歌と随想 3

下北沢酒場の灯影は琥珀色

     悔ゆこと一夜語りし頃の


『酒は悲哀の階段を軋ませて
 絶望の屋根裏に明るく洋墱を灯した
 歎息が起き上がって 微笑のヴィオラを弾きはじめた  泪が黙ってその音を聴いていた』

ふと目にとまった某総合病院のロビーに飾られた額の『詩』。
柔らかなタッチの毛筆で描かれた(書くというよりも、。)文章になぜか惹かれてしまいました。
病院に『酒の詩』が掲げられているというのも苦笑い的な違和感がありましたが、毛筆の書体か詩の雰囲気を醸し出しており、その世界に一時引き込まれてしまいました。

その『詩』を自己流に解釈して散文化してみると
・・酒に酔いつつ心軋ませ、
  その暗がりにランプを灯す私
  酒のにおいのするため息の音は
  我を嘲笑しつつ諭すヴィオラのような音色
  頬をつたう泪が黙ってその音を聴いてい  
  た・・
ともなりましょうか。
酔うことでは消しきれない寂しさを表現した『詩』なのかな?と、。
私は『詩』の主人公を
『酔って何かを忘れようとする自分』
『それを笑みながら諭す自分』
『酔っても酔いきれず哀しみを懐くままの自 分』 に分けたものと解釈しましたが、スマホで検索したサイトでは辻征夫氏の評論として
『(前略)絶望の色は薄いが童話的なおもむきがあり、絶望の屋根裏に住んでいるのはもしかしたら「セロ弾きのゴーシュ」ではないかと考えたりする』という文章が紹介されていました。
感じ方は十人十色なのだなあ、、とつくづく。
確かに「セロ弾きのゴーシュ」的な雰囲気のある詩だと思います。
「ゴーシュ」も独り、詩の「主人公」も独りですが、宮沢賢治の物語の場合は訪ねてきた第三者(身近な処にすむ動物たち)に己の才能を見出だされていくという独りではあるが、実はその『独り』を周囲で見守るもの達がいるという希望的な思想が根底にあり、時の流れも夜から朝へと向かう明るさを感じますが、丸山薫の詩の場合は夜の闇に存在するものは『自分』と命なき『物質』のみ。それらに哀感を滲ませ、時も夜のままで止まってしまった詩だと思います。


私的にはこの詩を読んで、まず思い出したのが20代の頃住んでいた世田谷区北沢の古いアパートと下北沢駅周辺にあった居酒屋でした。
借りていた部屋は二階にあって階段はコンクリートでできていましたが、廊下は昔風の木の板で歩くとよく軋んでいましたし、外壁にはヤモリがはりつき、ネズミの棲む屋根裏もまたよく軋みました。
灯りはさすがにランプではありませんでしたが手でひねるタイプの裸電球。
小田急線と井の頭線が交差する下北沢駅は当時から若者が集まる街で私が移り住んだ頃は本多劇場が出来たばかりでした。
こけら落としの公演で『斑鳩の祭り』という大化の改新を描いた劇を観たのを覚えています。
飲み屋街には若者の街だけにビストロ風の料理を提供する店があり、当時の仕事仲間と明け方までよく呑んだものでした。
友人たちとあれやこれや他愛のない話を酔ってしている時は良いのですが、暗い部屋に帰り独りになると(酔いきれない)別の自分がいろいろな事を呟きだす。
「金も無いのに毎晩酒を呑んで一体お前は何をしているんだ。」
「こんな事をするためにお前は都会に出てきたのか?」
「今のお前の姿を故郷の親や友人たちに見せられるか?」
「どうしてあの時あの娘にもっと気の利いた声をかけなかったんだ?」
「もっと違った生き方はないのか?」
多分、そんな事を自分に語りかけながら眠りに落ち、次の日が仕事であれば二日酔いのまま満員電車に乗り込み、休みであればガラス窓が夕闇に染まるまで泥のように布団にくるまっていました。
『酒は悲哀の・・』ではじまる毛筆の文字が私の『あの頃』へリンクさせたわけです。

もし、丸山薫が「セロ弾きのゴーシュ」を意識してこの詩を作ったとしたらその対象をねらったのかもしれません。『ゴーシュ』のようになれなかった哀しみの詩なのでしょうか?
若い頃から琥珀色の強い酒をストレートで呑むのが好きだった私。
そのツケを年月経て払うハメとなり病院通いをしておりますが、『あの頃』の記憶は少し丸みを帯びた琥珀色に熟成した感じ、。

験なきものを思はずは
   一杯の濁れる酒を飲むべくあらし
            (大伴旅人)

足音を忍ばせて行けば台所に
   わが酒の壜は立ちて待ちをる  
            (若山牧水)

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