見出し画像

たぶん

「残念なお知らせがあります」

私は医事課でPCを広げる看護主任にこう、
口を開く。

「は?なに?」
主任は私のことを見ることもなく、
開かれたPCのキーボードを圧強めに叩いている。

「犯人は、私ではありません、多分」
「は?eriなに?」

語気の強い主任はどうやら機嫌が悪いらしい。
しかし、今の私にはどうでもいい。

「先ほど帰られた高田医師が犯人です。
私ではありません。
多分。
そこを念頭に置いて聞いてください。」

病院で看護師として勤める私は、週に一度行われる、皮膚科・褥瘡回診というものに立ち会う。皮膚科といっても非常勤医師しかいない当院では、褥瘡や、水虫、膿疱症といった幅広い皮膚疾患を在院中の、患者を診察して回るという、至ってシンプルなものだ。

私は患者の部屋の扉を叩いた。
「花岡さーん、皮膚科回診です、
傷の具合を見てもらいましょう」

私は患者の狭いベッドの間をすり抜けて、
診察の邪魔にならない位置の、
1番奥の窓際まで進んだ。

体が細い利点は、
こういう時に役立つもので
隙間は、私にjust fitした。

小さな隙間から体を出し、
患者の体を露出させながら
順調に診察は進んでいく。

「経過良好だね。
ついでに爪白癬の薬も出しておこうか。
まだ、残薬はある?」

「あ、確認しますね。」

私は、患者の床頭台に雑然と置かれる患者の軟膏ポーチに手を伸ばそうとした。

手が届くギリギリのところの
絶妙な位置に来客用のパイプ椅子が置いてあり、それを少し持ち上げてずらしていると、患者、花岡瑞穂の床頭台に、高田医師の尻がドンと勢いよくぶつかった。

カシャン


床頭台の上に置いてあった、
陶器でできた少女の人形は、
鈍くて明るい音を立てて高田医師の尻に向かって、うつ伏せに土下座した。

白い砂のような破片が散らばっている。

「あ、ごめーん」

え、友達?
高田医師は甲高い声でそういうと、
何事もなかったように診察を続けた。

「いいんですよ、気にしないで」
花岡瑞穂は慌てたように、手を振りそう答えた。

え、謝り方軽くね?
え、いーの?
え、私同罪?
どんでもない現場に立ち会ってしまった。
え、私じゃないよね。多分。

先生ごめんって言ってたもんね。
いや、でも、私も近くで椅子直してたし。
お願い誰か私じゃないと言ってくれ。

なぜ私がここまで思い悩んでいるかというと、この診察されている花岡瑞穂は、一つのことを何週間もネチネチと嫌味を言い続けることで有名な、口臭がニッキ飴のお婆様なのである。

高田医師はまだ気づいていない。
事の重要さに。

高田医師からしたら、週に一回、
ほんの数十秒しか、関わらないという大変ドライな関係を分かっていたのかもしれない。

しかし、私は、違う。
廊下ですれ違うだけで
ニッキ飴の口臭の中、永遠としょうもない
クレームを受け続けるのだ。
日々の業務の中で、このクレーム処理という時間はことの他時間を割くもので、
急変があろうと、
検査室に走っていようと、こちらの意思は彼女には通用しない。
ニッキ飴婆さんの花岡のクレームを交わすことに
スタッフは尽力を尽くしている。

とはいえ、貴重品は院内には持ち込まないという、基本ルールはあるものの、やはり信仰や、家から持ち込む人形は、病院で治療を続ける患者様にとって、かけがえのないものであり、我々スタッフも、容認している節がある。

私は、その陶器の人形をそっと立ち上がらせた。
その人形の出立ちは、まるで物語の主人公のようで美しく、瞳は俯き、悲しさを纏っていた。
彼女にとって、
きっと大切なものなのだろうと、思うと、
申し訳なさで心の内側がチリチリと痛む。

知りたくない。
何も見たくない。
私は強くそう思ったが、無駄に強い正義感から
胸ポケットに入れていた乱視用の眼鏡をそっとかけて、陶器の少女の人形をまじまじと見つめた。
人形に大きな外傷はないようだ……

だんだんと、
解像度が上がり、
人形の細部まで焦点が合っていく。

ん?
んんん??


私は項を垂れた。

ゆ、指がねぇ…
人差し指がないのだ。スカートを控えめに持つ左手の人差し指が、明らかに欠けている。

でも、最初からなかった気がする。 
多分。

よく考えろ。
1週間前の私、指はなかったよね?
もともと。
うん、もともと、なかった。
たぶん…

私の手は、小刻みに震えていた。
脳の指令とは異なる、
自然発生した
不随意運動である。


私が人形と対峙していると、背後から軽い声が聞こえてくる。

「ん!おわり!」

皮膚科医の高田医師は、診察が終わると、白衣を翻して颯爽と部屋を出ていった。

ぽつーん
私は現場に取り残された。
ん!おわり!
いいよなぁ、
アンタは診察終わったら終わりだもんなぁ…
高田医師の顔はシルクのように美しく、
艶があり、可憐だ。

可愛いは、正義である。

私は振り返った。
乱雑に軟膏の残薬は患者のベッドに
置かれている。

医者という者は、揃いも揃って、
片付けというものができない。

「気にしないでね」

診察の時とは打って変わって
花岡瑞穂の冷淡な声は、
私をそのまま床に土下座しろと告げていた。

「気にしないでね」
こんなにも気にする、「気にしないでね」なんて、私は生まれてこの方聞いたことがない。

私は軟膏の片付けを急いで行い、
花岡瑞穂の冷たい視線を背中で感じながら、
人形の破片をティッシュで集めて、そっとビニル袋にしまった。
まるで、証拠を隠滅するかのように。

そして、何も言わずに、
深く、長めの会釈をしてそっと現場を離れた。

私は同罪なのだろうか。
確証がない。確かに私もあの時パイプ椅子を運んでいたし、犯罪に加担したようにも思う。

私は、看護師賠償保険に加入している。
患者の私物の壊した場合、
確か上限1000万ほどは入金される気がした。
多分。
曖昧な記憶は、
私の両手の不随意運動を増強させた。


医事課では忙しなく外線の音が鳴り響き、キーボードを叩く音や、書類をパラパラとめくる職員たちが忙しなく働いていた。

事の一部始終を聞いた上司はため息混じりに私に話し出す。

「eriじゃないのね、多分」
「はい、私ではありません、多分」

主任は、眼鏡を外すと、椅子を回転させて、私の顔をまっすぐと見た。

「人形の倒れ方を聞く限り、
犯人は高田医師ね、多分」

「はい、私ではないと思います、多分」
「指は、もともとなかった、それは間違いない?」

指は元々なかった…
繰り返し受けるこの質問に、
私は、もはや、指はあったような気もしてくる。
捲し立てる主任の声は、
私の顔面に強いライト当てるようで、
ついつい、
「私がやりました!!」
と自供してしまうところだった。
きっと、冤罪はこうして成り立つのだろう。

冤罪を受け入れようとする私。
mika夫の描く私の想像画。
全てを諦めて哀愁だけが漂う。


「謝ってくるわ。壊れるもの置かれちゃうとねぇ。大丈夫、高田医師が壊したなら、あの気難しい花岡さんも納得してくれるんじゃないかしら、たぶん」

漢字変換の多分は、自信がなくなると、ひらがなの「たぶん」に変わる。
私は音でタブンの振幅の響きを感じながら、脳内で音声が表記されていく不思議を反芻していた。
そんなことを思いながら、タブンのボキャブラリー辞典を広げて、ローマ字表記のTABUNの発声練習まで妄想の中で行っていた。

噂は早い、通り過ぎるスタッフたちは、私の顔を見ると皆スカートを広げるそぶりをする。

すでにもう、ネタにされ始めている。
私は、こんなにも怯えているのに。

「eri、
あの人形の指はもともとあったと思うぞ。
たぶん」
そういうと、仲良し任侠ヘルパーは
やれやれだぜ…と呟き悲しそうに
両腕と首を振った。

しかし、そんなことだけに囚われていては仕事は進まない。
私は病棟で、患者の対応に追われていた。
膀胱留置カテーテルの交換をしていたのだ。
尿道が2個ある…
時々、トラップのように、尿道らしき穴が並列して同じようなサイズで2個あるという
不思議な体験をすることがある。

私は悩んでいた。

すでに自らカテーテルを自己抜去したお婆様は、
上手に抜けたでしょ?っと、病室の天井を眺めながら笑っていた。

右か、左か。
よし、こっちだ。

多分

私は一か八か、管を入れていく。
排尿の流出が見えてくる、よしよし…
この多分は正解だったようだ。

「eri」

私は肩でビク!!という音を体現したと思う。
危なくせっかく入ったカテーテルを抜くところだった。

「残念なお知らせです」

聞き覚えのあるワードは、嫌な予感しかしない。
私の背後で、主任はこそこそと、
そして淡々と私の耳元で話し出す。

「一応謝りに行ったのよ、
そしたら、
大事にしないでって花岡さん笑ってたわ」

残念なお知らせの後に言うことではない発言に、動揺しながらも、私はカテーテルが抜けないよう滅菌水をゆっくり注入し、バルーンをふくらませる。

「気にしなくていいのよ、
リヤドロだけどね、って、言うのよ。」

「リ、リヤドロとは…」

主任は、私の顔の前に
スマホの画面をそっと差し出す。

それは、
リヤドロというブランドの実に10万円を超える、
高価な陶器の見覚えのある人形だった。

「謝罪は受け入れてもらえたし、今回は、貴重品を持ち込まないルールであったのをわかっていたこともあって、納得して頂けたわ。
大丈夫よ、タブン」

「タブン…」
主任と、私の多分は、
自信のなさと後ろめたさの残る
カタカナのタブンに変わっていた。

私はこの時、来週の予約オペの週間予定表と、
ニッキ飴の香りがよぎっていた。

 1月30日 花岡瑞穂 CAT PEA .IOL14時〜

白内障の手術を彼女は控えている。

つまり。

彼女はまだ、あの人形の全貌が見えていない。
TABUN。


#恐怖に怯えるモスキート 。カウトダウン編

mikaファミリーの天才画伯誕生記事はコチラ。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集