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一人カラオケ歴4年の私が、過去最大の気まずさを乗り越えた瞬間
ちょうど1年ほど前、仕事の都合で地方に住んでいた。
住んでいたのは地方の中でも大きい都市で、新幹線が止まるくらいには栄えていた場所だった。
縁もゆかりもない土地への転勤だったので、見知らぬ土地で一人時間を持て余していた私は、よくカラオケに通っていた。
おかげで地方に住んでいた3年の間に、駅周辺のカラオケ店はほぼすべて利用することができた。
一人カラオケが趣味、と言うようになったのはこの頃からだ。
転職をして都内に住むようになってからも、趣味の一人カラオケは続いている。地方と比べると都内のカラオケ料金はべらぼうに高いので通う頻度は落ちてしまったが、それでも週に1回は行くようにしている。
ここまでくると、もはや肩書きを ”一人カラオケマスター" としても良いのでは、とさえ思うが、そう名乗ってしまったらカラオケへの課金が止まらなくなりそうなのでやめておきたい。
*
さて、Googleで「一人カラオケ」と検索すると「一人カラオケ 恥ずかしい」というサジェストワードが出てくる点からして、一人カラオケに行くためにはちょっと勇気が必要なんだと思う。
特に、最初の一歩を踏み出すためには。
でも、一歩踏み出してしまえば案外スムーズに進むものだ。
「一人カラオケ 恥ずかしい」というのは恐らく、受付やお会計の時に人目が気になる、ということなのだろうが、自分が思っているほど他人は自分のことを見ていないものである。
何ら気にする必要はない。
と、こんな風に得意げに語れるほど一人カラオケの気まずさは完全に乗り越えている私だが、
最近、4年にわたる一人カラオケキャリアの中で、過去最大に気まずいと思う出来事があった。
*
それは金曜日の22時、仕事終わりにいつものカラオケ店に入り、一人で気持ちよく歌っていた時のことだった。
仕事終わりという時間帯やそのカラオケ店の立地の影響もあるが、その日の店内はやたらと酔っ払いで賑わっていた。
エレベーターで酔っ払いの大群と一緒になって隅っこに追いやられるとか、通路を塞ぐ酔っ払いたちの間をすり抜けてトイレに行くとか、そんなのはいつものことなのだが、
今回の敵はいささか厄介だった。
敵はふたり。
男性が1人に女性が1人。年齢は30代くらいで、私と同じように仕事終わりにカラオケに来たように見えた。
恐らく、ふたりはもっと大人数のグループで来ていたのだと思う。
というのも、団体でカラオケに行った時に何らかの理由(トイレに行きたいとか、ふたりで話したいとか)で席を立つ、とことがあると思うが、それと同じような雰囲気を感じたからだ。
男性の足取りはしっかりしていたが、女性のほうはかなり酔っているようだった。
歌っている途中でも聞こえるくらい大きな声で騒いで、通路をふらふらと歩きまわり、何度も私の部屋のドアにぶつかってきた。
うるさいなあと私は少し迷惑していたが、カラオケのボリュームを上げれば気にならない程度だったので放っておいた。
それからしばらく、ふたりは部屋に戻ったり、通路に出てきたりを繰り返した。
あまりにもふらふらと歩く女性に、「ほーら、危ないよ」と男性が手を貸し、きゃっきゃと笑うふたり。
ドラマの中では許せる光景だが、現実になると妙に許せない。その境界線はどこにあるのだろうか、なんて考えながら、シラフの私はふたりの様子を眺めていた。
敵の攻撃はここからだった。
歩き回るのに疲れたのか、女性が私の部屋のドアに完全に寄りかかって男性と話し出したのだ。
外側から押して開けるタイプのドアだったので、女性の体重がかかるたびにドアが少し開いて、女性が体を元に戻すとバタンと音を立ててドアが閉まる。
女性のおぼつかない足取りをずっと見ていた私は、女性が部屋に倒れ込んでくるのではないかと内心ヒヤヒヤしていたが、
女性はゆらゆらと絶妙なバランスを保って私の部屋のドアと戯れていた。
苛立ってしまったのは、
女性がドアに寄りかかっているせいで部屋から出られない、という現状に対してだ。
言ってしまえば、謎の女性によってカラオケに監禁されている状態なのだから。
カラオケに監禁されるのは初めての経験だったので、店員さんに通報するか、自ら「どいてください」と注意するか、何かしら反撃した方がよいのではという考えが頭の中を巡った。
しかし、せっかく羽を伸ばしに来ている一人カラオケ。
一人で来ているということはつまり、一人でその時間を楽しみたい、ということなのだ。
店員さんにせよ、そのふたりにせよ、話をするとなると十数秒は取られてしまう。
繰り返すが、一人で来ているということはつまりそういうことで、私は誰かとコミュニケーションを取るために一人で来ているわけではない。
そう思った私は、しばらく待てば自分たちの部屋に帰るだろう、という期待のもと、反撃はせず、ふたりの様子を見守ることにした。
*
監禁されてから15分程度たった頃だったと思う。
話がひと段落したようで、やっと女性がドアから体を浮かせた。
自分たちの部屋に帰ってくれそうな雰囲気だ。
私は少しほっとした。
これで自由に部屋から出られるし、落ち着いて歌に集中できると思ったのだ。
しかし、そんな期待はあっさりと裏切られた。
おかしいなと思ったのは、女性が男性と話しながらドアに寄りかかっていた身をくるりと回転させ始めた時だ。
男性と話しながらなので、女性の顔は男性を見ているが、体は完全に私の部屋の方を向いている。
私の部屋のドアに手をかけ、今にも部屋に入ってきそうな様子だった。
あろうことか、酔っ払いすぎて、私の部屋を自分の部屋だと勘違いしているのだ。
私は、女性がドアに寄りかかり始めた時にさっさと反撃しなかった十数分前の自分を恨んだ。
けれども、まだ女性が部屋に入ってくると決まったわけではない。
ふたりの部屋と私の部屋とでは多分場所が全然違うし、ドアの一部が透明になっているおかげで部屋の外から中の様子が見えるはずで、さすがに自分の部屋ではないと気付きそうなものだからだ。
問題は、女性の酔っ払い様だ。
だいぶお酒が回っているようで、背骨を抜かれたのではと思うほど上半身をくねくねさせて立っている。
こんなに酔っぱらっていては、もう何が何だかわかっていないかもしれない。
こうなると、もう来ないことを祈るしかない。
私は「来るなよー、絶対来るなよー、、!」と真剣に願い、女性の様子を固唾をのんで見守った。
残念なことに、願いは破れ、その時は訪れてしまった。
女性は顔をこちらに向けると、何のためらいもなく私の部屋のドアを押した。
思い返せば、女性が部屋に入ってくる前に自分からあえて部屋を出てみるとか、座っている場所をドアのよく見える位置に移動しておくとか、
事前に「ここはあなたの部屋ではない」と伝える方法があったかもしれない。
しかしながら、私の頭の中は、女性が入ってきたときに「歌い続けるか、歌うのを止めるか」の選択をするのに精いっぱいで、他のことを考える余裕はなかった。
店員さんに飲み物を運んでいただく時は歌い続けるのだが、相手はお客さん。
歌い続けるにしても歌うのを止めるにしても地獄であることに変わりはないが、今すぐにどちらか選ばなければならない。
ーー苦慮の末、私は歌い続けることを選んだ。
ここは私の部屋だ。
誰にも邪魔はさせない。
ドアが開き、女性が私の部屋に一歩、足を踏み入れる。
そして、女性の動きが固まった。
女性が私を見た。
私も女性を見た。
私は歌い続けた。
羞恥心なんかに負けない。
めげない心。
それはそれは、強く、勇ましい姿だったと思う。
困難にぶちあたっても立ち向かっていくその姿は、一人カラオケマスター、いや、一人カラオケ界のスターと呼ぶに値するだろう。
一人カラオケ界のスターを前に、諸々の状況を認識した女性は何を感じただろう。
「きゃー!」と叫ぶと、彼女は光の速さで部屋を飛び出していった。
メンタリストのDaigoが言っていたが、初対面の人に一目ぼれをさせるには相手の目を5秒~7秒見つめるのがよいのだそうだ。
その理論でいくと、私と彼女はギリギリ一目ぼれを回避できたと思う。
ほっと胸をなでおろした私であった。