駅伝日記#3:努力の方向性
前回、投稿した記事から
かなり期間が空いてしまったので
私自身も何書いていたか
忘れていたのですが(笑)
久しぶりに過去の振り返りを書きます。
もしよければ前回の記事も
最後の部分だけでかまいませんので
読んでいただけたら幸いです。
今回は
私が、ずっと怪我を繰り返していた時に
胸に刺さった言葉をお話できればと思います。
その前に高校時代
怪我を繰り返していた時の生活を
振り返ると以下のような感じでした。
怪我をした
↓
走れなくなるので体重が増える
↓
体重を増やさないように食事制限をする
↓
十分な栄養も足りず、怪我が長期間続く
↓
監督の機嫌も悪くなる
↓
怒られるのは嫌なので
脚は痛いけど、途中から無理して走る
↓
さらに怪我が長引く
or
運よく治っても痛いところを
かばいながら走っていた影響で
フォームが崩れ、別の箇所を痛める
↓
最初に戻る
すべてがこういうケースではなかったですが
おおむねこんな感じでした。
怪我をしている時って基本
テンション下がっているし
ネガティブ思考になってるし
悲劇のヒロインにでも
なったかのような感覚になって
ぜんっぜん精神衛生的に良くないんですよね。
それでいてできる練習も
ひたすら筋トレするか
歩くかエアロバイクを漕ぐくらいしかないんで
精神的にとてもとてもきついです。
だから、気持ちの部分で腐りそうになる
(もしくは腐っていた)ことって
いくらでもありました。
そんな中、とある有名な陸上選手が
引退する際のインタビューを見かけました
そのとき、印象に残っている言葉があります。
「私はここ数年、怪我に苦しんできたが
その中でも、自分なりに一生懸命頑張った。
だけど、努力する方向性が間違っていた。」
このセリフを聞いたとき
怪我で苦しんでいるのは
自分だけじゃないという
当たり前のことに気が付けたのも
大きかったのですが
それ以上に教訓になったのは
「努力の方向性」についてです。
私自身、怪我をしているときでも
それなりに頑張って
努力をしてきたつもりです。
だけどそれは
監督に怒られないためだったり
他の部員にあいつサボってるって
思われたりしないように
ちゃんとやってますよ感を
アピールするための頑張りだった気もします。
だから、引退してから当時のメンバーに
「さざなみは、いつも頑張っていたよな」
と言われても、心のどこかでは
あのとき、普通にサボることもあったし
見せかけで頑張っていただけのときもあるから
全然そんなことなかったよって
どこか後ろめたい気持ちになります。
努力の方向性って
スポーツに限らず仕事や勉強、趣味、恋愛
あるいは自分の人生をどう生きるかと
大きなスケールで考えるときでも
とても重要なことだなと思います。
だけどそれが難しくて
よく悩んで迷子になります。
そんなとき、自分の中で
ブレない信念を持っていたり
自分を光の方に導いてくれる人がいたりすれば
それだけは絶対に手放しちゃいけないことだけ
忘れずにいたいです。
正直、うまく出来ている気はしないですが
努力の方向性というのを意識して
これから自分がどう生きていきたいか
考え続けたいなと思います。
途中から駅伝と
全然関係なくなっちゃったけど(笑)
ここまで読んでくださり
ありがとうございました。
それでは。