温かいスープとバゲットの力【コドモハカセと記者の旅:リヨン最終日】
▼登場人物
コドモ:4歳長女と1歳次女。
ハカセ:建築史家。合理主義者。
私:記者。転職するか迷っている。
▼これまで
家族4人でのフランス旅行。子連れの苦労ばかりがよみがえる旅を、もう一度振り返り、リベンジするための旅行記。アヴィニョンを拠点に南仏を巡り、雨にけぶるリヨン、ペルージュへ。最終日、ようやく晴れたリヨンの空の下で、ハカセと喧嘩した。
▼前回の記事
〈14〉
普段は隠れている猛獣がリヨンという異郷で牙をむき、がなり立てた前回。この猛獣を鎮めたのは、リヨン初日と同じくやはり食だった。食は平和の源だ。
リヨンにはBouchon(ブション)と呼ばれる伝統的な庶民レストランがあり、その質を保証するBOUCHONS LYONNAISが認証したマークが付いたお店なら、まず間違いなく美味しいものが食べられる。
事前にこれを知っていたハカセは、午前中に抜かりなく狙い定めた店に行ってランチのオープン時間を調べていた。喧嘩で凍りついている場合ではなく、店が混む前に店に入らねばならない。
振り上げた拳は降ろせなくても、食は妥協しない。お互いの食いしん坊をありがたく思う。美味しいご飯は平和の力になると、曲がりなりにも農学部卒の私は真剣に思っている。
目的の店でいただいたオニオングラタンスープは、こっくりと滋味にあふれ、熱々のチーズを長く引いてくちびるにベロンとつけ、はふはふと引き上げる長女の写真をいまスマホで見返すだけで、笑みがこぼれてくる。
隣に一緒に映るハカセは、まだ歯を見せて笑うほど気を許していないないが、目が驚きに見開き、口元が笑みをこらえきれていない。この写真を撮った私も間違いなく笑っていた。
フランス料理というと、日本では大きな皿に惣菜がちょぴっと乗っているイメージが強い。しかしそういったフランス料理は、地元フランスでも懐石料理のような特別なものであるらしい。
ブションの料理はもっと庶民的で、大きな皿にどんと乗せられた肉塊がどっぷりと濃厚ソースの海に浸かり、付け合わせの茹でたポテトが大量に添えられて出てくる。
その肉がほろほろに柔らかく煮込んであり、口に含むとちゅるちゅると旨味があふれてくる。これにポーチドエッグが乗った野菜てんこ盛りのサラダ、それだけで一食分のカロリーは摂れそうなタルトタタンやティラミスといったスイーツが合わさるのだから・・・もう、お腹も心もいっぱいになるしかない。
当時はまだ色濃く残っていたコロナの怖さも忘れて、互いの皿のものをシェアしていくうちに、家族の空気はすっかり雪解けしていた。じつに他愛ない。これが「共食」の効果であろう。
リヨンからパリへ。TGVで向かい、郊外のチェーンのホテルに落ち着いたその夜、わたしはハカセに「喧嘩はするけど、感謝している」旨を告げた。ハカセもそう返した。
食は世界を平和にする。
ただ一方で、食は争いの種にもなる。今もそうだが、昨年9月当時はロシアによるウクライナ侵攻で小麦粉の価格が高騰し、日本国内でも目に見えてパンが値上がりしていた。アフリカなどでは以前にも増してパンが行き渡っていないと報道されていた。
世界的な食糧危機が深刻化しているにも関わらず、フランスのレストランでは惜しげもなく美味しいバゲットが無料で提供される。しかも先述のブションのように、おかずだけでも食べきれない量が供されるのだから、バゲットなど幾つも食べられない。
バゲット好きの私は、バスケットに残されたバゲットがもったいなくて、お腹いっぱいでも食べたり、こっそりナプキンに包んで持ち帰ったりしていたが、隣のテーブルに無造作に残されたバゲットまでは救いがたい。フランスはフードロス削減先進国と聞いていたのに、なぜなのか? リヨンで食の豊かさ、ありがたみを実感してから一層、気になった。
帰国後に調べてみると、フランスではレストランのパンは無料で提供されなければならないと、法律で決められているという記事を読んだ。
オリンピック・パラリンピックもあってフランスの食が改めて注目される昨今、現在もこの通りなのかどうかは分からない。ご存知の方はできれば教えてほしい。
バゲットがフランスの固有文化として、ユネスコの無形文化遺産に選ばれたことも記憶に新しい。フランスでは家族経営のパン屋が次々と姿を消しており、文化遺産認定は危機感の表れでもある。
このあたり、日本のコメと状況は似ている。生存権を保障する主食であり、守られるべき文化でもあるバゲットは条件を問わず、誰にでも無償で行き渡るべきと考えられているのかもしれない。となると、これについてとやかく言う権利も知識も私にはない。
まして世界の食糧危機の大半は、本来は有り余っているはずの食の不均衡にある。食品廃棄は先進国だけの問題ではなく、途上国でも、適切な保存施設や物流が不足していることなどから、せっかく生産された食品が廃棄される事態が起こっている。あのリヨンで惜しげもなく供されていたパンを、残すくらいなら持たざる人々に分けてほしいと思うが、それだけでない構造的な改革が必要なのだ。(参考:国連WFP2018年「考えよう、飢餓と食品ロスのこと」)
美食の街リヨンの人は、その恵まれた食卓をどう考えるだろう。機会があれば聞いてみたいものだ。
(さくらもち市長さん、可愛いイラストを使わせていただきました。ありがとうございました)
〈15〉に続きます。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
なぜこの旅行記を書いているか、興味を持ってくださった方は、こちらもお読みいただければ幸いです。
https://note.com/vast_godwit854/n/n98fa0fac4589
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