思考が深い人と深くない人の人格成長の違い
こんにちは~ 先日書いたシリーズ記事が、noteギフテッド界隈で「積極的分離(人格成長)理論」について、多くの人に考えるきっかけにはなったようですが、プラスの反響ばかりではなく、議論が活発になったことによって、それぞれのスタンス・受け止め方の違いが明確になり、お互いがお互いの発信内容にモヤモヤを感じてしまう状況になってしまっているため、それを解消するために記事を書くことにしました。
まず 声を大にして言いたいことは
積極的分離(人格成長)理論に縛られないで
ということです
とは書いてあります
僕自身も
何かしらの挫折経験は人間の成長に
長期的にはプラスの影響を与える
という点には同意するものの
『高いレベルへ成長する』ことは
必ずしもいいことだと思っていません
OEというのは
思考能力や感情などの『激しさ』のことですが
OEがある人とそうでない人の
人格成長を図にしてみました
OEがある人というのは
道のりが安全かどうかを確認せず
一心不乱に登ろうとして
結果的に道を踏み外して
谷底に転落したりしてしまいます
これが
『気分的うつや精神的苦痛』
(あるいは積極的分離)
に陥ってしまう理由です
精神的に早熟であることが
仇となってしまうのです
一方でOEがない人の人格成長は
一見ゆっくりに見えますが
安全確認をしながら進んでいけるため
『急がば回れ』のことわざの通り
スムーズに山を登っていくこともできます
(悩むことは当然あるにせよ)
OEを持つ人の人格成長は
ドロップアウト者が多数生まれる
ハイリスクハイリターン(?)な道のりなのです
はっきり言って
僕は脱落者を出したくありません
試練を乗り越えて選ばれたギフテッドを目指せ!
なんて口が裂けても言えないんですよ
そしてもう一つ
山を登る人・登ろうとしない人
に分かれるのも事実です
『みんなで山に登ろうぜ!』と声をかけても
ウザがられて孤立するパターンもありますし
知識や経験がない状態で
登ろうとすると遭難してしまうこともあります
孤立して単独登頂を目指すと
そのリスクは高まります
OE=山を登ろうとする意欲
みたいなものなので抑えるのは難しいのですけど
『急がば回れ』を意識して欲しいな~
と思います(特にギフテッド児には)
『ギフテッド』という呼称には
特別感が漂いますが
OEを持っている人=ギフテッドと定義するならば
OEを持っていない非ギフテッドの平均と
ギフテッドの平均とを比べると大差は無い
というかむしろギフテッドの方が劣っている
ようにすら思います
多くのギフテッドネス(OE)を持って生まれた人は
ギフテッドなんかに生まれたことを呪っている現状なので
(それかギフテッドであると気付いていないか)
試練を乗り越えた人だけを見てギフテッドを語るのは良くない
と感じています
それぞれが自分のペースで
人格成長という山を登ればいいですし
登りたくなければ登らなくていい
と思います
登れるならば登った方が
幸せに近づくとは思いますけどね、、、
何度も谷に転落しながら
這い上がることを繰り返すような
登り方をすることはいいことではなく
どの高さまで登ったか
というよりも
今よりも一歩上へということを
積み重ねていくことが大事です
自分が標高何メートルに達しているなどといって
人と比べて優越感に浸るのも良くありません
そして
最後にもう一つ伝えたいことは
いつかのタイミングで『自分が』高みを目指す生き方から降りた方がいい
ということです
『自分が 自分が(やらなければ)』
となり過ぎずに
自分を踏み台にして
より高い境地へ登っていってもらえるよう
みんなを支えていくような役回りに
切り替えるべきタイミングが
来るように思います
『みんな』というのが
自分のお子さんであったり
後輩や部下であったり
若者であったりするかもしれませんね
前から引っ張るよりも
後ろから押すイメージです
もしかしたら
人格成長の最終段階は
『成長や未来を人に託せるようになる』
ことかもしれません
先日からシリーズで
積極的分離(人格成長)理論について
書いたことで
『正しい』人格成長とは何か と
それぞれの人が別な解釈をしてしまい
互いの発信にモヤモヤする事態に
なってしまいましたが
①今よりも一歩上へということを
積み重ねていくことが大事
②どんなルートを選ぶかは
人それぞれで好きにしたらいい
③高みを目指すことは
必ずしもいいこととは限らない
この3点を皆さまに伝えたいですね
今回はここまで!
ではまた!