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love letter

「eri、結婚しよう」

2人きりのエレベーターの閉塞感の中、佐藤医師は、私の顔も見ることなく、こう言う。

「また言ってる」

チーンと、エレベーターの扉が開くと、彼は白衣をひらつかせて、気だるそうに聴診器の位置を整えながら、歩き出す。
私のことは振り返らずに。

私が入職した総合病院で働く佐藤医師は、
寡黙で、指示も的確な患者にも慕われる、
総合内科医だった。

いつしか2人きりになると、必ず行われる、真意のわからないプロポーズは、すでに5年の時を経ても、変わらず続いていた。

食事の誘いもないし、必要以上に話すこともない。ただ、時折私の顔色を見て、「診察してやる」と言って、採血オーダーをとり、鉄剤や、ビタミン剤処方してくれたり、熱でへろへろになって働いているのを見かねて、点滴を落としてくれたりと、第二の患者のような、友達のような関係性を保っていた。

とりわけ、医学知識の高い佐藤医師は、アンテナも高く、学会でも論文発表をしながら、自らの手腕を広げ、新しく内科での専門外来も作っていたし、透析患者のシャント増設術や、
新たなチャレンジもし続ける、
優秀で、柔軟性の高い医師だった。

入職当初、医療現場に不慣れで、未熟だった私は、技術も経験も伴わず、CVカテーテルの介助も、挿管の介助もうまく行うことが
できなかった。

誰が見ても呆れられるほどの劣等生で、
「お前みたいな看護師が人を殺すんだ」
と、面と向かって言われていたし、半分病棟から干されていたし、誰からも口を聞いてもらえない日常は、私にとって景色に変わっていた。

背中を見るだけで、
先輩ナースの機嫌はわかるし、
聞いてもらえない報告や、
相談の私の声は、ぽつんと床に落ちて、
いつだって、1人で働いていた。

耳鳴りは片耳から両耳に広がり、
キーキーと私の心を捲し立てて、
冷たい廊下の足音や、
ステーションのモニターの音や、
点滴棒を揺らす、がらりがらりという音が、
どこまでも
続くように響いていた。

看護師を辞めたい。向いていない。いくら勉強しても追いつかない。そんな憤りを感じても、「辞める」と言うのが怖くて、毎日トイレで吐き戻しながら、それでも引き攣った笑顔を持って働いていた。

「いつもヘラヘラしてる。メンタルやば。」

そんな陰口は日常化していて、挨拶となんら変わり映えのないものに変わっていた。景色はいつもどんよりしていて、空気は重たくて、患者は、下っ端のナースにはわかりやすく、他ナースのクレームや、病院の体制や、医師の悪口を浴びせた。患者への採血中も、オーバーに体を動かして、「血管損傷したらどうするの?」と、ニヤニヤしながら胸や、尻を触る中年男性も、
わかりやすく大勢いた。

私は、滅入っていった。

そんなある日の夜勤中、結果的に重症肺炎を併発していた患者を見つけた。当直医に連絡しても繋がらず、医局に行ってもおらず、対応に困っていると、佐藤医師はコーヒーの缶を片手にふらりとたまたま病棟にやってきたのだ。佐藤医師と会話したのは、この時が初めてである。

「佐藤先生!急変です、指示をください!405稲垣さん、82才男性肺炎の方です。既往に鬱血性心不全あります。直近のラボも悪いです。サチュレーション落ちてます。レベル3桁、下顎呼吸です。血ガス準備してます。レントゲン室にも連絡取ってます。備えてMEにも連絡入れてます。
先生、指示を」

私は慌てていた。

看護師に出来ることは限られている。
診療の補助。患者の観察と対応。
円滑な外回り、
それが急性期病院では求められる。

彼は今非番だ。頼む相手は間違っている、でも…

「わかった、とりあえず患者見に行こう、カルテは出てるね?とりあえず情報くれる?」軽い返事で、缶コーヒーを置き、スタスタと患者の元へ向かってくれた。


的確な指示のもと、患者は人工呼吸器を乗せて、命を繋ぎ止めることができた。
「今日、受け持ち?」佐藤は電子カルテに情報を記載しながら、私に問いかける。

「いえ、オペ室から戻ってきたら、
この状況で、先輩もどこにもいなくて」
私はアワアワと俯いて話す。

「いや、君のおかげでギリセーフ。
欲しい情報が端的に聞けて助かった。
にしても、全員把握してるわけ?
ありがとう。」

私の受け持ちではない。でも、出勤した時から、フロア全員の患者のカルテを閲覧する。どんな状況が生まれても良いように。入院している患者の情報は全て知っている。それは、新卒の頃から行っていた、私の小さな小さなルーティンだ。

「エビデンスがあるから、報告ができる、
君は良いナースだよ」

私は、看護師になって、初めて人に褒められた。

佐藤医師は、PHSをもち、当直医に引き継ぎの電話をかけてくれた。ナースからは絶対に出ない、今回も電話に出なかった、偏屈な伊藤医師へ。

そんなやりとりをきっかけに、佐藤医師の受け持ち患者が急変の時は、私が他病棟に行き、介助の見学や、練習に付き添わせた頂いた。

「喉頭鏡、持つ位置が悪いよ、取りやすいように渡してくれる?
エアの確認は君に任せたよ」

そんな小さな細かい助言は、私に少しずつ自信を与えて、気付けば病棟のリーダーナースが定着しだしていた。技術と、知識が伴うと、周りからのナースの陰口はなくなっていったし、いつのまにか同僚のプライベートな相談まで私の下には集まってくるようになっていた。
毎日の業務は苦しいこともあったけれど、看護師として、成長できることは、喜びだった。いつのまにか委員会の長に抜擢されていたし、管理職の話も若いながらにちらほらと打診があった。

その分私のプライベートはめちゃくちゃで、
結婚してからも、夫の束縛や、浪費や、女関係や、暴力は絶えなかった。

仕事に逃げるしかなかった。
佐藤医師からもらった医学的知識は、いつしか私の宝物になっていた。女1人でも生きていける、そう確信に近いものを育てることが
できるようにまでなっていた。

だんだんと、佐藤医師とは、心の距離も近付いていったように思う。2人きりになると、彼は

「結婚しよう」

と、ことあるたびに私に言うようになっていた。

手も握らない。唇も交わさない、
外に一緒に出かけたこともない。
それでも、彼は私の返答を聞くことなく、それだけこぼして、自分の仕事に向かっていた。

心の支え。

薄汚れて黒く澱んだmarbleな心は次第に、色が滲み出して、淡いsepia色に変わって行った。
少しずつ、私の心は、動き出した。


ある日、誤嚥性肺炎の患者様に
経口摂取が困難であることから、
胃瘻増設のICに、
佐藤医師と共に、同席したことがあった。

「あんぱんが食べたい。口から食べ物を食べたい。チューブなんか絶対に入れない」

患者はゼロゼロと痰絡みのあるウィスパーな声で必死に訴えていた。

「牧さん、気持ちはわかったよ、あんぱん食って死にたいんじゃろ?」

佐藤医師は優しく諭した。
VEでの結果もボロボロで、牧さんという患者に送る「食べられない」という死刑宣告。
佐藤医師は、静かにうなづいて聞いていた。


牧さんを担当する言語聴覚士は、お楽しみ程度でも食べられるように、ゼリーの経口摂取に尽力をあげていた。それでも、あんぱんを食べたい牧さんにとっては、「こんなもの…」と思うようには進まず、呼吸筋と共に、廃用も進んで行った。食べ物を摂らないと、栄養が足りないと人間は衰弱するのだ。骨と皮だけのような体と赤みのない頬は、彼の悲しさを滲ませている。

それからしばらく経った後、私がいつも通り仕事をしていると、胸元のPHSが鳴った。

佐藤医師だ。

「お誕生日会をやろう」

集合場所は、病院の外来付近の桜の木の下。
桜吹雪が舞う、比較的穏やかな、暖かい日差しのある日だった。

そこには、佐藤医師と、言語聴覚士、そして、牧さんと奥様が、牧さんの車椅子を囲うように談笑していた。
牧さんは、85回目の誕生日を迎えた。

佐藤医師はガサガサと
コンビニのビニル袋を漁り始めると、
大きめの”あんぱん”が顔を出した。

「eriライターもってきただろ、だせ。」

ライターを差し出すと、小さめの白い蝋燭をあんぱんの中心にブッ刺し、カチカチと火をつけた。円を描くように私たちは近づきあい、蝋燭に灯る優しい光が消えないように手のひらを広げた。

「ハッピーバースデートゥーユー、
ハッピーバースデートゥーユー、
ハッピーバースデーディア、
牧さーん。サンちゃんー。
ハッピーバースデートゥーユー」

誰よりも大きく、佐藤医師は歌った。
彼の声が大きすぎて、
私たちは吹き出し、
鼻息で蝋燭はゆらりゆらりと揺れる。

「おめでとうーーー!!!」

代わりに奥様が蝋燭の火を消し、あんぱんの半分は奥様へ、残りの半分を小さくちぎって、牧三吉の口の中にそっと、運んだ。


口の中で、ゆっくりと牧さんは、
あんぱんを転がしていた。
いつまでも。

唾液すら少ない彼の口の中で、
少しずつ、
グチャグチャになったあんぱんは
飲み込むことはせず、
奥様に手伝われながら
そっとビニル袋に吐き出された。

自らがうまく飲み込めないことを、
彼は理解していた。

「あまいなぁ」

あんぱんは、彼の生きがいだった。
甘い甘いあんこの味を彼はいつまでもうっとりとした顔で空を眺めながら
時々奥様の笑顔を見ながら
楽しんでいることがわかった。

桜の花びらは、
私たちの足元に落ちて、
風に吹かれて飛んでいった。

鳴り止まないPHSを契機に、
私たちはお誕生日会をお開きにした。

結局、牧さんは介護保険を目一杯使って、自宅へ帰ることになり、奥様が介護の一手を担うことになった。始めは施設を探すために胃瘻を作ることに熱心だった彼女は、「とことん、主人に付き合いますわ!あんぱんをね、2人でよく、半分こしたのよ」と、涙ながら話され、
しきりにお礼を言っていた。

退院してからの牧さんのことは、誰も知らない。

でも、私はこの時、
患者のHOPEについて深く考えるようになった。

一人一人の患者は、人間だった。

自分なりの美学と、希望と、死に方を選ぶことができるのだ。私たちは、ヒトの人生を簡単に変えることができる。

美しい死に方を選ぶことができる。
そう、このエピソードを通して私は
受け身であってはならない、
患者に寄り添っていく、と心に決めた。
佐藤医師は、
私の看護観をゆったりと育んでくれた。
白衣の背中は逞しくて、優しさで溢れていた。


桜も散って、気だるい雨も終わって、
蝉がジージーと鳴き始めて、
気付けば秋がすぐそこまで来ていた。
私は昼休憩に松屋の牛丼を手に非常階段で昼食を取っていた。
PHS以外誰にも邪魔されない昼食は
私の唯一の楽しみだ。

「eri」

私の背後には、佐藤医師がいた。

「さとちゃん、どーしたの?」

私たちはいつのまにかeri、さとちゃんと呼ぶほどの近しい関係になっていた。

「俺、ここ辞めるわ」

さとちゃんは話し続ける。
ぽつんぽつんと。

そして、
私の隣に、
さとちゃんは、ゆっくりと腰を下ろした。

肩に当たる体温は、
じんわりとじんわりと
私に移っていく。

「eri、結婚しよう」
この言葉を聞き始めてから、
初めて目を合わせた気がする。
まつげは長くて、瞳は茶色くて。
私は、彼の顔を初めてちゃんと見た気がした。
胸の奥が騒がしい。

私は黙っていた。

「実家の三重で開業しようと思ってる。
eriと、一緒に、ずっと働きたい。
eriの大切なものは一緒に守るから」

私たちは、お互いに多くを語らない。
でも、深部は繋がっていて、私の大切なものや、捨てられないものを、彼はよくわかっていた。

彼は、
私に”好き”や、”愛してる”
といった表現は一切しない。

それでも、何となくその言葉がなくても、
彼の想いはちゃんと、私の心には響いていた。

言葉じゃないもの。
2人だけにしかわからない、
共に時間を過ごした日々は、
言葉を軽く飛び越えていくくらいの
絆に変わっていたのかもしれない。

私は何も言えなかった。
やっとの思いで口にした言葉。
それは

「ありがとう、」

だった。

さとちゃんは、
私のその後に続く言葉を
待ってくれていたようだった。

肩に伝わる体温は、
ぬくもりは、
こんなにも心地の良いものなんだと、
私はこの時初めて気がついた。

そんな中で、この、
何の言葉も生み出さない時間は
ずっしりと重くて、
胸の奥は暖かさと、
チリチリとした痛みが混在していた。
それでも、肩に伝わる温度を私はまだまだ、
感じていたいと、欲張った。

ピリリピリリピリリ
さとちゃんの白衣の胸ポケットのPHSが鳴る。

「自分のことを、大切にしろよ。
じゃーな」

さとちゃんは、それだけ言って
私の頭をくしゃっと触った。

肩のぬくもりが、急に遠ざかる。


そして、いつのまにか
彼の気配はなくなっていた。


私はビニル袋を漁り、他ナースに渡し忘れた、多めに用意されていた紅生姜と、七味唐辛子を何袋も開けて牛丼に乗せて、食べた。

鳴り止まないPHSにも気づかずに、
ひたすらに口に詰め込んだ。

味なんてなかった。

次第に、
鼻水と、涙で
ぼそぼそと固まって冷えた牛丼を
喉の奥に押し込んだ。

冷たい味の染みたお米と、
歯切れの悪い牛肉は、
噛んでも噛んでもなくならず、
喉の奥に引っ掛かるように残った。

私の心はまた、marbleに、
新しくて、悲しい色を重ねた。



あの時、私が彼の肩に甘えることができたなら。
あの時、結婚生活を終わらせていたのなら。
あの時、女としての人生を選んでいたとしたら。
時々、そんなことを思い出す。


彼とは、手すら触れたことがない。
言葉を交わし、患者を通して、
医学という宝物を私に与えてくれた。

それを、今でも色を付けて、
私なりの看護を探し続けている。
同じ時を過ごしたことを暖かい思い出に変えて、
私の根幹を作り上げてくれたことに、
感謝している。



脳裏を掠める、足元に落ちた桜の花びら。
一瞬でも、marbleから解放された、
淡い桃色の心と、あの時の蝋燭のあかり。
かったるそうに歩く後ろ姿と、凛とした横顔。

「eri」と、呼ぶ、低くて、聞き取りづらい声。
初めて知る、彼の肩のぬくもり。

私は今、看護師をしている。
そして、今でも時々思い浮かべる。

確かな技術と知識を、
私色の宝物に暖かく育て続けるために。



そして、これは、
10年越しに彼に宛てた、
私からのlove letter。


#冬の恋物語編

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