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苦しい時に言葉は生まれるのか

再就職した。

私には1年3ヶ月の時間が必要だった。

次の就職先が決まったら電話をしろと前職の事務に言われていたので連絡したら、
もう連絡の必要は無かったのにと呆れたように言われた


そりゃそうか、1年3ヶ月経ったのだ。

勝手に傷ついて苦しんで、やっとの思いですごろくの駒を進めたのに、
私がいた居場所はもう無いし、それが当たり前なことに安堵と少しの寂しさを感じた。

それはそうと、
「心穏やかで豊かな生活を送ることが目標」
という新しい軸を見つけ、転職活動に励んだ日々が終わり、私にも新しい居場所ができた。

新しい居場所ができてから、こんなに私は健康的になれるのか、というほど

日を跨ぐ前には眠くなり
決まった時間にお腹は空き、
朝ちゃんと起きれるようになった

何より、「社会に紛れている」という事実が私を安心させているように思う


そして、不安が一通り過ぎ去った今、思うことがある

紡ぎたいと思う言葉が浮かばない

あんなに苦しくて不安なときは言葉が尽きなかったのに

ある程度落ち着いた今は言葉が浮かばないのだ。

私はそれが少し寂しい

考え込んで悩んでしまう自分も
人はこんなことまで考えないのかなという自分への呆れも

丸ごと愛したいと思っていたのに、
愛おしいなとさえ思う夜もあったのに、

まるで好きだった自分を後ろに置き去りにしているようで寂しいのだ

幸せで贅沢な悩みだと思う。


新しい自分と出会って
新しいステージが始まって
新しく人生というゲームを攻略している余裕すら感じる

なんて幸せなんだろうと思う。

苦しくないからこそ、温かい言葉を紡げるようになるかもしれない

冷たい雨のような言葉ではなく、
自分と日向ぼっこしながら、時に降る雨を楽しめるようになるかもしれない

苦しい時の言葉は自分を慰めるような言葉だとしたら、

素朴な幸せを感じる今はどんな言葉を紡げるだろうか。

心が安定すると、私は言葉を紡ぐ必要がなくなるのかもしれないと思った。

自分を安心させたり
自分を肯定したりするために使っていた言葉を
次は何のために使おうか。

不安がなくなっても、一番近くにいてね

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