし、急激な人口増加を経験した都市でした。急速な経済発展で、ガウディのパトロンとなるグエル氏のような大富豪が現れる一方、劣悪な住環境と貧困に苦しむ層も生まれました。サグラダ・ファミリアは、こうした貧困層のための聖堂として構想されたのです。宗教関連の出版と書店を運営するブカベーリャが、信仰が薄らいだことが社会不安をもたらしたのだと考え、1874年、イエス、マリア、ヨセフの聖家族に捧げる聖堂の建設を提案。信者らの献金を元に、1882年、着工されました。
工事の経過を追って撮られた写真と、四方から見られる、完成予想の模型の精密さが印象に残りました。
外尾悦郎による『歌う天使たち』は、戦禍に遭った「降誕のファサード」のために復元制作された石膏の彫刻群で、現在の石造に置き換えられるまで、実際に設置されていたのだそうです。
第4章「ガウディの遺伝子」。
第3章の最後にサグラダ・ファミリアを映したやや長めの最新映像があり、続いてガウディが後世の建築や思想に及ぼした影響を概観、最後にガウディの名言の数々を映し出す映像があって、展示は終わります。
2時間余り、じっくりと鑑賞し、大いに満足しました。
平日の昼過ぎでしたが、会場は結構混んでおり、比較的若い世代が目立っていたような…。
NHKで関連番組も予定されており、今後、混雑が激しくなると思われます。関心をお持ちの方には、早めの来場をお勧めいたします。
最後に、同時開催の所蔵作品展で最も印象に残った坂本繁二郎作の1枚と、如水会館のマーキュリーで頂いたローストビーフランチの写真を。
さて
どうしても黙っていられなくて、一言書いておきます。
理解増進を騙る「LGBT差別温存」法に、国際問題になるほど人権軽視が進む「入管難民法」改定に、直視すべき財源問題を先送りにするばかりの「防衛財源確保法」…
問題だらけの法案が、このたび次々に成立しましたね。
首相は専権事項ということにされている「解散」風を煽りまくってご満悦のようですし
傲慢な与党に、迫力に欠ける野党に、鈍感な国民(自分も含まれるけど)、
全く嘆かわしいばかりです。
憲法と財政法に詳しい大阪大学教授の片桐直人先生は
「説明責任とは、ただ言えばいいのではなく、聞いた人の納得が得られて初めて果たしたことになる」とおっしゃっています。
絶大な権力を握る与党の政治家には特に、肝に銘じてほしい一言です。