理解しなくていい。感じればいい。
よくある会話
。。って事なんだけどわかってる?
。。ちゃんと理解できた?
これは仕事でよく使われるフレーズ
確かに確認しなきゃ始まらない
仕事って
つくづく人間の本能に逆らう行為
って思う
そりゃ、ロジカルに考えて理屈成り立ててその通り動けば快感なところある
そうなんだけど、決してそうじゃない部分がある
だいたい人間なんて、間違いを起こすしやらかすし、失敗だらけだし
本音はなんか気分で決めてしまう事が多いはずだ
友達、恋人、パートナー、親、兄弟、子供、祖父母、同僚、上司、部下、親友、悪友、幼馴染、先生、師匠、弟子。。。
生きて行くうちに、いろんな価値観の人間と出会う
その一人一人を理解だなんて本当にできるのか?
その人のことを四六時中観察して何がわかると言うのだろうか?
私は割と長い間、そう言うところで悩んでいた。
が、どうやら、どれだけ人の気持ちを理解しようとしても無理じゃないかと思うようになってきた
超能力者でないし、人の心を読んで何考えてるかわかるなんて、もはや人間じゃない
サイコパス的な推理はできるけど、理由なく動く心は読めるはずはない
よくよく考えてみると
そもそも自分が
自分のことわかってるわけない
心の奥のずっと奥の思いはもう自分でもわからない
そんなふうなもんじゃないかな
だから、私は人に対して理解することは辞めた
その代わり、
人の気持ちを感じることにした
言葉にできるかどうかは置いといて
とにかくその人から出てくる感情や表情や言葉、熱量、オーラ?思いの強さ
そんなことを自分の五感を駆使して感じることにした
した。と言うか、実はずっとそうだったのかも知れない
そして、いつのまにか働いたり学んだりしていくうちに理解しなきゃって洗脳されてたんだと思うよになってきた
感じたままでいいんだ
敢えて周りに気を遣ってこんな表情見せちゃいけないとかしなくていい
ただ向き合った人に全力で感じていればいい
子供の頃に強烈な歌に出会った事があった
興味があれば調べてみるといい
その一節にこう言う歌詞がある
嵐の中に人の姿を見たら
消え入るような叫びを聞こう
わかり合うよりは確かめ合うことだ
季節のめぐる中で今日を確かめる
なんかかっこよくてめちゃくちゃ歌を練習してた
当時はどう言う意味を持ってるのかもさえわからなかった
が、大人になってやっと
そうかこう言う事なんだなと
少しずつわかったと言うか
自分に腹落ちできた
なんかそれでいいんじゃないかな
イメージを自分なりの記憶の仕方で
この人はこんな感じ、こんな色してこんな格好してる、こんなメロディの人だ、こんな食べ物がめちゃくちゃ好き。。
なんでもありでいい
もし、人間関係で悩んでる人がいたなら、頭でビビりながら何言おうか考えるばかりじゃなくて、
自分の気持ちの感じたことを大切にする
と、もしかして飲み込めたり、少し余裕ができるかもしない
気休めだけど。。。
この章はここまで
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