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flavor ーbe natural、


flavor ーafter time

夜は、時に心を静かにする。
夜は、思ったよりも明るいし、
深くなる闇も思ったよりもずっと美しい。

うっすらと星は現れて
やけに明るい月を眺め続ける

深夜0時。
車椅子に乗った日野大吾は、
私に連れられ、
病院の外の駐車場で夜空を浴びる。

右下肢切断術を受けた彼は、
膝から下の足がない。
普段装具をつけない時は、皮膚トラブル予防に切断された足の先に黒い靴下のガードを着用している。

「おにーさん、おにーさん」
私は夜勤中の自身の仮眠時間に、
日野大吾を起こす。

彼とは数年前、
大学生ラガーマンだった頃からの付き合いで、
この手術を境に久しぶりに再会した、
看護師と患者。
不思議な縁の持ち主だ。

「おにーさん、おーきてー」
私は日野大吾を揺らす。
反応はない。

「ね、起きてるんでしょ?」
私は彼の背中に言葉をかける。


「うん」
ぴくりとも動かず、彼は返事をした。
私はもう、
彼の豪快な笑い声を思い出すことができない。
静かな声を聞くだけで、
私の心は冷たい風が吹く。

「デートしよ」
私は周りの患者を起こさないように、
耳元で囁く。

彼を車椅子に乗せ、
ベンチコートをかける。

一階フロアまで行くと、
チーンと小気味よくエレベーターの扉が開き、
車椅子のカラカラとする音は
夜中の廊下によく響く。

「お疲れ様でーす」
守衛さんとすれ違う。

「eriちゃん、月がきれいだぞー」
ニコニコと、
守衛の五郎さんに敬礼し、
彼は少し丸みを帯びた腰をトントンと、
叩いて微笑みかけてくれる。
暗証番号を押して開錠した、
非常扉は、風が強くて、
ずっしりとした重量がかさむ。

「うっ、さっむーーー」

私は駐車場近くのベンチに座り、
ライターでタバコに火をつける。

「ね、eriさん、この時間に守衛さん普通に通してくれたけど、どんな関係よ?」

「deepな大人の関係だよ」

「どんなだよ。笑
つかさ、さみーよ。
毎回デートって言って、
eriさんの喫煙のお供みたいにしないでくれる?」


守衛さんの制服の下には、私が貢ぎ倒したホッカイロがご老体の腰に貼ってある。
それは、二人だけの秘密だ。

田舎の景色に溶け込んだこの二次救急病院は、川縁に建っていて、夜中は底冷えするような強い北風が吹いてくる。

無害で、無欲な日野の心は、
こんなにも横暴な北風に巻き込まれてしまった。
彼の人生は、たった一つの交通事故で
こんなにも大きく変わってしまった。


「ごちゃごちゃうるさいなぁ。
良い男を隣に置いときたいって思うのは、
当たり前の感情でしょう?」

私はタバコの煙を長めに吐きながら
顔も見ないで話す。

「良い男?俺、足ないけど」

日野は、ため息をつきながら右足の先をさする。

「私は、おっぱいないけど。
触ってみる?」

「eriさん、うるさいよ!
厳しいって、もー調子狂うなぁ」

「足がなくても、日野は良い男だよ」

私達はケラケラと大きめに笑った。
こうして、おかしくもない笑い声をあげて、
夜中に優しい嘘をつく。

二人だけにはわかっている。
私達は、時を共にすることしかできないのだ。

でも、私は彼の時間を進めたい。
これは、欲張りな感情なのだろうか。

「ね、来週退院でしょ?
今度は、ほんとにデートしよう。」
私は、彼の顔を覗き込んで、
太く分厚い小指に、無理やり指切りをした。

翌週、私達は、
駅前のエスカレーターの前に立った。



「ちょっと!厳しいって!
 こえーって!むりむりむりむり!
 はえーよ、
なんだよバリアフリーどこ行っ
たんだよ!」


彼は左手に白い杖を持ち、スーツ姿で、現れた。右足の装具は、一見ズボンで、側から見たら
彼の足がないことは誰にもわからない。

ただ、周りに気をつけてもらいたいという願いを込めて、敢えて白い杖を持って出歩いて欲しいと彼にはお願いしていた。

約束通り、これから社会復帰する
普段の通勤のスーツ姿と、
杖を持って現れたことが嬉しい。

私達は、体を寄せて、エスカレーターに乗った。


「eriさん、変なリズム刻まないでよ!!」

「き、刻んでないよ、エスカレーター降りるの苦手なんだって!」

「なんで、
エスカレーター降りるのに助走つけるんだよ!」

「うるさいなぁ、おぬしと同じで苦手なのだ!」


彼のために病院スタッフは、
彼の働く会社の産業医へ、診療情報提供書が作成された。彼が社会復帰をする際に、ハンデになることを丁寧に聞き取り調査をした。

 他職種間カンファレンスを企画した。
足を無くすというボディイメージの変化を、
生活に落とし込むために。

 医師から産業医へ、丁寧に病状の説明もしてくれたし、彼の職場も、受け入れ態勢を整えようと準備をしてくれた。彼の人生は、
多くの人を巻き込みながら、
 少しずつ前進成形されていた。


彼の願い。
同僚と、足の事を忘れて、
一緒に歩いて帰ること。

エレベーターがなくても、普通に歩きたい。
ゆっくりでも、階段昇降をしたい。
私達は、そのためにエスカレーターを何度も、
往復していた。

”デート”と称して。

時間帯によっては人も多いし、
”高速”と書かれたエスカレーターまである。

筋力の落ちた細くなった足、
運びづらさを残す慣れない装具。
人の流れと、足早な人々。

ただでさえ、彼の身長は大きい。
周りから気遣われる存在ではない。
だから、倒れた時の衝撃は大きいし、
周りに与える影響もある。

彼が転倒したら、私なんかが支え切れるか、
それすら怪しい。

だから、内緒で近くにリハスタッフを何人か取り揃えておいた。日野は、チラチラ気にしていたが、ポーカーフェイスのPT(理学療法士)川北は、無言でその往復に付き合ってくれた。


「eriさん、ありがとね」
日野は、見下ろすように、ちらっと私を見た。

「しっかり働かないと、
ご飯奢ってもらえないじゃない。
もんじゃの約束まだ叶ってないけど?」

「だから、年下にたかるよ、高給取りナースが!」

私達は、大いに笑った。
嘘みたいに、口角を上げて。
いつかこの虚飾の現実を、
心を宥める夜に変わる日を、
私は静かに待っている。


どうか、どうか。

彼が幸せでありますようにと祈って。
私たちは、また、
ここで別れることになるだろう。

次こそは、自然な笑顔で再会できますようにと、
願わずにはいられない。

みなさま寒くなりましたが、
お風邪ひかないようにね!



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