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好きな曲は好き~流星ヘブン/大森靖子~

はじめに

今日は大好きな大森靖子さんの『流星ヘブン』という曲について考えたことを書いていきます。


何処で誰に愛されたい?

この曲は繊細で軽やかなピアノから始まります。
“軽やか”だと感じたのは、おそらく、譜面上で言う装飾音符が多いからであると思います。
半音の装飾音符、おしゃれですよね。

『A. 命の使い方 この世界に愛されたい
 A. 命が消えるとき あの星は流れて光る』

私は愛されたいと願っています。
欲深くも私が愛したい人に、私の思う通りに、愛されたいです。

近年、「嫌われる勇気」という本が有名になっていますよね。
私は1/3で読むのをやめてしまいました。
この本を閉じたからこそ言えることですが、好きな人に好かれればいいやなんて思えるはずがないんですよ。
できる事なら、私と関わる全ての人に私の世界の中では好かれていたいんです。

好かれることに全力になっていては大事なことを見失う、とも言いますが、今ある命を好かれることに使う人もいるでしょう。
私が今やっていることも、将来の選択も、関わる私の世界の人々に良く見られたくてしているかもしれません。

そこでこの歌詞です。私は「私の世界で好かれることに一生懸命になった私の命が消えるときに、私ではない誰かが輝くんだ」、と読みました。
私は『あの星は流れて光る』という歌詞を、私が消えて星になった、とは考えることができませんでした。
私ではない誰かが、私が消えることで喜ぶ(光る)人もたくさんいるでしょう。
それでも“この世界に愛されたい”のです。

『ラブソングが幸せを願う “あなた”以外を救うため
 私が君に会いに来た 君も私に会いに来た
 “ヘブン” “ヘブン” “ヘブン” “ヘブン”』

世の中には愛の曲が多くあります。
ラブソングは誰かが私じゃない誰かを大切に思い、愛して、その切なさと想いの強さを歌います。
ラブソングの対象が自分だと思おうとしても、そんな愛され方、されたことないし、と体操座りで拗ねてしまいそうになります。
このような考え方をして、私は誰にも(まだ)愛されていないと沼の奥底に沈んでしまいそうになる私に、大森靖子さんが会いに来てくれたような気持ちになるのです。
でも、もしかしたら大森さんにとってはこの曲を通して、私が大森さんに会いに来たように見えるのかもしれません。

同時に、この君というのは死ぬ直前の私なのかもしれません。
死ぬ前の私が、私に合うことができるということは、私はまだ死ぬ時ではない、ということを伝えに来てくれた、のかもしれません。
このような考え方もできます。
音楽って面白いですよね。

『A. アカウントを消して 仮想的に自殺する
 自撮りは私の遺影 2ギガのムービーは走馬灯
 一秒毎に私は死んで生まれ変わるから
 一つ一つの死骸を拾って 愛して
 私流星 “ヘブン” “ヘブン” *繰り返し
 私で魂ヌいてください』

〇さつを現実で実行することはすごくすごく難しいです。
だからこそ、簡単に手に入って簡単に手放せるSNSの世界は楽にこのようなことができます。
かわいいかなって撮ってみて、アイコンにしてみたけど、可愛くなかった写真は遺影にしましょう。と表現しているように感じました。



死ぬことは人生において唯一の結果である

ここから所謂サビになります

『消えてしまう前の私に 一瞬でもいい追いついて
 天国はそこらじゅうにある ただそこらじゅうで爆破する
 死ぬことが人生において唯一の結果なのだから
 優勝が欲しいなら今ここでどの私を殺そうか』

私はこの歌詞に現れているような大森さんの考え方が好きです。
なにか失敗をしたときに、「ここはゴールじゃないから、また頑張れば大丈夫」というような言葉をよく聞きます。
しかし、じゃあ成功がゴールなのかと言われても違うと感じます。
人生における絶対は死ぬことである

人生にはいろいろな過程があるけれど、死ぬことは既に決まっている結果です。
私は、この歌詞から「人生における優勝という結果が欲しいのなら、いまここで、死ぬことが手っ取り早く人生の結果を得る方法だ」、というように解釈しました。

そして、いろんな人に見せているいろんな私の“どれ”を殺せば、優勝できるでしょうか。
一番人に愛されてた私?一番社会に貢献した私?一番世界で注目された私?
一番フォロワーが多かった私?学校でいちばん優しかった私?家族の中で序列最下位の私?
どの私なら優勝できそうでしょうか。
勿論この優勝は私が独断と偏見で決める勝ち負けです。

ここでこの歌詞に戻ります。
私は『消えてしまう前の私に一瞬でもいい追いついて』とは、“死ぬまで待って”と言われているように思います。
つまり、“死ぬ前の自分にまだ追いついていないんだから、死ぬのを待って、そう少し先よ”と言われているように感じました。
あまりにもポジティブに考えすぎでしょうか。
でもこう考えると、私が大森さんに出会って、このような考え方をすることで、少し歩みを遅くできる理由になるのです。

まだ追いついていませんから。
ゆっくりいきましょう、と。


私が狂気に化けた夜々

次の歌詞に行きます。

『A. 叫びを閉じ込めた その部屋こそが居場所だろ
 A. 不幸に守られた 君を引きずり出したい
 アイから目をそらすなよ 狂気に化けたよるにこそ
 生きる方を選んでく 生きる方を選んでく
 “ヘブン” “ヘブン”
 私流星“ヘブン” “ヘブン”*繰り返し 私の魂見てください」

「自分の居場所がない」と良く言いますよね、学校や会社、などのコミュニティーにおいて、自分の位置を確立するのは大変です。
でも、自分の居場所は、自分が弱くなることができる、自分をさらけ出すことができる場所のことなのではないでしょうか。
私は『叫び』を閉じ込めることができるのは、本当の自分をさらけ出すことであると考えました。
つまり、“本当の自分をさらけ出すことができる場所が居場所”なのです。

私はこの歌詞に共感したのは高校生の頃でした。
塾や学校、親のプレッシャーを背負った私はいっぱいいっぱいでした。
でも、背負った重荷を下ろすことも誰かに持ってもらうこともできませんでした。
そのため、夜に一人で泣きました。物も壊しました。
何度も何度も泣いて、布団の中には私の声にならない声がこもっていきました。
あの時確かに私は怪物のように暴れ泣き、私の居場所はあのベッドでした。

また、自分にとっての居場所が人になることはとても難しいです。
でも、誰かを居場所にしたいし、誰かに居場所にされたいという欲深さも理解で来ます。
だから、一瞬でも自分に向けられた愛を逃さないことも大切です
その愛が、自分が欲しいような愛か否かは置いておいて、自分への愛を逃さないようにしたいです。
私は全然逃げてばかりですが。
あの人の愛も過剰だと感じるし、愛してるを理由になんでもする人が苦手です。

同時に、アイはeyeだとも考えられます。
人とコミュニケーションを取るときに、目を見て話すのは大変です。緊張します。
そのため、ダブルミーミング的な表現をしているのではないかと考えました。

都合よく誰かのために死ぬのは許さない

次の歌詞です。

『誰かのためなんかに死ぬことなんて許さない
 口パクで愛してるなんて 誰でもいいならここにいて』

この歌詞がずっと何度も定期的に私にストップをかけてくれます。
失敗して、自分に失望して、この世界から消えたくなる度に、自分のせいにして死にたくなります。
でも、『誰かのために死ぬことなんて許さない』と大森さんが言ってくれるのです。
この誰かというのは他者だけではなく、自分も含まれていると考えています。

さらに、『許さない』と強い語気で言われると弱いです。
私は私が嫌いだとしたら、“こんな嫌いな人間のために死ぬことなんて、ご法度だ“なんて雰囲気を感じます。
これを聞くと、“それもそうだな”、って納得してしまう自分がいます。
何度もストップをかけましょう。

『都合よく好きな一瞬を永遠にされるのが怖い
 君が他界した後も 私の命は続く』

『都合よく好きな一瞬を永遠にされる』これは、幼少期のことを言えるのではないでしょうか。黒木渚さんの『美しい滅び方』の歌詞と通じる点があると考えているのですが、小さい頃に無邪気な私が、世界の理不尽さと現実を知らない私がしてしまった叶えられそうにない親との約束があります。
最近では、私の親はこの5歳の私が言った「将来は親の近くに住む」という約束をことあるごとに言ってきます。
このようなことがあったため、この歌詞が響きました。
過去の私も私ですが、そうすると未来の私が過去の自分の有言を実行できず、親の期待を裏切ってしまうのです。
親にも過去の私にも申し訳ないし、実行していたとしても未来の私がかわいそうで怖いのです。

喉が渇いたけれど汗よりも涙よりもからだのある
 私を 魂で射抜いてください

この歌詞は、外見に見える私だけではなく内面の私を愛してほしいと言っていると解釈しました。私も親に、過去の私が言っていたことではなく、今の自分が言っている内面を見て、解ってほしいと思ってしまいます。
だって、今の私は過去を踏まえた今を生きているじゃないですか。
…また、欲深いですよね。

さいごに

長くなってしまいましたが、何か共感することができる点があれば、嬉しいです。
これまでと同様、大森靖子さんのインタビュー等は全く拝見せずに考えたことを書いているので、意図と異なることを書いてあると思いますが、ご了承ください。
♡励みになりますありがとうございます。


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