少しずつ諦めて 少しずつ折り合いをつけて 少しずつ大人になっていくんですかね。
前職の話をするより、空白の1年間の話をするほうが辛い
大事なことはさ、とっくの昔に知っていて、大人になるにつれてそれを理解していってるだけなのかもしれないな
「努力は必ず報われる」ってさ、ちょっと暴力的な言葉だなとも思うんだよ 報われた人には気持ちのいい言葉だけど 勝負は常に時の運って言うし、 勝者がいれば敗者がいて 合格があれば不合格もある 報われなかった人にとっては、 「努力は必ず報われるとは限らない」を証明してしまうことになるんだよね 報われなかったときって悲しいし、悔しいんだよ、 頑張ってたら誰しも 報われなかったとき、 努力が足りなかったんだって自分を責めたり、 自暴自棄になったり、 やるせない気持ちにさせる言葉
ルックバック、観てきました。 映画館の異様な雰囲気、 皆が同じ船に乗って、旅をしているようなそんな感覚 私含め客が微動だにしない映画は初めてかもしれない 言葉にできなくて、悔しいが たった1枚の4コマでこんなにいたたまれなくなるのか 動作ひとつひとつ、ドラマチックに描かれているように思えて、実は全て日常に近い普通で 人間らしくていいね、なんて言うけど 人間らしくないことも必要で 私は何を感じてるんだろう。 描く努力を、努力と思っていないからこそ 迷いなき(は失
再就職した。 私には1年3ヶ月の時間が必要だった。 次の就職先が決まったら電話をしろと前職の事務に言われていたので連絡したら、 もう連絡の必要は無かったのにと呆れたように言われた そりゃそうか、1年3ヶ月経ったのだ。 勝手に傷ついて苦しんで、やっとの思いですごろくの駒を進めたのに、 私がいた居場所はもう無いし、それが当たり前なことに安堵と少しの寂しさを感じた。 それはそうと、 「心穏やかで豊かな生活を送ることが目標」 という新しい軸を見つけ、転職活動に励んだ日々が終
自分の過去の選択を「間違っていない。」「あの時の自分が沢山考えて出した答えだから」って思えることが自分を信頼しているということなのかな。
顔を思い出すだけで、その人との間に生まれた感情とか後悔とか、ぶわぁって溢れちゃって涙する日が沢山あるんだけど、私真面目に生きすぎかな。適当ってどうやるんだ。
人と比べることが辞められなくて、わかりやすい幸せの固定概念が抜けない私は自分が幸せじゃない理由を探しているだけなのかもしれない。
自分のことを内側から好きだなと思うことは難しいけど、外側から客観的に見て、悪くはないかなと思える日もあるし、自分の隣に座って「辛かったね」と頭を撫でる友人でありたいとも思う。
「努力は人を裏切らない」 嘘つけ。 そう思ったのは中学3年の3月、 私が高校受験に落ちた日だ。 がむしゃらに勉強した日々と 将来なりたい自分になるための第一歩は あっけなく「不合格」の文字に召喚された。 どんなに人に慰められても どんなに素敵な私立高校の制服に袖を通しても 見返したくて高校でどんなに勉強しようが 街中で嫌でも見かける緑色のネオン あのスローガンを見るたび、私は下を向いてしまう。 努力しても努力したくとも 「どうせ裏切られる」 その思考がトラウマとし
世界でいちばん 人生でいちばん 好きだった人が結婚した。 好きだった彼とは中学生で出会って 折り紙がくしゃっとなるように 無邪気に笑う笑顔が可愛らしくて 気づいたらずっと見ていたいな、なんて思う人だった。 少しだけ付き合って、別れてしまったけど ずっと永遠に一緒にいたいな、なんて幼稚な考えを真剣に抱えてしまうくらい、 なぜだか、 無性に、大好きだった。 彼の人生ランキングを作ったとしたら 「彼のことが真剣に好きな人」という項目で、私は一番 なんだろうなと密かに、ず
ずっと選択の繰り返しで、これが最善と思っても手放すと、後から思い返して悩んでしまう。後から後悔しないためには常に挑戦する以外無いのだろうか。常に心が嵐みたいでしんどい。選び続けることからもう逃げたい。
生きづらいことを知らない時の方が生きやすかったな
いろんなことを諦めていくのが大人だとよく聞いていて、それが嫌だなとも思っていたけど違ったな。自分が生きやすいように、呼吸がしやすいように調整していただけなんだな。大人ってめっちゃかっこいいな
苦しい時があって。胸がちくっとなることが積み重なってその場から動けなくなっていくけど、その時が自分を教えてくれるから、どうしても避けては通れないのかもしれない。