好きな曲は好き~旅の途中/くるり~
はじめに
今日はくるりの『旅の途中』という曲についてお話しします。
この曲は私が中学生の頃よく聴いていた曲です。
空を眺めるBGM
軽やかなメロディー、安心感のある声から始まります。
きっと当時では珍しく、イントロがとても短い曲だったのではないでしょうか。
春の日差しのように柔らかく、温かく、ちょっとわくわくする冒険心も添えたような曲だと思っています。
私は中学生の頃、休日に、昼間の勉強の合間にこの曲をイヤホンで聞きながら部屋から空を眺めることが大好きでした。
外に出なくても散歩気分を味わえるような、そんな気持ちがしていました。
今考えると、『どこかに行ってしまいそうな心』とは、空を眺めて、ぼんやりと目の前のことではない何かについて考えを巡らせているような様子を表現したのかもしれません。
それで、名前を呼ばれて現実に戻ってきたような様子でしょうか。
私は、未来について考えを巡らせていたのではないかと考えました。
今ではない何かについて考え込んでしまっているときに、
「今ももうちょっと大事にして」と、現実に連れ戻されるような、
「まだ人生の途中だから、そんな遠くのことを考えても仕方がないよ」と言われているような気分でしょうか。
眩しい夢を見て、現(うつつ)に気付く
次の歌詞です。
中学生の頃の私は見たこともない道の見たこともない男女二人を想像していました。
なんとなく、ほほえましいような関係を想像して、部屋から見える雲を見ながら、「平和だなあ」なんて考えていました。
そのせいか、今でも私の中での春の曲はこの曲です。
ただ、今はもう少し違う考えを持っています。
旅(人生)の途中に見る、眩しいほど輝いている夢を追いかけすぎて、夢ばかり見過ぎて、“今”を大事にできなくなっている人への曲のように思えました。
そんな人に『キスしようよ 私のことつかまえてよ』って言って、
夢の対義である現(うつつ)に引き戻してあげているような。
夢を追いかけることは時には楽しくて充実しているように感じることもあるかもしれません。
でも、必ず苦しくて辛くてもどかしい時が来ます。
そんな時に、「ちょっと休みなよ」って目を見ていってくれるような、そんな曲です。
『次のバス停まで歩こうよ』は、中学生の時には、「二人でゆっくりとした時間を過ごしたいぐらい一緒に居たい人なんだなあ」と考えていました。
もう一つ先のバス停まで歩くということは、長く一緒に居たいことだと考えていました。
しかし最近では、「人生において、また夢を一生懸命追いかけるようなタイミングがくるまで今は少しゆっくりと、“今”に時間をかけよう」と言っているように思えました。
砂利道を歩いて、童心にさよなら
サビです。
中学生の頃は、次のバス停まで仲睦まじく歩いている様子を想像していました。
そんな風に大事に想うことができる人と一緒の時間を過ごしていることが、夢のようだから、ずっと続いてほしいな、と思っているのかなと考えていました。
最近はやはり、これは人生を示しているように思えています。
今考えることができる未来はずっと続いているようで、どこが終わりなのかもわからないような状態で、
そんな人生をゆっくりと、ゆっくりと歩いていく。
その道(人生)はきっと真っ平ではなく、気を付けないとつまずいてしまいそうな砂利道のようなのかもしれません。
『夢なら醒めないで』と思うことができるような人生を歩みたいですが、なかなかそううまくいかないものだと思います。
それでも、一瞬でも「醒めないで」と思える出来事があると嬉しいですよね。
そんな「思い出を大事に抱えながら砂利道を歩いていこうよ」、という雰囲気を感じました。
さらに、『綿毛のような心』は“童心”だと考えています。
歳をとるに連れて、現実ばかり見てしまって、それに伴って将来を考えて行動することが多くなってしまう。
小さい頃何も考えずに歩くことができていたような無敵感は無くなってしまう。
そんな“大人になること”を表現した歌詞なのかと思っています。
冒険心を持った君がまぶしい
軽やかな感想をはさんで、次の歌詞です。
ここから一気に、まったりとのんびりとした雰囲気が増します。
楽器の数も少なくなっているような?感じがして少し寂しさも感じました。
この曲を初めて聞いたとき、『見知らぬ行き先に微笑む』ということに全く共感できませんでした。
私は臆病なので、絶対にそんなことはできない!と思っていました。
でも今では、微笑んだのは主人公ではなく、『君』だったのではないかと考えました。
知らない行先に微笑むような冒険心と勇気と自信を持った人が羨ましい、ということを表現しているのではないかと。
そうするとこの曲の主人公と私は似た者同士です。
臆病者なのかもしれません。
絶対に自分が真似できないことができる人を見ると、
羨ましく眩しくて、尊敬して、時に妬みたくなるほど。
しかしこのような人がそばにいることで、自分の中に『綿毛の心』をほんの少し取り戻すことができるのかもしれません。
だから名前を呼んで、“今”に引き戻してほしい、そんな気持ちでしょうか。
最後の歌詞です。
ここでもう一度、「まだ人生の途中だからね」と強調してくれているように感じました。
さいごに
くるりはメンバーがよく変わるということは知っていますが、私はその辺の情報はあまり追わないようにして、このころの曲を楽しんでいます。
深く考えると考えることができる曲ですが、やはり散歩にちょうど良い雰囲気だと思います。
ぜひ皆様も聴いてみてください。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
♡励みになりますありがとうございます。