エール。
弓道とは、八つの動作から成り立つ、礼に始まり、礼で終わる古き武道である。
高校時代の弓道部での記憶である。
足踏み(あしぶみ):立つ位置を決める
胴造り(どうづくり):姿勢を整える
弓構え(ゆがまえ):弦に指をかける
打起し(うちおこし):弓を持ち上げる
引分け(ひきわけ):弓を引く
会(かい):狙いを定める
離れ(はなれ):矢を射る
残心(ざんしん):矢をた後の姿勢
これを、関連付けて、肩を大きく広げて、会、狙いを定め、左手の弓を抑える手の内を整え、右手で、弦を引く。手の内のバランスと、弦を引く右手は、均衡をとり、緊張と、筋緊張がちょうど終わる頃、弽(かけ)という手袋と共に、離れ、矢を放つ。
矢は弧を描くことなく、真っ直ぐ、突き刺すように的へ飛んでいく。
「ようーし!!」
的中すると、周囲は、良しと声をかける。
残心。矢を放つ名残を体に感じながら、美しく体勢を直し、礼をする。
武道とは、心技体を一体として鍛え、人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する態度を養う人間形成の道のことである。
弓道もその一つだ。静けさの中、一つ一つの手技を丁寧に行なっていく。一つでも、手を抜くと、射法八節はあっという間に全て崩れる。仮に的中、矢が的に当たったとしても、それは一回きりのまぐれで続くことはない。手の内を磨き上げること。矢を放つこと。ただ、それだけだ。
伝統ある、私の高校では、弓道場が校舎の離れにポツンと建っていた。
雨戸を開け、道内を雑巾掛けをする。新しい的を貼り直し、的をセットする安土の砂地を箒で整える。
弓の弦を張り直す。お気に入りの重さを選び、手の内に合うよう、テープをはりかえる。
弓道着に着替え、髪の毛を束ねる。
一人の空間、自分との、対話。
私は弓道が大好きだった。
張り詰めた空気の中、道場の真ん中で、一つだけの的を置き、真新しい的に向かって矢を放つ。
パン!!
ピンと貼られた、的紙の中心を捉える。
的中。
もう一度、鏡で、自身を見ながら、射法八節を作り上げる。
かん!!
矢筈に当たった。継矢である。
継矢とは、後に引いた矢が先に引いた矢に中って食い込み、あたかも1本になったように見える状態のことを言う。同じ位置に矢が飛ぶ。真ん中。
心の中で、ようし。と呟く。
初めて、自分に取り柄ができた気がした。
何度も矢を放っても、私は全ての矢が的の中心に飛ぶようになっていた。
毎日毎日、何度も放っても、的中する。
私は、エースだった。
関東大会は、すぐ、そこまで来ていた。
大会当日である、私は、殆ど一日の事を覚えていない。ただ、一本も当たらなかったと言う事だけは覚えている。
それからの私は、射(形のこと)がどんどん崩れていき、早気という病気にかかることになる。
会を保持できず、意に反して矢を放ってしまうこと、
いわば、「イップス」だ。
イップスの原因は解明されていない。中には、ジストニアに通ずる神経系の問題と緊張、不安といった心理系の問題が関係しているとも言われている。
真夏の軽井沢は、雪がちらついていて、弓道着だけでは、頼りなく、手がちぎれそうだ。
一度、射が崩れた私は、弓が上手く回転せず、顔や、肘を、弦が弾いていく。右の頬も、左手も黄色く変色し、感覚を失っている。
潮時かな…。
私は、主将でありながら、部で1番の劣等生に成り下がっていた。スコア表には、私の欄だけが、ばつ印が並んでいた。
涙も、もう出なかった。ただ、淡々と自分の番には、矢を放ち、外れ、それをひたすら回収した。私は腐っていった。
ただ、私は、それでも3年間部活を辞めなかった理由がある。
友達だ。
「eri〜!!」
弓矢を持ちながら、一人は自転車に跨っている。複数人で自転車を、押し、ユラユラ不安定だ。
ガッシャーンと自転車と共に友人たちは倒れ、血だらけになりながら、ケラケラ笑っていた。
「ヤブチャリ〜!!」
流鏑馬、ならぬ、ヤブチャリ。馬を調達できなかったギャルたちは、チャリで限界突破しようとしていた。
確かに、我々の流派は流鏑馬を行う小笠原流なので、理には叶う。
「暗い顔してないで、一緒にやろーう!」
私は結局、引退するまで、早気は治らなかった。
スコア表には、×印が続いてた。
なんとなく、その時、自分は格好悪い大人になるんだろうな、と予感した。
弓道部引退の日、無口で覇気のない顧問が、私のところへつかつかとやってきた。
「徳養以射!!」
耳が痛くなるほど、大きな声だった。顧問はサッと背中を向けて、定位置のベンチに座った。
私は多くの人にエールを貰っていた。
これから、私は見ず知らずの誰かに、エールを送る仕事をしようと、ぼんやりと考えるようになる。
左腕は、黄色みを通り越して青紫色に変わっていた。私はそっと腕を撫でた。
道場に、長い間、礼をした。
ぽつりと、涙がこぼれた。