生きるさじ加減…
2024年 10月17日(木)
昨日の景色…
〈気になる記事・後半…〉
【神様が味方する人の生き方】
「こうなりたい」という思いを捨てると、嬉しい奇跡が起こるらしい
(記事本文抜粋…)
ある女性の話です。この女性は、結婚して8年間、子どもができなかったそうです。あらゆる不妊治療を試みましたが、結局、うまくいかなかったそうです。
子どもができずに悩み苦しんでいたとき、彼女はたまたま、私の話を聞いたそうです。
「人間の一生というものは、生まれながらにして、自分で自分のシナリオを書いてきているらしく、すべては予定通りに進んでいるらしい。だから、過去のことをクヨクヨする必要もないし、未来のことを心配する必要もない。ただ『念』を入れて生きていけばいい。『念』という字は、『今』の『心』と書く。つまり、目の前にいる人、目の前に起きていることを大事にして生きていけばいいようだ」という話でした。
私の話を聞いて、この女性は気持ちがすっきりしたといいます。悩みが解消し、ラクになり、楽しくなって、心豊かな毎日を送れるようになりました。
すると、不思議なことに、8年間できなかった子どもを授かったそうです。
出産後、1年ほど過ぎたとき、もうひとり子どもが欲しくなりました。そして、「妊娠しますように」と神様にお願いをし、不妊治療をはじめたのですが、治療の効果はあらわれなかったそうです。
「どうしてできないのか」と悩んでいるとき、私の話を思い出したそうです。
「そうだ、全部決まっているとするならば、自分のシナリオに身を委ねればいい」
そう思って気をラクにしたとたん、悩みが消えた。そして、妊娠したのだそうです。
2人目の子どもがお腹の中にいるとき、彼女は私に、こんな話をしてくれました。
「力を抜いて生きること。頑張って、執着して、思い通りにしようとして、『そうでなければ嫌だ』と思っているときは、そうならないみたいです。力を抜いてお任せしたとたん、子どもを授かったということは、神様は私にそういう法則を教えてくれたのだと思います」
じつは、彼女の話にはおまけがあります。子宮の中に筋腫(良性の腫瘍)が見つかったのです。
診察をした医師は、「お腹の中で子どもが大きくなるに従って、その筋腫が問題になることがあります。1ヵ月後に再検査をして、そのときの状況で、手術をするか、そのまま見送るか、ほかの方法を取るか決めましょう」と言ったそうです。
彼女は、再検査までの1ヵ月間、「筋腫さん、小さくなってくれてありがとう。お腹の子どもの問題にならないように退いてくれてありがとう」と言い続けたそうです。
再検査の結果に、医師は目を丸くして驚きました。筋腫がなくなっていたそうなのです。
彼女は笑顔で語ってくれました。
「力を抜いて、頑張らないで、必死にならないで、『そうならなくてもいいけど、そうなったら嬉しい。でも、そうならなくていいけど、そうなったら楽しい。でも、そうならなくていいけど、そうなったら幸せだ』と思っていると、すごい効果が出るみたいですね。この2人の子どもを通して、『自分の思いにこだわると実現しない。自分の思いや執着を捨てると、嬉しい奇跡が起こるらしい』ということを学びました」と。
👉「人間の一生というものは、生まれながらにして、自分で自分のシナリオを書いてきている」
👉「すべては予定通りに進んでいる」
👉「だから過去のことをクヨクヨする必要はない」
👉「だから未来のことを心配する必要もない」
👉「だからただ『念』を入れて生きていけばいい」
👉「それはすなわち目の前にいる人、目の前に起きていることを大事にして生きていけばいい」
この世の人生というのは…
そういうものらしい…
👉だから…
「全部決まっているのだから、自分のシナリオに身を委ねればいい」
👉だから…
「頑張って、執着して、自分の思い通りにしようとして、『そうでなければ嫌だ』と思って生きているときは、そうならない」
また…
「自分の思いにこだわると実現しない。自分の思いや執着を捨てると、嬉しい奇跡が起こる」
のだそうです…
👉だから…
「力を抜いてすべてその決めてきたシナリオ通りにその人生をお任せすることが大事」
なのだそうです…。
👉だから…
「力を抜いて、頑張らないで、必死にならないで、くよくよ心配せず生きること」
そして…
『そうならなくてもいいけど、そうなったら嬉しい。でも、そうならなくていいけど、そうなったら楽しい。でも、そうならなくていいけど、そうなったら幸せだ』
というような“絶妙なさじ加減”で生きることが効果的な生き方で、それが人生をより良く生きる「法則」なのだという…
如何でしょうか…。
思い当たる節はないでしょうか…。
追い求めているうちは実現せず…
それが気にならなく忘れた頃にふと実現する不思議さ…
「結果」を求めるのではなく…
「ただ今」を生きること…
「結果」よりも大切な“何か”に気づくこと…
「結果」が出なくても…
「誰か」に見てもらわなくても…
「誰か」に知ってもらわなくても…
「誰か」に認めてもらわなくても…
「神様」は見てくれている…
それで充分なのではないでしょうか…
そんな「生き方」に対して…
神様はその“ご褒美”をいつかどこかで与えてくれるのかもしれません…。
それは…
生きているうちかもしれないし…
死んでからかもしれませんが…。
ただそれを…
また「期待」し…
またそれを「求める」と…
それがまた「こだわり」や「執着」にもなりかねません…。
神様にでさえも…
「期待せず」
「求めず」
「それが当たり前のように生きる」
そのような“さじ加減”で生きれるようになりたいですね…
〈気になる記事・前半…〉はこちらから…
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